米芾を臨書して、思い出すあの頃
久しぶりに臨書をしてみました。
今回は米芾(べいふつ)の『蜀素帖』です。作品制作ばかりに時間を割いていたので、しっかりとした練習はおろそかになってしまっていました。久々の臨書に、筆が思うように動かない…ああ、鈍っているなと感じつつ、やっぱり書道の基本はここにあるんだと改めて思いました。
米芾の行書は、格好良い。
筆づかいがとても自然で、まるで筆そのものが生きているように自由自在。線の太さの変化も激しくて、一本の筆でこんなにも多様な表現ができるのかと、改めて驚かされます。しかも、太い線が多く「面化(白い余白を潰す)」の工夫が随所にあって、それがまた絶妙。
私自身の作品にも、知らず知らずのうちにこの「面化」の感覚が取り入れられていて、まさに制作の参考書として、米芾の書は今も大切な存在です。
思い返せば、学生時代。
臨書をしていた私に、先生が言ったんです。
「米芾の書は臨書すべきではない。」
当時の私は「そう言われると、やりたくなる」タイプで(笑)、それ以来ずっと米芾の臨書を続けています。先生が本気で止めたのか、それとも私の天邪鬼な性格を見抜いて言ったのか…今となってはわかりません。でも、その言葉がなければ、こんなに長く向き合うことはなかったのかもしれません。
書の練習を、忘れてはいけない。
どんなに作品づくりに追われていても、臨書に立ち返ると、筆の感覚や線のリズムが戻ってきます。練習は、地味だけれど確実な力になります。そして何より、自分自身が書く楽しさを思い出せる時間になります。
臨書をして、「書けない自分」と向き合う時間は、初心に返る大切なひととき。みなさんも、ぜひお気に入りの法帖と向き合ってみてくださいね。
米芾(べいふつ)
**米芾(1051年〜1107年)**は、北宋時代を代表する書家・画家・文人です。本名は米黻(べいふつ)、字は元章(げんしょう)。官職にも就いていたことから「米南宮(べいなんきゅう)」とも呼ばれました。
彼は王羲之を敬愛し、書風の根底には王羲之の影響がありつつも、奔放でダイナミックな筆致を特徴としています。その個性的な書風は「米書(べいしょ)」として高く評価され、後の時代の多くの書家に影響を与えました。
また、奇行の多い人物としても知られており、自らを「書狂」と称したほど書に没頭していました。
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『蜀素帖(しょくそじょう)』とは
『蜀素帖』は、米芾の代表的な行書の名品で、詩文を蜀地(四川地方)で作られた白い絹「蜀素(しょくそ)」に書いたことからこの名が付きました。
計十数首の詩が流れるような筆致で綴られており、米芾の行書の真髄を示すと同時に、墨の濃淡や線の抑揚、余白の使い方など、書としての芸術性が極めて高いと評されています。
臨書においては、リズミカルで変化に富む線質を忠実に写し取ることが求められ、書技の向上に大いに役立つ教材として愛され続けています。



