今年の桜の見頃の時期は本当に短かった。

 

 「満開になった!」と思ったら、強風がやってきて僕を目覚めさせるように花びらを吹き飛ばしてしまった。吹き飛んでしまったから例年より道路もあまり桜色に染まっていない。

 

 あの花びらはどの世界に飛んで行って消えたのだろう・・・。

 

 子どもの頃、今の技術があれば年中咲いている桜を品種改良で作れるのではないかと考えたことがある。子どもだった僕は侘び錆びの奥ゆかしさを知らなかった。

 

 散ればこそ いとど桜は目でたけれ 浮き世に何か 久しかるべき

 

 桜は散るからにこそ美しい。

 

 今からちょうど30年くらい前に「櫻の園」という映画があった。

 チェーホフの戯曲と同じタイトルだ。

 サークルの同級生の女子でこの映画を絶賛している者がいた。観に行って感想を述べないと殺されそうな絶賛ぶりだったので新宿コマ劇場まで一人で観に行った。

 

 女子高特有の雰囲気が始めから終わりまで流れている映画だった。男一人で観に行く映画ではなかった。

 ただ一か所、主人公の宮澤美保が言った台詞が心に残った。

 

 「私たちは毎年生徒が変わっていく訳で・・・。先輩たちは今年卒業していってしまう訳で。それなのに毎年同じように咲く桜って何か憎いっていうか・・・」

 

 詳細は全然違うと思うが、記憶だとこんな台詞だった。

 

 若いのに面白い所に目が行くんだなあと思った。いや、この台詞は宮澤美保が考えたのではなく、脚本家のおじさんが考えたものだろう。

 

 2つ上の男の先輩がこの映画を観に言ったと話していた。「男一人で言ったんですか! 男一人で行く映画じゃないでしょ!」と僕は先輩に言った。

 「おまえは誰と行ったんだ?」という突っ込みを待っていた。「僕も一人で行きました」と言って二人で笑うつもりだった。でも先輩は突っ込んでくれなかったので、後輩の先輩への失礼な言動は、笑いに変わることなく失礼なまま終わってしまった。

 

 その先輩は僕に「映画の中に面白い台詞があった」と言った。

 それは僕が心に残った先ほど言ったところと全く同じ部分だったので少し驚いた。

 

 でも先輩の見方は違った。

 

 「ああ言うけどさ、あれはおかしいよ。俺らから見れば同じ桜がまた咲いたと思うけど、それは去年咲いていたものとは違う。同じに見えるだけだ。桜から見たら俺たちも同じに見られるもかもしれない」

 

 「なるほどなあ」と思った。

 

 彼は誰もが知っている大手飴メーカーに就職した。

 辞めていなければ学歴もそこそこの彼は〇〇部長くらいになっているのだろうか。彼は出世するタイプかそうでないか微妙な性格だった。

 

 いずれにしろ彼は何千億個もの飴を作ってきたわけだ。直接工場で作ることはなくても何千億個の飴の製造に関わってきたわけだ。もっと多いかな。見当がつかない。

 

 その飴はすべて同じだが、どれ一つ同じものはない。

 

 般若心経の「色即是空 空即是色」の世界。んっ? ちょっと違うかな。

 

 花びらを吹き飛ばされた桜を見ながら、昔観た映画と一風変わった飴先輩のことを思い出した。

 

 豊橋の街を歩いていると、風に飛ばされずにわずかに花を残した桜がある。

 

 健気に粛々と散るのを待っている姿が意地らしい。

 

 桜も僕のことをそう思っているのかもしれない。

 

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(強風が来る前の日に車から撮った写真)