高校2年生の時の漢文の先生はとても個性的だった。
老け顔ではあったが、当時で30歳を少し越えたくらいの年齢ではなかっただろうか。たしか記憶だと元々は塾の先生だったと聞いた気がする。
当時の僕らには正規の先生と講師の違いは全くわからなかったけど、今思えばそのS先生は講師だったと思う。
当時、Mr.オクレという芸人がいた。きっと今でも現役だと思うがあまりテレビでは見なくなった。
S先生はMr.オクレに似ていた。顔は決してそっくりではないのだが、時々声のトーンがそっくりになるのだ。顔はそっくりではないとはいってもかなりオクレ寄りの顔だったと思う。
僕たちはS先生のことをオクレと呼ぶようになった。
おとなしい女生徒も「オクレ先生」と呼んでいた。
本人の前で呼ぶわけではないのだが、当然本人の耳にも入っていた。
でもオクレ先生はMr.オクレを知らないと言っていた気がする。
オクレ先生は間違っても冗談は言わない。決して怒らない。たまにニヤッとはするけれどほとんど笑わない。
ある先生はオクレ先生のことを「あの人は先生というより学者気質だね」と言っていた。オクレ先生は新任の先生紹介の紙に「尊敬する人:陳舜臣」と書いていた。それが誰だかわからず、僕たちも変わった先生だと思うようになった。
僕たちはあまり良い生徒ではなかったので、オクレ先生はもう学校の先生はやめて塾の先生に戻りたいのではないかと僕は思っていた。
そういえば「朴訥」という言葉はオクレ先生の授業で知った。
漢文の教科書に「朴訥」という言葉が出てきたのだが、僕はその言葉を知らなかった。
オクレ先生は珍しく、教科書から少し脱線した話をした。
「僕は昔からおとなしかったから、家庭訪問に先生が来た時、先生が『オクレくん(下の名前を言ったけどさすがに下の名前は覚えていない)は本当に朴訥な子で…』と言ったんだけど、うちの親はその言葉はわからなかった」と言った。
ただそれだけのことだが、オクレ先生がそんなプライベートなことを言ったのは初めてだったので今でもよく覚えている。おかげで「朴訥」という言葉をすぐ覚えた。
高校3年生になってすぐに離任式があった。
オクレ先生が学校を去るという噂はあったがみんな信じていなかった。
さっきも言ったが、当時は講師という存在を僕たちは理解していなかったので、新任でやってきた先生が1年でいなくなるはずはないと思っていた。
でも離任式で壇上に上がる先生たちの列の最後尾にオクレ先生がいた。
オクレ先生だけ背中を丸めて申し訳なさそうに見えた。まるで市中を引き回されているようだった。
壇上で離任される先生が揃うと誰かが、「あっ、オクレだ!」と言った。
みんな1年で去ることに驚いていた。
そして勝手なことを言い出した。
「俺たちひょうきん族の収録が忙しくなった」とか、「間違えて壇上に上がった」とか、「勝手に上がった」とか……。
でもみんな思っていた。
たった1年で去っていくのは僕たちのせいだと。
1人ずつ先生が挨拶をした。結婚退職をする英語のN先生は少し涙ぐんでいた。
そして最後にオクレ先生の挨拶の番がやってきた。
その時、予想していなかったことが起きたのだ。
オクレ先生はマイクに向かって最初に「あの~」と言った。
その時の「あの~」がよりによってMr.オクレそのままの言い方だったのだ。モノマネ芸人かと思うくらいにそっくりで、体育館の中は大爆笑になった。
笑ってはいけない場面だということはみんなわかるのだが、本当にそっくりだったのである。びっくりするくらい。僕も笑ってしまった……。
諸先生方は生徒たちが何を笑っているのかわからなかったと思う。
そして申し訳なかったのは新1年生に対してだ。彼らはオクレ先生を知らない。今の「あの~」が本家にそっくりだったということもわからない。
「こんな場で大爆笑するとはなんて失礼な上級生だろう」と思ってその高校を選んだことを後悔したのではないかと思った。申し訳なかった。
そしてオクレ先生、ごめんなさい。
「どうしてここで笑いが起きるのか、全くわからないのですが……」と戸惑いながら話をしていた。
朴訥な人柄を表す短くて生真面目な挨拶だった。
そして3年生になると漢文の先生はとても怖い先生になった。
誰かが立たされて厳しく叱責されていたりなんかすると、僕は運動場の向こうの散ってしまった桜の木を見た。
あれから35年。オクレ先生は今どこで何をしているのだろう。
独身だったけど結婚はしただろうか。
なんで「あの~」がウケてしまったのかまだ疑問に思っているだろうか。
オクレ先生は今意外と日本講演新聞の読者だったりするかもしれない。
先生が好きな陳俊臣を今度読んでみようと思います。