高校生の時に『草の花』という長編小説を読んだことがある。

 同性愛の男子高校生が出てきたことを覚えている。読んだのは35年以上前だが、その他にも少し断片的に覚えている場面がある。今は3年前に読んだ小説の内容をほぼ全部忘れていたりするが、若い頃に読んだ小説は結構覚えていたりする。

 

 書いたのは大正生まれの作家・福永武彦である。彼の作品を読んだのはこの1冊だけだと思う。

 

 僕が高校2年生の時の現代文の先生はまだ大学を出たばかりの若い女の先生だった。今思うとたった6歳しか歳が違わない。小柄な先生だった。

 1年生の時の現代文の先生はおばあちゃんだった(先生、ごめんなさい その1 | 山本孝弘中部支局長のブログ (ameblo.jp))のでずいぶん若返った。

 

 その先生が授業中に少し授業を脱線した話をした。細かいことは全く覚えていないが、「男でありながら出世欲がなく、ただお金がもらえればいいというスタンスで働いている人はつまんない」みたいなことを言ったと思う。

 

 別におかしいことを言っているとは思わない。その時も思わなかった。

 

 その日、何かの感想を書く時間があった。

 書き終わって時間が余った僕は、ただ何となく先生のその発言に対して感想を書いた。

 「うちの父は貧乏だったから高校に行けず中卒。いまだに全く出世しておらず、お金を稼ぐためだけに働いているけど、それでいいと思ってる」みたいなことをだらだらと長く書いたと思う。

 深い意味は全くない。ただその時の僕は文章が書きたかっただけだと思う。でもこれが先生を傷付けた。まだ22歳か23歳の先生は「不用意な発言で生徒に嫌な思いをさせた」と思ってしまったのだ。

 先生、ごめんね。

 

 その翌日か、翌々日、朝廊下でその先生に会った時にいつものように「おはようございます」と言うと先生は僕の顔を見てビクッとなった。

 その理由がわからず僕の頭の中が「???」になった。

 

 理由は次の授業でわかった。

 前回書いた感想に、先生が一言加えて返されたのだ。

 そこに先生から謝罪の言葉が書かれていた。

 あれには本当に驚いた。

 あの頃の僕は文章というものを何も考えずに書いていた。落書きとほぼ同じ感覚で書いていた。でもそれではいけないとあの先生から教えられた。

 先生は最後に、「こういう文章はとっても怖いけど、とっても嬉しいです」と書いていた。

 僕の文章が先生を傷付けたことがよくわかった。

 

 謝りに行こうとしたけどそれでは逆効果のような気がした。

 それで思い出したのが、以前先生が大学生の時に研究していた作家のことだった。その作家の名前は忘れていた。

 

 少し日を開けて、1週間くらい経った頃、昼休憩にその先生に会いに職員室に行った。

 僕は「先生が以前言ってた作家って誰だったっけ? おすすめの作品は何?」と聞いた。

 そこで聞いたのが福永武彦の『草の花』だった。

 

 僕たちの卒業後、先生は体育の先生と結婚したと聞いた。

 幸せに生きてくれていたらいいなと思う。