恐山参拝、前回の続きですm(_ _)m
観音様に手を合わせて小さな川を渡ると、、、
賽(さい)の河原に到着します。
あの世とこの世の間に流れる三途川の河原のこととされていますが、恐山境内に流れる小さな川のほとりも、そう命名されていました。
親より先に亡くなってしまった子供が、親の供養のために石を積み上げて作ると言われる石の塔がいくつもありました。
作っても、その都度地獄の鬼が現れて崩してしまうとも言われています。
そのためか、そばにはこのように水子供養御本尊もありました。
一番上の写真の、賽の河原の看板後ろに建っている建物が、こちらの八角円堂
後ろの、今はきれいに色づいている山から死者の魂がここに降りてくると言われている場所です。
そのため、中にはたくさんの衣服が供えられていました。
この八角円堂の脇を通って進んでいくと見えてくるのが、
血の池地獄
強酸性の水に鉄分が溶け出して赤く見えるそうなのですが、今はめっちゃきれいな水で、後ろの山の紅葉がはっきりと水面に写っていました( ̄□ ̄;)!!
元々きれいな水で、恐山大祭の時などに雰囲気を出すためにわざと赤く色を付けているって説もあるみたいですが、実際はどうなんでしょうねぇ・・・
この血の池地獄を過ぎると賽の河原が広がっていき。。。。。
見えてきました、宇曽利(うそり)湖。そして、手前に広がる砂浜が、極楽浜です。
岩肌むき出しの光景を抜けて広がるこの景色は、まさしく極楽浄土
以前はもっと風車や献花・お供えや石塚などがあったような気がしたんですが、今回はほとんどありませんでした。
恐山に訪れる人もかなり減ってるのか、こういった場所にもコロナの影響があるのかもなぁと思いながら眺めていました。
でも、所々でこうやって石が積み上げられてて風車が刺してある場所があります。
さらに極楽浜にはこんなものまであります。
このようなものはなかったよなと思い恐山マップで確認してみると、『東日本大震災供養塔』とのこと。
東日本大震災が起こったのが2011年。私が前回恐山に訪れたのが2008年で震災前だったので、なくて当然w
震災で亡くなられた方々の魂を極楽浄土へ導くようにとの想いで、ここ極楽浜に震災の翌年2012年に建立されて、毎年供養祭が行われているみたいです。
菩薩の両側にある細長いものには鐘が設置してあり、鳴らすことができます。
向かって右側が鎮魂の鐘。向かって左が希望の鐘。
右の鐘を鳴らして震災で亡くなられた方々の魂を鎮め、左の鐘を鳴らして希望に満ち溢れた世界に復興していくように祈りを捧げてきましたm(_ _)m
菩薩の裏に回り込んでみると、石碑に無数の手形が
手のひらを合わせて念じてきました。
石碑の上には、大きなカラスが1羽止まって羽を休めていました。
しっかりと祈りを捧げ、極楽浜の景色に見惚れてしばし佇み物思いにふけったら、次へと向かいます。
極楽浜を通って宇曽利湖に流れ込む小さな川には、一本の木製の橋が架かっていて、それを渡って先へと進みます
ちなみに、これは渡ってから撮った写真です
で、この橋を渡ったらあるものが、、、
無 縁 佛
供養してもらうことのできない、彷徨える魂のこと。
その全てが、拠り所を求めてここに集まってくるのでしょうか。。。
みんな極楽浄土へ行きたいんですよね。。。。。
そんな無縁佛とも別れを告げ、極楽浜を離れていきます。
少し進むとまた坂になってきて、少し小高い部分へと登っていきます。
先ほどまで極楽浜のほとりを歩いていた宇曽利湖も少し遠くへと離れ、穏やかな姿を見せていました。
ここからのこの景色だと、恐山って感じ全くしなくて、山あいにある湖付近の景色の良い場所
でも、実際はここは恐山
さあ、恐山地獄巡りも佳境へと入っていきます