「あなた何を言ってるの?」
 レイヒメが男に向かって言った。
「君達が手を出す必要はないと言っているんだ」
 男はニーナに向かって歩を進めた。まるで無人の草原を歩いているかのように、男は立ち止まることはなかった。そんな男を見て、アヤカが男に向かって言った。
「その子を殺しちゃダメ!」
 アヤカがニーナに向かって走りだそうとした。しかし、そんなアヤカをレイヒメが押さえ込んだ。
「アヤカ! 今行っちゃダメ!」
 レイヒメが必死にアヤカの体を抑えていた。
「心配するな。あの者が誰であろうと、殺すつもりはない」
 男は一度視線をアヤカに向けると、小さく微笑んだ。男のその笑みを見たアヤカは、なぜかその男が信じられる気がしていた。
「レイちゃん、もう大丈夫……」
 アヤカはレイヒメの手を掴むと、その手を下ろした。レオノーラとレイヒメは、お互い顔を見合わせた。
「きっと、なんとかしてくれる気がする……」
 アヤカが小さな声で呟いた。
 
 エルフがダークエルフに変貌すれば、二度とその身からダークエルフの本性は消えない。二度と元のエルフには戻れない。エルフ一族の間で、古より伝わる伝承だった。今、目の前にダークエルフとなった妹の姿がある。アヤカは自分の心臓が高鳴るのを抑えるのに必死だった。
「ちっ! まだまだ!」
 フレアスは、相変わらずニーナの攻撃を避ける事で手一杯だった。ニーナに近づく男が何者であれ、その手助けをする余裕を作り出すことが困難だった。だが、男とレオノーラ達の会話を聞いていたフレアスの行動が僅かに変わった。
「ニーナ! そんな攻撃じゃ、俺を倒す事はできないぞ!」
 明らかにニーナを挑発するフレアス。男は、フレアスの言動が変わった理由を理解していた。ニーナの攻撃は、フレアスに向かって的確に放たれていた。フレアスは、ニーナの放つ複数の矢をかわし、時には剣で打ち落とした。見た目以上に破壊力のあるエルフの矢を、フレアスは剣で凌いでいた。人間であれば、既に剣を弾き飛ばされているほど、ニーナの矢は破壊力を纏っていた。
「ニーナ! それで終わりか!?」
 フレアスの挑発にニーナの表情が僅かに曇った。ニーナが十数本の矢を同時に放つと、すぐに弓を天に向かって構えた。
「貴様の命を終わらせてやろう!」
 ニーナの容赦ない言葉が何を意味しているのか、フレアスは咄嗟に感じた。
「まずい!」
 フレアスは、ニーナから一気に距離をとる。
「イマジレインアロー!!」
 十数本の矢が天に向かって放たれた。フレアスは予想外に少ない矢を見て、僅かな安堵を覚えた。
「フレアス!! もっと逃げて!!」
 アヤカの叫びが森に響き渡る。
 天に放たれた矢は、上空で無数の矢に分裂し、更に天に向かう。そして、天空に位置する直前、更に矢は分裂した。
「な……なんだ!?」
 フレアスは、上空の矢の影を見ながらニーナから距離をとっていた。そして、ニーナが天に向けた弓をフレアスの方へ向かって振り下ろした。ニーナの行動が合図となり、天空の矢が一気にフレアスに向かって降下していった。
「なっ!」
 フレアスの表情が一気に曇った。
「フレアス!!」
 レイヒメがフレアスに向かって叫んだ。自らの魔法力がなくなり、フレアスを守れないもどかしさが、レイヒメの心を締めつけていた。ニーナの矢は降下中の際も、幾重にも分裂を繰り返していた。既にフレアスの上空は、暗雲が立ち込めているかのように、ニーナの矢で埋め尽くされていた。
「そのまま逃げて!」
 アヤカが叫んだ。フレアスは、アヤカの言葉に誘われるかのように、ニーナから距離をとった。
「逃げ切れるものか!」
 ニーナがフレアスに向かって呟いた。上空の矢がひとつの意思で動いているかのように、フレアスに向かって飛んでいった。ニーナの矢がフレアスに向かうと同時に、ニーナの背後から様子を見ていた男が動いた。
「あの人……」
 男の動きにレオノーラが気づいた。男はニーナの背後の木陰から、一気にニーナへと距離を縮めた。その男の気配にニーナが気づいた。
「気づかれたわ!」
 レオノーラが叫んだ。しかし、男はニーナ目掛けて一気に走った。
「危ない!!」
 レオノーラが叫ぶと、アヤカが小さな声で呟く。
「いえ……今しかないタイミングだわ」
 三人は、フレアスから視線をはずし、男とニーナを交互に見ていた。背後から来る男に、ニーナは視線を移した。しかし、ニーナの表情は、先程と違い無表情ではなかった。
「今、ニーナはフレアスに対しての攻撃に自分の全てを使っているから、あの人に矢を放つ事ができないの」
 アヤカが二人に説明するように言った。
「どういうこと?」
 レイヒメが聞いた。
「フレアスに放った攻撃は、自分の神経を全て集中しないといけない技なの。だから今、ニーナはフレアスから神経をはずす事ができない……今が唯一のタイミングってことなの」
「じゃあ、私の神速でもいけたんじゃない?」
 レオノーラが言うと、アヤカが困ったような表情をした。
「もしかすると……。でも、絶対の確信がなければ友達に頼めないよ」
 アヤカが言った。
「どういうこと?」
 レオノーラが聞いた。
「レオが、今のニーナを一撃でなんとかできないと、今度はレオに攻撃が移っちゃう。そうなったら、手が打てなくなるから……」
 アヤカの表情がわずかに曇っていた。
 
「貴様は誰だ!」
 ニーナが、背後から迫る男に向かって言った。
「それはあとからゆっくり教えてやるさ……」
 男はそういうと、ニーナに向かって拳を突き出した。ニーナは、フレアスに対する意識を切ることなく、ギリギリのタイミングで男の拳を交わした。そして男から大きく距離をとった。それと同時にフレアスに視線を向けた。
「俺と面と向かっている時に、余裕はないはずだぞ!」
 男はニーナとのっ距離を一気に詰めた。ニーナは小さく舌打ちすると、男が放つ拳を右へと交わしながら、男の鳩尾目掛けて蹴りこんだ。しかし、その蹴りを、男は左腕で受け止めると、ニーナは宙に舞っていた。
「な……」
 ニーナは宙で体勢を整えると、地面に着地した。
「ほぉ……、なかなかよい動きをするじゃないか」
 男がニーナの正面で構えをとった。男の攻撃で、フレアスからの意識が切れてしまい、上空から襲い掛かる矢の殆どが、その姿を消した。残った矢は減ったものの、フレアスに向かって一直線に飛んでいた。
「フレアス! 矢を打ち落として!」
 レイヒメが叫んだ。フレアスは、レイヒメの言葉が聞こえると、その場で体を反転させ、留まった。上空から襲い掛かる矢は、先程の空を埋め尽くしていた数に比べ、圧倒的に減っていた。フレアスは技の本質に気づいた。
「なるほど……」
 自らの剣を構え、迫る矢に意識を集中させた。
「殆どは幻よ! 本物だけを打ち落として!」
 アヤカが叫ぶと、フレアスは口元を緩ませて小さく呟いた。
「了解」
 フレアスの近くまで迫った矢を、剣で打ち落とした。そして、次々と襲い掛かる矢を、フレアスはまるでダンスを踊るかのように、華麗にかわし、いくつかの矢は剣で打ち落とした。しばらくすると、上空からの矢は全て地面に突き刺さっていた。
「少しでも疑いを持てば、全ての矢が本物になるわけか……」
 フレアスは剣を肩に担ぎ、地面に突き刺さった矢を暫く眺めていた。
 
「貴様……」
 フレアスへの攻撃に失敗したニーナが、男に向かって怒りの表情を向けた。
「やっと本気になれる……か?」
 ニーナの殺気に、男は口元を緩めていた。
「お前だけはこの場で殺してやる!」
 ニーナが男に襲い掛かった。ダークエルフとしての闘争心が、ニーナの体を支配していた。男はニーナの攻撃を、全て両手で捌いていた。まるで子供がじゃれているだけのように、男はニーナの攻撃を全ていなしていた。
「戦闘種族のダークエルフも大した事はないな」
 男はニーナの攻撃をするりと避け、ニーナが男に蹴りこんだ足を掴んだ瞬間、ニーナの体が宙を舞った。先程と違い、男の技のキレは比べ物にならない程鋭かった。それでもニーナはそれを体を回転させ、なんとか地面に足をつけた。
「これで終わりだ」
 ニーナの背後から声が聞こえた瞬間、ニーナの背に凄まじい衝撃が走った。


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