この話は、今から百数十年前の小さな港町で起こった不思議な物語です。
港町で小さな庶民料亭を営んでいる佐助という男がいました。
佐助の料亭は、今で言うところの大衆食堂で、それなりに繁盛していました。
その理由は、まず安くておいしい。
料理の材料は主に魚ですが、その魚も取れたてばかり。
それと野菜も深夜から裏山に自分が採りにいくのです。
佐助自信が利益をほとんど求めないためにどれもが低価格だったので、店自体が繁盛していた。
そしてなんと言っても佐助自身の人の良さ。
お金がなければ、つけが利く。
何年経っても、無利子。こんな人格なのだが、誰もが踏み倒したりしない。
それどころか、つけもほとんどが翌月にはかえってくる。
この町になくてはならない料亭になっていった。


そんなある日、いつものように山菜を採りに裏山に行くと不思議な香りがした。
それは佐助自身が生まれてこのかた嗅いだ事のない香りだった。
なんともいえない甘い香りでその香りに引きつられる香りだった。
佐助はそんな不思議な香りを追って、裏山の洞窟へと辿り付いた。
「ここは一体……?」
佐助は今までにこの裏山のほとんどを歩きまわったはずなのだが、この洞窟ははじめて見た。
佐助は、この洞窟からかおる香りを辿って中へと入っていった。
その洞窟は、中に入ると一段と強くなる香りと裏腹に、とてもやさしい香りへと変わっていった。
「いったい何の香りだ? 誰かが何かを作っているのか?」
佐助の中で何かモヤモヤした気持ちが膨らんでいった。
「おーい! 誰かいるのかぁ?」
佐助の声が洞窟の中で響き渡る。
しかし何の返事もない。
佐助はまた洞窟の中へと歩き出した。

いったいどれだけ歩きつづけたのだろうか。
佐助はだんだん重くなる足を気力で振るいだして歩きつづけた。

空が明るみを帯びだした頃、佐助は洞窟から抜け出した。
そこは、見たこともない一面花で埋め尽くされた場所だった。
そして、その花から先ほどから引きつけられる香りがしていた。
「こんな花、見たこともないぞ?いったい何の花だ?」
佐助が興味津々に見ていると、背後から見知らぬ女性が返事をした。
「その花は、優味変毒という名の花です」
そう答えたのは、優しい笑顔の女性だった。
「ゆうみへんどく?」
佐助がそう言うと玲子は優しく頷いた。
「これはあなたが育てたのですか?」
「はい、そうです」
玲子は優しく微笑んだ。
「あっ!」
佐助は思い出したかのように、
「すみません。勝手に入ってしまって……」
佐助はすまなさそうに、頭を下げた。
「いえいえ、気にしないでください。別に立ち入り禁止って訳じゃありませんから。それに、この花も私がお世話しているだけで私だけのものではありませんから」
玲子はそういって、「どうぞ」と言ってくれた。
「この花摘んでもよろしいのですか?」
佐助がいうと、「はい」と頷いた。
「この花は料理にも使えるのですか?」
佐助が聞くと、
「えぇ、この花はとってもおいしいのですよ。それに、あなた見たいな料理人に調理していただければ、きっと素晴らしい料理になると思いますよ。」
「そうですか?」
ちょっと照れた佐助は、背負っていた籠いっぱいに花を摘みました。
「ありがとうございました。ところで貴方は……?」
女性は笑顔で佐助に言った。
「私は、三樹玲子と言います」
玲子は佐助の顔を見て笑顔で微笑んだ。
「三樹玲子さん……ありがとうございます」
佐助はそう言って、帰ろうとしました。
そのとき玲子が、一言佐助に約束を言った。
「その花は調理する人を自ら選びます。そのことだけは覚えて置いてください。」
玲子はそういうと、歩いて消えていった。
佐助は玲子が言った意味も理解できないまま洞窟を戻っていった。

佐助が戻ると、すでに昼を回っていた。
港町のみんなが行列を作って開店を待っていた。
佐助はその行列を見て走って裏口から戻った。
佐助は、今日の仕込みをしていなかったので慌てて料理を作っていった。
そんな状態でも一切手を抜かないのが佐助のよいところであった。

佐助が今日摘んできた花は料理には使わなかった。
それは、今までに使ったことがない材料だったからだ。

佐助はこの花をいろいろな料理にいろいろな使い方をしてみた。
「この花は素晴らしい。炒めても、焼いても、炊き込んでも全然香りも味も損なわれない。むしろ他の材料の味を引き立てる役割をしてくれる。」
佐助は感動し、その花を使った料理を次々に作り出していった。

翌日は、その香りで客を引き、今までにないくらいの行列を作り出した。
そして噂が噂を呼び、隣村やその隣村からも客がくるようになった。

そして数日後、驚くべきことが起こった。
それは、裏庭で保管しておいた花が回りに種を蒔き芽を出していたのです。
しかし、この花を見たのもはじめての佐助には、管理できなかったのです。
そこで、洞窟を探し裏山を歩きまわったのですが、なかなか見つかりませんでした。
諦めかけたそのとき、また甘い香りが佐助の花をかすめた。
佐助はこの香りを頼りに洞窟まで辿りつき、花畑まで辿り着きました。
「すみません」
佐助が呼びかけるとどこからともなく玲子が現れた。
「いかがいたしました?」
玲子は相変わらず優しく微笑んでいた。
「あの、すみません。先日いただいた花が種を蒔いて芽を出したのですがどうしたらよいのか分からなかったので尋ねにきました」
佐助がそういうと、玲子はクスクスと小さく笑い出しました。
「そうですか。芽を出しましたか。よっぽどあなたが気に入ったのですね」
玲子は小さく笑っていた。
佐助には玲子が言っている意味がよく分かっていませんでした。
「どういうことですか?」
佐助が尋ねると、
「前にも言いましたが、あの花は調理する人を自ら選びます。もしあの花があなたを気に入っていなければ、きっと今ごろすべて枯れていると思いますよ?」
玲子は相変わらず微笑んでいた。
「それから、あの花は何もしなくても勝手に育ちます。花のことは気にしないで甘い香りがしたら摘み頃です。構わず料理に使ってあげてください」
玲子の優しい笑みをあとに、佐助は町へと戻っていった。

佐助はそれから花を使った新しい料理を次から次へと作っていった。

そんなある日、佐助の気持ちの中でいろいろな疑問が湧きあがっていった。
「いったいこの花は何なのだろう?それにこの花に名づけられた名前。花が料理される人を選ぶ。なぜそんなにいろいろなことを玲子は知っているのか。もし花に選ばれない人が料理した場合、いったいどんな料理ができるのか?」
そんなことを考えているうちに、佐助は玲子と会って全てを聞こうと決意した。

佐助は、洞窟を探して歩いているとなぜかどこからも香りがしなかった。
それはまるで佐助を玲子が拒んでいるかのように。
佐助はそれでも歩いて探し回った。
しかし森の中からはそれらしい洞窟も、それらしい香りもしなかった。
歩き疲れた佐助は、町へと戻っていった。

それから佐助は毎日洞窟を探しに歩き回ったが、辿り着くことはできなかった。

そんなある日、一人の料理人が佐助の店の噂を聞きつけ店へとやってきた。
そして、佐助の料理を食べた彼はそのおいしさに惹かれ店で雇ってもらえるように佐助に頼み込んだ。
佐助は、どうしてもと言う彼に店を手伝ってもらうことになった。
「佐助さん。この花は何に使うのですか?」
その料理人の質問に、佐助は笑顔で答えた。
「それは、どんな料理にも合う最高の材料です」
佐助の作っている料理を彼は食い入るように見つめていた。
そして佐助の仕事を手伝うようになって一週間が経ったある日、彼は佐助に言った。
「私にもその花を使った料理を作らせてください。」
佐助はそのことには何も答えなかった。
(……彼は確かにいい料理を作る。しかしこの花に選ばれるのだろうか?)
佐助は胸に不安がよぎった。
佐助は、彼が花に選ばれた人かどうかを確かめる為、花を指差して言った。
「料理は少し待ってください。その替わりにこの花を育ててみてください」
彼はその言葉になぜか喜んで礼を言って籠に花を半分くらい摘んで帰っていった。

そして彼は、家でその花のほとんどを植え、そして一部を売人に売ってしまった。
「この花はどんな料理にも合う、最高級の調味料だよ」
彼は業者にその花を高値で売った。
そして、植えてあった花の一部を摘んで料理を作り始めた。
完成した料理はその香りだけで空腹を誘った。

彼がためしにその料理を食べたとたん彼はもがき苦しんでいった。
「う、ぐぅ……ぐわぁ……!」
彼は苦しみに悶え、そのまま倒れこんだ。


佐助は彼が店に来ないことを心配し、彼の家へ行ってみると、そこにはすでに息を引き取った彼が床に転がっていた。
そしてテーブルに置かれたその料理からはとてつもない異臭が漂っていた。

彼の部屋の押入れの中からは、佐助から貰った花が全て枯れ散っていた。
「いったいなぜ・・・?」
佐助の頭はこの状況を理解できなかった。

佐助は、慌てて森へと走っていった。
そして森ではすぐに香りを見つけることができた。
佐助は走って洞窟を抜け、花畑へと辿り着いた。
そこでは、玲子が優しい微笑みを浮かべながら花の手入れをしていた。
「あの花はいったい何なのですか?」
佐助の声に驚いたように玲子は振り返った。
「いったいどうなされましたの?」
玲子は不思議そうに答えた。
「先日、うちの店を手伝ってくれる料理人がいたけど、彼が自分で花で料理をして食べたところ死んだんです。一体どういうことですか?」
彼は、パニックのまま玲子に問い詰めた。
「そうですか? その彼死んでしまったのですか? ……残念です」
玲子は寂しそうにそう答えた。
「私は、あなたのような方に料理してもらいたく、あなたの世界へ。あの花を外の世界へ出したのですが……。そうですか、やっぱり外に出すべきではないのですね」
玲子の言葉に佐助は疑問を抱いた。
「外の世界? い、一体どういうことですか?」
佐助の疑問は全く別の方向へと向いていった。

「ここは、あなたの世界とは違う世界です。ここへは誰もが来ることができるわけではないのです。むしろこの世界へ来ることができたの人は、今まであなた一人だけなのです」
玲子はニコッと微笑んで歩き出した。
佐助は玲子の後について歩き出した。
「この世界には私一人しかいません。わたしも元はあなたと同じ世界に住んでいました。それに、私もあなたと同じ料理人でした。私は、先代にこの世界へと連れてこられました。それが大体五百年くらい前になります。私はこの世界が美しくここに留まりました。あっ、でもその頃にはもう両親がいないので何も心配もなかったですけど……しかし百五十年前に先代が死んでからはずっと一人で、多少の寂しさはあったのですが、この花たちがいろいろ話してくれるのである程度は我慢することができました」
「そして、ここに僕がきたと言うことですか?」
佐助の言葉に、玲子は小さく頷いた。
「そうです。最初はびっくりしましたけど、あなたはとても優しい人だとわかったので。それにこの花たちがあなたに料理されたいと言っていたので、ここから持ち出すことを許しました。でも、それがよくなかった……」
佐助は玲子の話を聞いて考え込んでしまった。
そして玲子はまた話し出した。
「この花は、人間の考えていることやその人がどんな人かが分かるみたいです。それに自己意欲のみの人にはこの花は一切手を貸さないようです」

そうか、だからこの花は毒になったんだ。
佐助はやっと木の花の名前の意味がわかった。
味の優れた花だが、それは花に選ばれた料理人にのみ与える味。
もし、花に気に入られなければその花は一変して毒に変わる。
そういうわけか……。

佐助は、やっと意味を理解したのだがそれと同時に不安が広がった。
「心配いりません。あなたはこの花に好かれています。これからも、いい料理をたくさん作ってあげてください」
玲子はやさしい笑みを浮かべ佐助に微笑んだ。
「そうですか……」
佐助は、この花を使った料理は今後出すべきか出さないでおくべきか考えていた。
考えてはみたものの、やはり佐助の気持ちの中ではすでに答えは出ていた。
「これほどの味の調味料。きっとこの世にはふたつとないでしょう。お客さまに喜んでいただけるなら、僕はただ作るだけです」
佐助は、気持ちをはっきりさせ玲子に向かってニコッと笑った。
そして佐助は続けて話しだした。
「そこであなたにお願いがあります……」
玲子は佐助の顔をみて「はい、なんでしょう?」っと答えた。
「あなたに私の店を手伝っていただきたいのですが……」
佐助の言葉に玲子は唖然とした。
玲子は、とても困った顔をして佐助を見た。
なぜなら玲子は決してここから出られないことを知っていたのだ。
「ここで生活することを決めた時から、ここから出ることは叶わないのです」
玲子の言葉に、佐助は言葉を失った。
佐助は玲子に深々と礼をして歩き出した。
「……ありがとうございます」
玲子は佐助に頭を下げ、森の奥へと消えていった。

それから、佐助は今の店で数十年商売を続けた。
嫁を貰い、子供も授かり幸せな生活を続けた。
しかし、佐助は自分の子供にあの幻の花『優味変毒』をつがせることはなかった。

いつかまた、あの洞窟を見つけ、自分の手で手に入れる人が現れるまで……。

佐助は、花の存在を封じたのでした。




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