【高土新太郎、いか八朗師匠様の、珍談奇談怪談話を。】 | お笑い演芸ゆるゆる寄席!のブログ

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◎◎◎重度の認知症、アルツハイマーの噂⁉️も有った。日本を代表する珍優で、テルマエロマエの可愛いおじいちゃんとして、白木みのるさんを俺は越えたと、言っていた。たこ八郎さんの、モノマネパクリで、いか八朗師匠様は、昭和の芸人役者ヨゴレチャンピオン浅草芸人なのに、何故か、ワンポイント映画珍優として。たこさんが海で溺れて亡くなったのに、便乗商法。蒲田のドッキリカメラのテレビコマーシャル。コンビニエロ本雑誌の、風俗レポーターの、キャラクターとして、まだ映画監督になってなかった。林海像監督と、コンビで、連載風俗レポーターで。映画珍優になるチャンスに。林海像監督の、横浜舞台の、濱マイクシリーズに。レギュラーメンバー入り、チャンスを掴む。テレビコマーシャルも、深夜物でテレビ東京、一部テレ朝系の、深夜マイナーだったが。「たこが海からいかになって帰ってきた。いか八朗師匠がコントラバス奏者歌う、ユニークなもので、話題に。そんなこんなで、浅草芸人から役者ヨゴレ芸人への道が開けた。元々、芸能界は、大阪マーキュリーレコードの、作曲家としてだった。