皇道經濟について(五)皇道經濟我觀と近未来 | 皇道經濟でみんなに十億円!^0^♪のブログ

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どうも皆さん!垣内政治です。

「皇道經濟でみんなに十億円!」

今日も、ゆるゆると語らせて頂こうと思いますので、
しばらくの間、おつきあいくださいませ。

 

 

#カッキーさんの【皇道經濟について(五)】

「皇道經濟我觀と近未来」 

みなさん、こんにちわ♪
お久しぶりです。

合法非公認政党 皇道經世濟民党
初代党首 垣内政治

です♪

さて、早速ですが、本日は、前回、拝読させて頂いた
出口王仁三郎聖師の「惟神の道」より、

「皇道經濟我觀」

を、現代的視野で見直しつつ、
私なりの近未来へのヒントを考察したいと思います。

   〇    〇    〇

出口王仁三郎著「惟神の道」より

      皇道經濟我觀

*****
          皇道

 畏くも萬世一系の皇統を繼承し給ひて、日本皇國に君臨し、
地球上における主、師、親の三徳を具備し給ふ天津日嗣天皇が、
天下を安國と平けく知食し給ふ、乾靈授國の御本旨を達し給ふ、
大御經綸の神法神則を、皇道と稱へ奉るのである。

故に皇道に向ふ者は永遠に富み榮え、無限の歡喜に滿たされ、
これに反する者は行き詰り、
底知れぬ暗黒無明と悲しみの破壊世界に置かれるのである。

これは丁度太陽に向ふものが照らされ、
反する者は絶対に照らされぬと同様である。

*****

先ず、結論から申し上げますと、

「『皇道』に従う者は末永く栄え、背反する者は遅かれ早かれ滅びに向かう」

という一行に要約することが出来るということであります。

これについては、かつて京都の綾部の老女、
出口直大本開祖の口と手を借りて現れた
艮の金神 國祖 國常立尊 の神諭にあります通り、

「この方は従うて来たら何処までも優しい神なれど、
 毛筋の横幅程でも敵対うて来たら、
 これ以上ないというほど怖い恐ろしい神であるぞよ。(大意)」

という神示そのままであると思われます。

これは、あたかも、新約聖書外典日本語訳に記される

「トマスによるイエスの幼時物語」

での幼児期のイエス様のような厳格さでありまして、
イエス様に敵対すれば忽ちのうちに命を奪われ、
イエス様を祝福すれば、呪いを受けて死んだ者も蘇生し、
事故で亡くなった者も眼前で蘇生するという
神聖で侵すことの許されぬ
絶対的な神律神則であるものの様に思われます。

これを第二次世界大戦前後の我が國にあてはめてみますと…

私の見るところによりますと…

当時、出口王仁三郎聖師が、
第二次世界大戦開戦前の昭和十年から、
「皇道」と「皇道經濟」について、
宣伝活動を断行したにもかかわらず、
日本政府はこれに従わず、
その出口王仁三郎聖師を捕えて未決監獄に幽閉し、
大日本帝国として、アジア解放を大義名分にしながらも、
その実、領土拡張目的で満州事変を興し、
また大日本帝国の旗の下、昭和天皇が止めるのも聞かずに、
真珠湾に攻撃を加えた事になります。

つまりこれは、
出口王仁三郎聖師を預言者として遣わした大日本皇國に敵対して、
大日本帝国軍が暴挙に及んだと云うに等しかったのでありまして、
如何に日本陸海軍人達が優秀であるといえども、
皇神の祝福を得ることが出来ず、
資源と人海の不利に任せて時節のままに敗色濃厚となり、
遂にはピカドンの二撃を合図に、
昭和天皇陛下の玉音放送が決行されて、
ようやく強制的に終戦出来たお陰で、
日本國民は滅亡の危機を免れたのであります。

嗚呼、我が愛する神國日本の過去の敗戦を、
どのように受け止めるべきか?

私は、この『皇道』の二文字を拝察させて頂くだけで、
その神意の絶対的厳格さを
痛感させられずにはおられないのであります。

嗚呼、愛する日本神國よ!

魔軍に占領されつつあった、我が日本神國よ!

皇神の怒りは、かの時、
獅子身中の虫どもに下されたのでありましたか…

そして現代、我が愛する皇国日本で、
再び息を吹き返した獅子身中の虫どもが、
神國日本の美名を悪用して、
世界を私せんとする悪しきたくらみを成さんとするのであろうか…

…と、私などは率直に思うのでありまして、
その想いを抑える事が出来ず、遂に、

合法非公認政党 皇道經世濟民党 を結党するに及んだのであります。

*****

         行き詰り

 今の政治家や經濟學者らには、皇道のコの字も判ってゐない、
だからその云うこと、爲すこと、ことごとくが國家に害毒を流し、
國運の進展を害し、
國民を窮乏のドン底に陷れるやうな結果になるだけのことであって、
一切萬事行き詰り破壊されて行くばかりである。

 皇道に反した総てのものが行き詰り破壊されて行くことは、
當然すぎるほど當然なことである。

故に何うあっても國民の上下が、
先づ皇道に目醒めねばならないのである。

*****

この「行き詰り」で語られることが、敗戦に向かって突き進む為に
大日本帝国上層部に潜入した魔軍の将達に発せられた預言に見えるのは
はたして私だけでありましょうか…

当時、北一輝などが提唱した「皇國史観」とは、
全く別次元にあったのが出口王仁三郎聖師であると思われ、
その為、王仁三郎聖師は「皇道大本」の名の下に、
二・二六事件の首謀者達による暗殺の危機を見据えながらも、
偽りの皇國思想によって皇室を私せんとする過激活動家達を退治するべく、
つまづく石を仕掛けていった様に、私には思えてならないのであります。

まさにこれこそが「素盞嗚尊の八岐の大蛇退治」ではないでしょうか…

「皇道大本」とは「皇道の大本」という意味なのだそうで、
出口王仁三郎聖師が説く皇道だけが誠の皇道で、
それ以外の似非英雄達が憧れた偽皇道を壊滅させるために、
それは行われたように見受けられるのであります。

まさに皇道のコの字も判っていない、狼狽え者どもに対する
怖い恐ろしいお仕置きをなさる準備が進められていたようです。

こういう厳しい前例を歴史の証拠として残した上で、尚、
愛しい愛しい日本神国民である吾々に対して、期待をかけ、
正しい道をお示しになられたのだと思うと、
私などは、その深い深い愛情に熱くなるのを止められないのであります。

やはり、世界のためには、
先ず日本人が皇道を正しく学ばねばならぬのであります。

*****
         皇道政治

 皇道政治とは、天津日嗣天皇の御親政であって、
祭政一致、一大家族制の實現實行である。

これによれば、日本人のみならず東洋人も西洋人も、
ブルジョアもプロレタリアも、総ての人が歡喜し滿足するのである。

 この皇道政治は、皇道經濟の確立より始まる。

総て宗教を信ずるのも、仁義を守るのも、道徳を守るのも、
根本は經濟である。

經濟が行き詰ってゐると義理を缺いたり
或ひは人に怨まれることもやむを得ず出て来るのである。

*****

「皇道政治の祭政一致は、他国の祭政一致とは格が違う」

というのが大前提であります。

我が國の天皇陛下は、『乾靈授國』の存在であります。

つまり天に坐します御三体の御真霊から授られた國家の象徴であります。

他国の王帝や首脳達のように人為によって立憲されたものでも、
選出されたものでもないのであります。

「乾」即ち「天」から授けられた「國」の御本旨こそが、
「皇道政治」であります。

要するに「世界を皇神の家族として慈しみ愛護教育せよ」と、
天祖直々に命ぜられて建てられたのが、我が皇国日本なのであります。

したがって天皇陛下は、上は天祖の導きに従い、
中間の指導者達を皇神の御政道によって教導し、
下万民の声に絶えず耳を傾けて愛護教育成長活躍させるの
一大使命を与えられているのであります。

これを祭政一致と申し上げ奉るのでありますから、
天皇陛下を頂かぬ他処の國々の様なわけにはいかぬのであります。

その世界一家の長として、まず責任もって世界の經濟を充実させるために
日本皇室の陛下の稜威を発揮することが許されているのであります。

この二行を理解することが出来さえすれば、
皇道教育は免許皆伝と云っても差し支えないほどのものであります。

故にこの皇国に従えば栄え続け、
この皇国に従わずに帝国を建てんとすれば、
その帝国は必ず滅びに向かうのであります。

帝国は、祭政一致に反する者達による
皇神に対する謀反を行う様なものなのであります。

*****
         皇道經濟

 今日の經濟學者、爲政者は、
総て外國の精神で頭が一杯になってゐるから、
今の金銀爲本のやり方より他に方法がないと思ってゐるが、
西洋も、その經濟方法を試みて行き詰った。

その行き詰ったやつをまた日本がやってゐる、
これではどうしても行き詰るにきまって居る。

然らば、何がこの金銀爲本の政策に代るべきか、
?ち皇道爲本、御稜威爲本、土地爲本の政策である。

*****

現代社会と戦前との圧倒的な違いは、
 
「現代には楽しい遊びがたくさんある」

ということなのではないでしょうか…

けっこうなことなのでありますが、
もしこの現代に出口王仁三郎聖師が生きてらしたら、
世直しなどを考える前に、もっと他の分野で大いに力を発揮して
活躍しておられるに違いないとも思うのでありますが、
この楽しいことがたくさんある現代で、
金銀為本の不都合さを説いて聞かせても、
なかなかまともに聞く者はいないでありましょう…

というのも正直な感想ではあります。

しかし、かと言って、戦前の生活に戻りたいかと云えば、
戻ってほしい部分もあり、戻ってほしくない部分もあります。

何年か前の「成功ブーム」の頃に
「ぬるま湯でゆっくり茹で上がって死んでしまうカエル」
の話がありました。

本当にカエルがそんなに鈍感なのかどうかは、
試したくもないので判らないのでありますが、
このぬるい現代社会で、遊惰にふけって溺れ死ぬ皆さんの事は、
なんとなく想像することが出来るのであります。

…かと云って、貧困に喘ぐ人々をなんとか救わなければ!
…という焦りもわきにくい和んだ時には、
緊張感を保つのが難しい気分になるのも無理はないのですが、
おそらく、そうなった時が最も危険なのだと思います。

尤も、休む間もなく注意していられたとしても、
直径50mほどの隕石が地上に衝突したら
東京都くらいは壊滅するという話でありますから、
経済問題も何も語ってもいられなくなってしまうとは思うのですが…

基本的に人間という生き物は、
満腹状態の時には緩慢となりますから、
好みではないのですが、こういう話を真面目にして、
皆さんに真剣に聞いていただくためには、
差し迫った危機感が、必要になるものではないのかと思いますと、
そんなことを考える自分が恐ろしくもなります。

極論を申し上げますと、
肉体の生死を超えた個性的霊魂の永続性を実感することさえ出来れば、
おそらく人間は經濟などで、あれやこれやと騒ぐこともなくなり、
日々刻々、楽しい事や、己自身を高める修行に明け暮れていれば、
みんな幸せなのではないかとも思います。

実は私も、永遠の靈界の実在を肯定する側の人間ですから、
私一人だけのことを考えて暮らしていたら、
皇道經濟のことなどかけらも考えなかったと思うのです。

「生きていればこそ浮かぶ瀬もあれ」

ですから、現代くらい発達した世の中であれば、
テレビやインターネットで妙な恐怖を植え付けられなければ、
自分ひとり食うだけのお金を作ることが出来たら、
おそらく死ぬまで平々凡々と暮らすだけのことでしょう…

しかし、人間には想像力がありますし、
古事記その他の書籍によって、
御先祖の神様が日本皇室や日本人に授けた使命は
この様なものだと学ぶことが出来たら、
世直し気分に熱くなるのも、これまた当然だとも思います。

いわゆるそれが生き甲斐と云うものだと思うのですが、
誰かの生き甲斐の為に、
他の誰かが強制的に生き方をコントロールされたとしたら、
そこに不満が生まれ、同情心が生まれ、
それを解決したいという義侠心が起こり、
そこに波乱が巻き起こることになるわけですから、
そう考えると、なんだかこれも結局、
生きている間の暇つぶしの様にも思えなくもないのです。

人間、不安や恐怖に巻き込まれている間も、
一種のスリリングなゲームの様に思われ、
皇道經濟という神策を得て、これを実現するために働きたいと
情熱を持って活動するのも、一種の高難度ゲームの様なものです。

そして、それを巡って対立関係が生まれ、
結局、敵だ、味方だということになり、
自分の信念に逆らった者達がみじめに滅んでいくのを眺めて、
己の信念が正しかったと勝ち荒ぶのも一時的な達成感で、
気づいたら自分一人しか生き残っていなかったとしたら、
いつ死んでもいいような虚しさも味わうことになるでしょう…

経済的に安心を得、生活不安もなくなり、
いろんなことにチャレンジして、己の可能性と限界に気づき、
ようやく人様の才能を素直に称賛できるようになり、
生意気な高い鼻が折れて、人々と和合して平和に過ごし、
そして皆と同じように、現世を去る時を迎える。

その間の人生で、やはり最も大切な問題は、
食糧問題ということになるような気がするのです。

途中、恋をして、
飯も喉を通らなくなるようなこともあるでしょうし、
もしかしたら意外なことで
短い人生を終えることになるかもしれない。

また、たいした才能もないのに、
ぬくぬくと長生きするだけかもしれない。

いつの間にか、極楽と云うのも退屈なものだなどと、
罰当たりなことを言い出すようになるのかも
しれないですしね…

そこで人生に緊張感を与えるために、
いろいろなハンデが設けられるのだとしたら、
皇道經濟を持ち出して、
そのハンデを取り除くのも迷惑なこと
になるのかもしれないのです…

やはり、ここは、どんな神理を知り得たとしても、
一人の人間だけが勇んだくらいで
どうにもなることでもないので、
めんどくさいことを考えなくても活動できることに、
素直に、自然に、反応するだけのことに
なるのかもしれないですね。

いずれにせよ、この皇道經濟という
最も理想的なシステムを、
全世界に歓迎されて実行するには、
まだまだ皇道教育の実行という
気の遠くなるような課題もあり、
もしかしたら途中で、
神々のちゃぶ台返しの様な、
天変地異やパンデミック、
キチガイ沙汰の大量殺戮戦争やら、
巨大隕石の落下、惑星衝突など、
何が起こるか知れたものではない世の中です。

そんな不確かな不安に怯えながら生きながらえるよりも、
私などは、果てしない夢の様なこの『皇道經濟』について、
熱く語り続ける事に専念する方が、
はるかに幸せなことだと思えてくるのであります。

*****

         至貴至尊(樽)

 抑(ソモソモ)我が國は世界無比の皇道國であって、
萬世一系天立君主立憲國であるが故に
對立する何者もない(?)絶對尊貴の國柄であり、
世界にその比を見ざる絶對の天皇國である。

 日本帝國と云ふは、根本的にあやまってゐるのである。
すべてのあやまりは、ここから出發して來てゐるのである。

外國には帝道國(立憲君主國)あり、王道國(専制君主國)あり、
霸道國(弱肉強食國)あり、爲に勢ひを得たときには、君となり、
或ひは主權者となるが、勢ひを失った時には、奴となり家来となり、
或ひは殺されてしまったりする。

さういふ風に、殆(ホトン)ど畜類に等しい政體を持ってゐる國々であるから、
金とか銀とかいふやうな形のものがなければ、皆が承知しないのである。

又それが貴重なものとなるのである。

これに反して、我が皇國には、萬世一系、
神様直々の御直系たる陛下があらせられるのである。

世の中にこれより尊い御方は斷じてないのである。

その陛下の御稜威といふものを基礎として行ったならば、
総てに行き詰りと云ふ事はなく盆々榮えて行くのである。

そこに皇道の絶對權威がある。

?ち皇道政治、皇道經濟は一の政策にあらず、
實に天定の大政道なのである。

*****

人間、様々な困難に打ち勝ってゆく人生というものも
また誇り高くも思えるものでして、
今思い出しますと、私も、十代前半くらいの子供の頃には、

「俺は誰にも頼らず、自分ひとりの実力だけで、
 どれだけやれるものか試してみたくて、
 わざと財産も、人脈もない、社会の底辺に近い家に
 生まれて来たんだ。」

などと、実に生意気なことを考えていたものであります。

そして中学生くらいの頃には、自分の人生について、
この様に考えておりました。

「俺は前世で金に困らないお坊ちゃま暮らしをして
 浮世で遊び飽きたんで、
 今度は逆に前世の功徳みたいなものに頼らず、
 自力でやってみたいから、みんなから嫌われるくらいが
 ちょうどいいんだ。」

などとひねくれたことも考えていたのを思い出しますが、
やはり前世の前世の前世から、よほどいろんな修行をしたらしく、
思いがけないところで、思いがけない御縁に恵まれる
不如意な幸運もよく体験しました。

それで十代後半は、無神論に近いほどの無頼漢に憧れ、
ロックギターに情熱を注いで、甘えた現実にも気づかぬまま、
随分と生意気なわがままをやっていましたが、
やはり、人生とは己一人だけのものになるものでもなく、
御先祖の神々に導かれ、そうした無頼的生き方から、
半ば強制的に連れ戻されるように、出口王仁三郎聖師の世界に
引き込まれてゆくことになったのであります。

その直前によく思っていたのは、

「俺は下っ端の神々には絶対に頼らない。
 ほんとのほんとの神様以外には絶対に従わない。」

ということでありましたので、
今思い返すとそれが効いたのだと思います。

これは私の実感ですが、人間をよく知っておられる神々は、
肉体的な欲望に関するエネルギッシュな暴走については、
こちらが気にしているほどには、
ほとんど気にかけていないということです。

逆にそういうことを取沙汰して責めて来るような意識の方が、
悪魔側である場合がほとんどだと思います。

ただ精力や魂の浪費は、やはり免疫力を低下させますので、
つまらぬことで寿命を縮めるよりも、気力体力を充実させて、
信念を貫徹させる方に全力を傾ける方が望ましいのです。

本当に、今でこそ難しい神々のことを考えるのが好きになりましたが、
若い頃はまったくチンプンカンプンでありまして、
それこそ『至貴至尊』などというお高い神様には、
自分は全く無縁の存在だと、そんな風に思っておりましたからこそ、
やれ、邇邇芸命の御用だとか、仁徳天皇の御用だとか、
神主幸之王大神だとか、七四十一大神だとか言って、
平然としていられたのだと思います。

つまり『至貴至尊』などという心はかけらもなく、

「俺が神様に名前をつけてやるから、
 そちらが本物なら、この疑り深い俺が納得できるほどの
 実地を見せてみろ。」

くらいの態度で、自分自身の責任で、
これらの神々の名前を口に出してやっていた具合です。

しかしながら、出口王仁三郎聖師には、
人間味溢れる上田喜三郎時代の伝記も残されておりますし、
歴史上実在の人物でもありましたので、
私は、いろいろ教えてくれるアニキというような気分で慕いながら、
敬愛とかそんな勿体ぶったものではなく
「大好き」という素直な気持ちで追いかけ続けることが出来ました。

『至貴至尊』などという勿体ぶった感覚ではなく、
 
「ああ、王仁三郎聖師が言うことならホントに決まってるぜ!」

という様な、心意気の方が先に来るわけであります。

そして、私は出口王仁三郎聖師に出会う前から、神様から、

『みんなしあわせになれ』

というお題を頂いておりましたので、それをやって行くために、
真っ当な導師を求めている時に最初に出会ったのが、

『世界平和の祈り』

の五井昌久先生の法話集でありまして、
その法話の中に時々、出口王仁三郎の名前が出てきていたので、
いつかちゃんと出口王仁三郎について学びたいと思っていたら、
こういうことになって来たのであります。

そうして私は私なりに、
悪魔扱いされていたフリーメーソンを救うくらいの心意気で、

『グローバルメーソンでみんなに一億円!』

という案を思いつき、スイス銀行を中心に、
世界統一の地上天国建設を企画し始めていたので、
出口王仁三郎聖師の『皇道經濟』に出会った時には、
 
「ああ、流石は王仁三郎聖師だ!やっぱりちゃんと分かってる!
 しかも俺のみんなに一億円!なんか足元にも及ばないほど、
 徹底的に調べつくしている。もういいや、こっちに乗り換えよう!」

と、すぐにあっさりと乗り換える事が出来たのでありますが、
王仁三郎聖師の言辞を分析していく過程で、どうしても、

『みんなに十億円!』

を加えなければおかしいという結論に達し、
私と出口王仁三郎聖師の合作の様な形で、

【皇道經濟でみんなに十億円!^0^♪ 】

と、言い出したのですが、
これは出口王仁三郎聖師だけを苑主と仰ぐ宗教団体で採用して頂くのは
ちょっと無理なことであったので、私も十年近く考え抜いた結果、遂に、

『合法非公認政党 皇道經世濟民党』

の案として、世に出すことが出来るようになったのであります。

さて、次に問題だったのは皇室問題でありまして、
私が出口王仁三郎聖師について学ぶためにしばらく在籍した
宗教団体再興愛善苑では、当時、

「明治天皇は真っ赤な偽物で、長州にいた大室寅之佑という奇兵隊員だ」

という説が盛り上がっておりまして、
結局、親しい間柄にはなれなかった、王仁三郎聖師の直孫で、
十和田龍こと男装坊の再生とされる『出口王仁三郎』『大地の母』の
著者でもある故出口和明氏も、癌を患って急逝してしまった為、
苑内で我が言霊をもてあそばしている理由もなくなり、
次第に足が遠のく中で、インターネットが普及して個人発信が出来る様になり、
既に出口王仁三郎聖師のお言葉として心得ていた

「国祖が天祖に勝手にやれと任されたのやと思うのや」

という如是我聞に啓発され独走し始めました。

しかしながら、やはり再興愛善苑あったればこそ、
出口王仁三郎聖師についての大要を学び得る御恩がありますので、
誠に勝手ながら、

【皇道經濟でみんなに十億円!^0^♪ 】

の十億円は『十万苑』であると言わせていただくことにしたのであります。

そして、ひとり出口王仁三郎聖師の霊界物語と向き合う時に、
高熊山霊山修業中の上田喜三郎先生も、当初、
霊界で『天照大神』に何度も救われた事が記されているのに、
いくらなんでも愛善苑が神素盞嗚大神ばかりを盾にして、
天照大神を敵視するようなことではよくないと思うようになり、
平成天皇時代に大いに考え続けた結果、
これは私個人の判断として、

「今上令和陛下こそ出口王仁三郎聖師の生まれ変わり」

だという結論に達しましたので、『至貴至尊』の皇室という発言を、
再興愛善苑時代とは打って変わって掌を反したように言えるようになりました。

おそらく、今上陛下は出口王仁三郎聖師の生まれ変わりなどと言われるのを、
あまり快く思われておられない様な気もするのですが、
それは多分、出口王仁三郎聖師御本人がそう思われていたかもしれないとも
思える節もありますので、あまり気にもせず、
また、私自身も、その他の出口王仁三郎信者の皆様も、
皆、出口王仁三郎聖師の分身の様なものであると思いますので、
出口王仁三郎聖師が、大本のニューリーダーとして再生しなくても、
あまり問題はないような気もするのであります。

一部には現米大統領の中に王仁三郎聖師が宿っておられるという
子孫の方もおられますので、そこは柔軟に考えておればよいと思っております。

大本の為にも、最もよいのは、大本が皇室の直轄宗教となるのが
最善の状態だと思われ、王仁三郎聖師も、

「陛下と皇后が靈界物語を拝読するようになったら、みろくの世」

とも仰っておられましたので、私もまさにそのようであるべきだと思います。
 
*****

         皇典古事記

畏くも天武天皇が

「斯乃邦家之經緯、王化之鴻基焉」

(※注釈 古事記 上巻併せて序 [二] 天武天皇と『古事記』撰録の企て

「斯(コ)れ乃(スナワ)ち邦家(ホウカ)之(ノ)經緯(ケイイ)、王化(オウカ)之(ノ)鴻基(コウキ)焉(ナリ)」)

と詔り給ひし皇典古事記は、實に世界唯一の大神典であって、
その中巻に曰く

「於是大后歸神。言教覺詔者。西方有國。
 金銀爲本。目之炎燿。種々珍宝。多在其國。吾今歸賜其國」

※注釈 古事記 中巻 仲哀天皇 [二]神功皇后の神がかりと天皇の崩御

「於是大后歸神(ココニオホキサキカミガカリシテ)。言教覺詔者(コトオシヘサトシテノリタマハク)。
 西方有國(ニシノカタニクニアリ)。金銀爲本(コガネシロガネヲハジメトシテ)。
 目之炎燿(メノカガヤク)。種々珍宝(クサグサノメズラシキタカラ)。多在其國(サワニソノクニニアリ)。
 吾今歸賜其國(ワレソノクニヲヨセタマワム)」

と。

皇示且の御遺訓は、明かに現代經綸の根本的變革を促し給ふと雖(イヘド)も、
黄金萬能の弊政を
この上もなき最上の經綸策として心酔中毒せる現代日本の臣民が、
神聖なる示且宗の御遺訓の大精神を了得感通せざる
聾盲の輩(ヤカラ)のみなるは、實に恐惶の至りである。

*****

皇典古事記編纂の黒幕は藤原不比等である
という説を円盤屋の動画の中で
飛鳥昭雄さんも言っておられますが、
出口王仁三郎聖師は、

「稗田阿礼だったこともある」

と仰っておられますので、
あの難解な古事記や日本書紀を語り部した本人が、
出口王仁三郎聖師として、
古事記の解釈をしておられると云うことになります。

私が思いますに、
出口王仁三郎聖師というのは、
艮の金神から頂いた神様のお名前でありまして、
聖師本人は、やはり上田喜三郎だと
思っておられた様に思われます。

出口王仁三郎聖師は神素盞嗚大神の直接内流によって言動し、
いろいろなことを解き明かしておられた筈で、
その後は神人合一的働きをする皆さんが増殖しているわけです。

自覚している方もあれば、無意識の方もあると思います。

この自覚が浅い方を相手にすると論争になるので、
極力議論は避けた方がよいと思います。

心境が進めば、必ず自他一体を了解することになりますので、
そこに到達するまでは、無駄な争いは避けた方がよいのです。

場合によっては、手拭いや雑巾、チリ紙に使われて、
お出直しする皆様もありますが、
皆、同じ神様の分身として各自の御用を働いておられるのですから、
ひたすら感謝あるのみです。

そうしたことも考え併せますと、
いつ、どこで、誰が、この神功皇后の様な御働きをなされるか
わからないのでありますから、誰一人として侮ってはならないのです。

*****
          土地爲本

 前にも述べた様に、日本には金銀より尊い皇室の御稜威と云ふものがある。

この陛下の御稜威によって紙幣をいくら發行しても國民は喜んで使用する。

外國では出来ないが日本では出来る。

?ち普天の下、率土の濱(ヒン)に至るまで
皆悉(コトゴト)く皇室のものであるからである。

故に一旦これを全部皇室にお還しする。

その土地が一千億円のものであったら、それだけの財産が皇室のものになる。

皇室からは御稜威により五百億円でも一千億円でも紙幣をお下げになるから、
國民にそれだけのお金が回って来るわけである。

要するに御稜威爲本、土地爲本となるのである。

*****

世界中でこれをやったら、先ず國境というものが不要になります。

そして、ここには記されていませんが、軍農中心ですから、
国民すべてが平時は農業を生業とする様になります。

そうしておそらく皆が合氣道を習得して、無駄な争いをせぬようになりますが、
小さなブロックで区分けして、米の生産高を統計して物価を決める様にします。

こうなったら、本当はもう十億円も不要になるのですが、
大和魂が磨かれるまでは、安心できる生活補償として各自に預かって頂きます。

皆、食うために七反の農地を与えられるので、
農地から離れる遠出の旅行をしている場合ではなくなると思いますが、
連絡はインターネットが普及したので在宅で充分なのが現代であります。

そして自然農業科学と神授農法が一致して来ると、
ロボットがよく働いてくれるので、
段々、農地から離れていても心配することがなくなるという段取りです。

剣、即ち武器は常備せず、神社に奉納して、各自農具を手に武道を磨いたり、
農業と一体化した学問が発達して、肉体についての謎も明らかになり、
働くことと禅が一体化して、いわゆる皆が功夫の達人になってしまいます。

つまり各自が農業一つを極めるだけで、森羅万象に通達することになるのです。

これを『お土の御恩』と申し上げ奉るのであります。

各種機械なども魔神として神社に奉納することになると思います。

*****

          土地拜借權

 國民が土地の所有權を云々するのは、西洋かぶれの弊風であって、
いづれも皇上より拜借してゐるものたる眞意義を了得しなければならない。

?ち一言にして云へば従来の土地所有權を拜借權と改称すれば、
それで別に複雑な手續きはせずともすむことである。

 現在の大地主は、大土地拜借主となるわけである。

明治初年にあたり、兵馬の權を陛下に奉還したるは
皇國本来の使命に適してゐたが、
経済權を奉還しなかったのが根本的な大きな誤りであったのである。

*****

私は以前より、この『皇上』という表現が気になってならないのですが、
それは上皇ではないと思うのであります。

上皇というのは今上陛下の先代という意味になると思うのですが、
『皇上』と言う場合は、まさしく『天上に坐しまして皇の上にある御方』
ということになると思うのであります。

天照大神とか、天御中主神とか、そういう神の神の様な意味合いです。

即ち、天皇陛下も『統括大土地拜借主』という事になります。

『全土地貸主』こそは『皇上様』ということになるのではないかと思われます。

つまり、皇神様が先ず陛下に全土地を貸し出し、
これを陛下が全国民世界万民に分配して貸し出すという組織図になります。

明治維新の時には、坂本龍馬等の経済感覚に優れた志士達が暗殺され、
これをやる知恵を持たない生き残りの薩長志士達中心に、
勝海舟にも頼らず、大政奉還後の明治政府を開いたので、
結局、西郷隆盛が島津斉彬公から引き継いだ『農本主義』を実行できず、
大久保利通も國造りのために返済できるあてのない借金を重ね、
日本政府は海外ユダヤ資金に操られて、
日清、日露で鼻を高くし過ぎて足元が見えなくなり、
遂に軍部が昭和陛下の言うことを聞かなくなり、
大日本帝國は大日本皇国に打ち負かされることになったのであります。

しかし、戦後日本は、米ユダヤの植民地と化したため、
欧米流の不動産業をもっと非人道的にした地主達に乗っ取られることとなり、
現代まで日本國民は家賃の奴隷の様な苦渋の生活を
嘗めさせられ続けているのであります。

*****

          無限の宝庫

 右の如く我が皇國は、金銀によらずして、
陛下の御稜威の御徳によって無限に紙幣を發行することが出来るのであるが、
實は金銀もまた殆(ホトン)ど無限に蔵されてゐるのである。

?ち皇國固有の言霊の活用によって古典を讀めば直ちに發見出来ることで、
私はそれを發見し神様からも教へられ、
實地に調べて見て確證を握ってゐるのであるが、
これはある時期が來るまで漏すことは出来ない。

*****

こんなことを発表していたら、
忽ち欲の皮が突っ張った拝金主義者達が押し寄せて来て、
日本の立替立直しが遅れることは火を見るよりも明らかなことだと思います。

日本国内でも、一時期、携帯電話の回路に使われている純度の高い金や
レアメタルなどがビジネスを生んでいたようですが、
金銀為本の世の中が改善されて農本主義・稜威為本になるまでは、
このことは誰も知らない方がいいのでしょう。

*****

          物価公定

 金銀爲本より土地本位となり、御稜威によって紙幣を發行すれば、
物價の大變動を來すであらうとの虞れを持つ者もあるやうであるが、
それには、米を主とした生活必需品の物價を公定すればよいのである。

それによって他の物價は自ら定って來るから心配することはないのである。

*****

この件については、我が 合法非公認政党 皇道經世濟民党 では、
電子通信金融システムによって、生涯資本十億円補償制度にしてしまうので、
そもそも物価というものに意味がなくなる方向に持って行く考えです。

「人間神の子・神の宮・仏の子」

の真理に基づいて、一人生まれるごとに生涯十億円資本を補償します。

『補償』は即ち『補填・補充』と同意義でありまして、
使えば使っただけ皇道政府銀行を経由して各自に補充される仕組みであります。

何かを売り手の言い値で買ったら売った人が喜びます。

それがすぐに皇道政府銀行に通知されますので、
他人の為に良い事をした実績として残ります。

また、売った人には生涯資本十億円補償に売り上げが加算されますので、
自動的にその加算分が皇道政府に献上されます。

その献上額の合計が一定額を超えると、
百八十一階級の底辺から一階級上げてもらえます。

そして、その献上された加算分が再び買い物をした人の資本に、
十億円を上限にして補充されるわけです。

この行程を量子コンピューターなどの最先端技術と通信システムにより
一元管理してしまうので、今上陛下は紙幣発行に時間を取られることなく、
神事優先の公務に専念することが出来るわけです。

各ブロックごとでは月例祭(ツキナミサイ)が行われ、
毎月ごとにブロックの住民が集まって農作物を神前に捧げて、
直会(ナオライ)を挙行して友好を深め合いますので、
農本主義になりますと、陛下から十億円資本を頂いてあっても、
地域住民達同士は物々交換でやっていけるのです。

工業の得意な者、芸事が得意な者、医術が得意な者、法話が得意な者などが、
各自に先生と呼び合って敬い合いながら地域を盛り上げて行きますので、
利益を争う公定価格というのも、段々オムツの様に要らなくなるのであります。

*****

          海外貿易

 海外との貿易は物々交換を原則とすればよい。

元來我が皇國は典型的天産自給の國であるから、
日本の國民が皇道にさへ目醒めたならば、
奢侈(シャシ)品などは自ら減じ輸入は減少し、
輸出入が自ら均衡がとれることになる。

從って貿易についての金銀問題などは直ちに解消し、
本位貨を準備して國際貸借の決濟に充てると云ふ心配はなくなる。

その結果爲替の變動と云ふやうな事もなく、
皇國の紙幣に對する信用も高まるから、
後には自然外國にも流通するやうになるだろう。

*****
『海外』とは、つまり『天外』でありまして、
陛下中心の皇国の外の人達との交易の事であります。

『海』も『天』も『アマ』ですから『海外』は『天外』であります。

国内で紙幣を用いるのは、物流上の不便を防ぐためであります。

つまりいちいち物資を運んでいたらかさばるので、
その手間を紙幣や電子通貨で補うのであります。

実は天産自給になりますので『海外』との物々交換による交易も
不要なのでありますが、海外にも皇道教育を広める必要がありますので、
これが完成するまでの交易手段として物々交換をせよと申されるのであります。

世界中に皇道經濟が徹底したら、こうした手間も一切なくなり、
仕事を生き甲斐とする皆さんが働いて世界を活気づけて行くことになります。

皇道が徹底するまではブロック分けは必要不可欠なものでありまして、
無駄な争いごとの防止になるのであります。

すべて世界万民が皇道に悦服する様になり、
他人の表現の自由を尊重し合える様になるまでは、
憎しみ合うほどに異なる価値観を、
同ブロック内に同居させるべきではないのです。

*****

           大神約

 この皇道經濟は、萬邦に比倫なき天立君主國にして
世界の宗主國たる日本皇國をおいて、
現在はほかには絶對に行ひ得ぬもので、皇國獨自の天興の特權である。

日本を單位として先づ行ひ得るものである。

吾らは人類愛善の大精神に基き
皇道政治、皇道經濟の實現を固く信ずるものである。

 私は多年皇道の研究をなし、一方試験的工作を行った結果、
神典古事記において明示されたる大神約の
寸分も誤りなき事を確証し得たのである。

この皇道經濟によれば、
ブルジヨアもプロレタリヤも宛(アタカ)も慈雨に甦る草木の如く、
國民押しなべて平和と幸福の恵みの露に浴し得るのである。

?ち高い所のものを低い所へ持って行き平均するのではなく、
山は山のまゝ、谷は谷のまゝ、一様に恵まれるの政治、神政なのである。

*****

水は高きから低きに流れ、蒸発して天に上がり、凍って雲となり、
また雨となって地に降り川となり地下水となり、また海となるのが自然ですが、
山には山の幸があり、谷には谷の幸がありますので、
天産自給を基礎にして、土地と一体となって生きれば永く健やかでいられる
という意味があると思います。

他のブロック間を移動するのでも、仕事か、旅行か、祭事か、催事か、
はたまた国是か、ということで全く内容が異なってきます。

同情の念が深い優しい日本人は、ついついこれを忘れがちで、
トラブルに巻き込まれ易いと思うのですが、
日本国内であっても、方言が異なる世界は、まるで外国の様なものですし、
何の準備もなしに住み慣れない土地に出入りするのは危険なことでもあります。

従って時処位に応じて、礼儀を重んじて出入りする必要がありますので、
案内人や紹介者なしに勝手にブロック間を移動することは許されません。

そうしてブロック内での結びつきを強化するために自治会活動を活発にします。

自治会運営費などは陛下から、
生涯資本補償十億円を頂くことになりますので問題にもなりません。 

無駄な仕事をなくしてしまい、ブロック内の結びつきを強化しないと、
現代でも問題になっている核家族化や、
アパート・マンションなどで隣同士になっても、
顔も名前も知らないという不人情な社会になってゆくばかりであります。

また、「うちの子に限って」問題を解消するために、
子のない家庭で、他家の子供を預かって育てる様にします。

家計も生涯資本補償十億円を陛下から、生まれた時から預かっておりますので、
子供を預かる家も、ネギ背負って来るカモを迎え入れる様なもので助かります。

そして、本家、分家の差別を防止するために、
実の子を実の親が育てる様な制度も禁止してもよいのではないかと
考えているところであります。

これを制度化すると、無責任な出産で殺される子宝がなくなると思います。
 

*****

          軍農中心

 日本の皇道政治は先づ軍農中心より始まらねばならぬ。

これは『古事記』に明示されてあることである。

?ち細矛千足の國(クハシホコチタルノクニ)であり、
農を國本と定められた國であるから、それには

一、農民八十億圓の債務を政府より辨償する事
一、軍民の生活安定を政府において保證する事
一、すべての税は皇道經濟の独立するまで免除し國民の更生をはかる事

等を先づ実行して國の大黒柱を強固にしなければならない。

*****

「武士は食わねど高楊枝」とは言いますが、食わねば力も出ませんし、
平和な時ならそれでもよいかもしれませんが、いざ出陣と云う時に、
武士がそんなことではどうしようもないのであります。

農民八十憶圓というのが、どういうことなのかは調べておりませんので、
何も言うことは出来ませんが、

【皇道經濟でみんなに十億円!^0^♪ 】

をやったら、政府に弁償を要求する必要もなくなると思います。

軍民ということは、幕末の時に長州の奇兵隊が、
百姓町民を兵に取り上げ招集して戦ったのが、
明治以降も受け継がれたからだと思うのですが、
出口王仁三郎聖師は「新月の光」の中で、

「朝鮮人を徴兵したのは失策であった」

と如是我聞しております通り、敗戦後はこの失策によって、
日本人は知らず知らずのうちに、ずっと差別を受けて来ているとのことで、
王仁三郎聖師は、本当によく、先の先までお見えになっていたのだと、
いつになっても驚かされるばかりであります。

皇道經濟が独立するまで免税すると、皇道經濟独立後は徴税制度は不要になるので、
皇道經濟独立後は免除対象になる税すらなくなっているということだと思います。

国民万民の経済問題が解決したら、食う寝る遊ぶことで争う理由もなくなり、
國の大黒柱は本当にゆるがせないものになると思います。

経済奉還で全ての土地を皇室に奉還、お買い上げ頂き、
その後、拝借することになりますと、皇室からお預かりしている尊い土地を
荒らすような勿体ないことが出来なくなりますので、
あまり度を越したいたずらの様な遊びは自他ともに戒められることでしょう。

土地に憎々しく唾する様な態度も、自然出来なくなると思います。

また、陛下から拝借している土地を勝手に売買することも、
賃貸することも出来なくなりますので、楽をしたかったら、
お土のことをよく学び合い、皆で知恵を出し合い、農工具を発達させ、
ロボットなども取り入れて、合理的に生産性を上げる努力をすればよいのです。

*****

          國防と産業

 日本の國防は外國の國防と全然其(ソノ)意味を異にしてゐる。

?ち日本は世界の中心であり親國であり要の國であるから、
日本は率先して世界を誘導皇道化しなければならぬ
大責任を負うてゐるのである。

もし日本が國防の不備なるが故に、一朝敗北するやうな事があれば、
神様の思召は立たぬ事になるので、
全人類は永劫に塗炭の苦を嘗めねばならない。

世界を救ふため、國防の充實は忽諸(コツショ)に附する譯にはゆかないのである。
?ち例へば

一、國防及び産業發展の爲め全國に二十間幅の縦横大道路を急設すること

等々、これによってまた一方失業者を救濟し、
國民の元気を鼓舞し有事の用に備へねばならぬ。

これぞ皇道經濟實行に当って忘れてはならぬ一要素である。

*****

かつて大日本帝国は大日本皇国に負かされましたが、
大日本皇国は未だ不敗のまま…と申しましょうか、
不戦勝を続けている様です。

はたして現代における戦争予想図にとって、
本当に二十間幅の縦横大道路が必要なのであろうか?

大量殺りく兵器を使われたら、ひとたまりもないと思いますので…

しかし、戦争には必要なくとも、
物資輸送の面に於いては、大道路は有意義だと思います。

空輸・海輸・陸輸の便は向上することになるでしょう。

更に現代ではドローン輸送も始まりつつありますし、
四足歩行ロボットによる輸送も始まりつつあります。

ただし、猛禽類がドローンを襲撃する恐れや、
猛獣が四足歩行ロボットを襲撃する恐れや、
窃盗犯に対する予防策も必要だと思うので、
やはり人類が完全に怠けて暮らすことは出来ない宿命の様ですね。

經濟はお金儲けだけではなく、人間同士の触れ合いの場でもあるので、
100%すべてを全自動化する必要もないのかもしれません。

祭りも含め、人間には綱引き合戦や、野球の様なチームワークが欠かせません。

*****

          宗教と教育

 皇道經濟を實行するには、
皇祖の御遺訓たる皇國の宗教教育によらねばならぬ。

先づ天地の大本義により、生死を往來し、
始めなき始めより終りなき終りに至る、
神人合一の大經綸の大道を明かにする國教を樹立し、
教育は國家經綸的天賦の恵を開發すベきものたるベきである。

?ち

一、國教院の開設により宗教教育制度の改革を斷行し、
  國教によりて國民思想の改善を圖ること

であって、これによって皇國民天賦の大使命を自覺させねばならぬ。

*****

こうなって来ますと、善を実現するためには、
どうしてもひとりよがりの欲望を抑制する必要があるので、
あまり自由という概念に魅力を感じなくなって来ると思われます。

本当は禅師達のように、不動の構えで瞑想をしているだけでも、
世の為、人の為になるものだと思うのですが、
現代は楽しいオモチャが多いので、なんといえばよいのでありましょうか…

世界万民が皇国の大使命を学び、自覚したならば、
わがまま勝手を恥じるようになるとも思うので、

「衣食足りて礼節を知る」

で、自然、自由の概念も高尚なものになってゆくような気がいたします。

*****

          秋は来れり

 神約の秋は既に熟してゐる。

皇道經濟を確立して皇道政治を斷行し、
世界萬民を和楽の世界に導く時は來たのである。

皇道經濟の細目に亘って述ぶれば際限なしと雖(イヘド)も、
要するに皇道經濟實施の政治になれば、
各方面ともに何らの不平もなく無理もなく、
天下泰平に到達する事は火を賭るより明かな事である。

*****

ここでいう政治とは、やはり陛下の大使命と稜威の共有による
強制力ということになるのでしょう。

昔から成功者達が必ず云う言葉があります。

「夢は必ず叶う」「ドリーム・イズ・カム・トゥルー」

人間は、イメージ出来たことは必ず実現できる
創造主の分身であります。

コトバは神でありますから、その通りになるのであります。

皆様に神様の祝福あれ

みんなしあわせになれ

嗚呼、惟神霊幸倍坐世

*****

以上。合唱。

   〇    〇    〇


以下、出口王仁三郎聖師の如是我聞
『新月の光』より抜粋しましたので、今後の、

合法非公認政党 皇道經世濟民党

の活動の参考にして頂けましたら幸いです。

〇五男神は五大洲の先祖

アジアは葦原から転訛したのである。
正勝吾勝とえばアジアという事になる。
  
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)は
アジアにおられたのであり、(日出別神として活躍)

天之菩卑命(アメノホヒノミコト)は
 出雲から南洋(黄泉島)オーストラリヤを支配され、
天津日子根命(アマツヒコネノミコト)は
 欧羅巴(ヨーロッパ)、
活津日子根命(イクツヒコネノミコト)は
 アフリカ、(高国別のちに高山彦となのりアフリカの主宰となる)   
熊野久須毘命(クマノクスビノミコト)は
 アメリカ、(八島主命ととなえる)

を支配しておられたのである。
  
五男神は五大洲の人類の祖先である。

この事をいわないと世界は統一出来ぬのである。

〇アジアと世界

本アジアが現在のアジア
東アジア…アメリカ
西アジア…ヨーロッパ
南アジア…豪洲
西南アジア…アフリカ

で、太古は世界をアジアといったのである。

アジアは葦原より変わったのである。
アジアもアメリカもアフリカもエウロッパもオーストラリヤも
アに反る(言霊反し)のである。

大八洲とは世界の事である。

日本人が判らぬので判るように日本の島々に名をつけて
神様が教えられたのである。

               (昭和十七年十月十二日)

(参照)『靈界物語』第三十九巻「総説」
(葦原は亜細亜の意味であり、
 葦原はアッシリヤとなりアジアとなったのである。
 太古の亜細亜は現今の小亜細亜であったが、
 時世の変遷と共に、広大な亜細亜となったのである。)

〇アーメニヤ

アメは天でアーメニヤ。天照大神はここにおられた。

           (昭和十七年十一月十六日 桜井重雄氏拝聴)

〇天菩卑命(アメノホヒノミコト)

天菩卑命は印度と豪洲を治めていられた。

           (昭和十七年十一月十六日 桜井重雄氏拝聴)

〇国常立尊と二二岐尊

国常立尊はアーメニヤ方面から、日本(現在の)へおいでになった。
年代はほとんど同じくらいである。
二二岐尊の降臨の高千穂の峰は富士山である。

           (昭和十七年十一月十八日 波多野義之氏拝聴)  

〇経済で世界を立替

今度は世界を経済で立替える。

                 (昭和十七年)

〇経と緯の万世一系

「天皇は天御中主神の顕現であって、名前が万世一系だ。
 今までは経(タテ)ばかりの万世一系であったが、
 これから緯(ヨコ)の万世一系を拵えて
 朝鮮、支那というふうにして世界十字に踏みならすのだ。
 お筆先のことを開祖と自分(王仁)のことのみに
 とっているのは小さい事で、実はこの事である。
 火は経であって日本は今まで経で来たのである。
 火だけではいかぬから緯をつくるのだ。
 言うてはいかぬし、言わな判らぬし、それで困るのだ。
 この事は今まで書いてない。」

                 (昭和十八年)

〇十六神将と十六魔王

世界に十六魔王があり、スターリンや蒋介石や汪清衛もそれだ。
十六神将もあるのやが、まだ一つも現れてはいない。
十六神将があらわれて、みろくの世をつくるのである。

                 (昭和十九年四月十日)

〇艮の金神とユダヤ

「ユダヤは神の選民で、艮の金神が使っていられる。
 ユダヤは悪に見せて善をやるのや。
 ユダヤは九つのしるしのあるものを探しているのだ。
 ユダヤは十八階級のうち一階級三人。二階級十八人。三階級三十六人。
 日本人でもユダヤに這入っているが、十二階級以下である。
 一階級上のことは全然判らぬから、最高幹部の考えていることは判らぬ。
 ユダヤの仕組で十六魔王を戦争で戦いぬかして倒してしまう。
 東条も十六魔王のうち。
 王仁が白紙委任を頂くようになってから、
 天国の姿の通り移して制度を日本に立てるのだ。
 ユダヤの最高幹部やこちらは判っているから出来上がったら、
 この仕事は艮の金神様の仕事やと王仁は証明するだけや。
 艮の金神様が天の大神様から勝手にやれとまかされたのやと思うのや。
 わしらは今から思うと笑いがとまらぬ。
 水も漏らさぬ仕組とはよく言ったものだ。
 イスラエル民族の十二の階級のうち十一は外国にある。
 日本にも一つの流れがあるが変質しているから本当のは少ない。」

                 (昭和十九年四月十日)

〇天孫民族とユダヤ

「ユダヤということは、神命奉仕者ということで、
 神様から選ばれたのだから選民なのだ。
 イスラエルというのはユダヤと同じ事。
 天孫民族とは全然違う。
 日本は天孫民族だから選民とは違うんや。直系や。
 ユダヤ人の三分の一は良いので三分の二は悪いので、
 これがフリーメーソンをやっているのである。
 今の戦はこれがやっている。
 イスラエルの十二の支族は選ばれたのや。
 一番いいのが日本へ来ているので日本民族だ。」

                 (昭和十九年六月九日)

〇素盞嗚尊と叢雲の剣

オロチはオロチョン族の事で、
出雲に割拠していたのを平定して、
その頭が持っていた叢雲の剣(日本列島)を
素盞嗚尊が得られたのである。

                 (昭和十九年十二月五日)

(参照)『靈界物語』第十五巻第十二章「大蛇退治の段」
    『靈界物語』第一巻「序文」

〇一厘の仕組

(『大本神諭』に啓示された三千世界の大神業・天地の祖神の大経綸)

二代様 「一厘のお仕組は開祖様でも御存じなかった。」
聖 師 「王仁は知っていた。」

(大正時代に聖師は『古事記』の
 大后息長帯日売命(オホキサキオキナガタラシヒメノミコト)の帰神のところに
 一厘の仕組が示されてあると教えられた)

(参照)『靈界物語』第一巻第三十五章「一厘の秘密」。
    第三十六章「一厘の仕組」

〇聖師の出現

王仁は〇〇(皇后)の腹に宿って生まれてくる。

                 (昭和二十年 田中ふみ子氏拝聴)

〇みろくの世界の寿命

人の寿命はみろくの世になれば、
五百歳。四百歳。三百歳。二百歳。百二十歳が最低となる。

         (昭和二十一年八月十一日 旧七月十五日)

以上。

さて、本日も、長くなりましたが、
最後までおつきあいくださいまして、
どうもありがとうございます。

今回は、前回の様には長くならないように
努めたのでありますが、それでもいざ始めると
この様に長々とお時間を頂くことになり、
最後までお付き合い頂ける皆さまには、
まったくかたじけなく思う次第であります。

一度にあまりにたくさん情報を詰め込んでも、
霊魂が食あたりを起こしかねないので、
続きは、次回にということにさせて頂き、
本日は、ここで一旦
一休みさせて頂きたく思います。

世界人類みんなで力を合わせて、
陛下に通貨発行権をお返しし、
天皇陛下を世界の中心に頂き、
陛下の御稜威で
無限に通貨を発行して頂く御恩に預かり、
納税制度を廃止し、
衣食住の心配をせずに、人生を謳歌出来る
仁徳天皇もびっくりの
大家族社会地上天国を建設いたしましょう。

以上、ではまた♪ ジャカジャン♪ 

令和恩赦、経済奉還、大政奉還、
廃國置ブロック、皇神帰一
【皇道經濟でみんなに十億円!^0^♪ 】
みんなしあわせになれ
嗚呼、惟神霊幸倍坐世
合法非公認政党 皇道經世濟民党
初代党首 垣内政治