【タイガース日本一講談会】反省記
★概要
僕のひとり祝勝会。
リーグ優勝、クライマックス突破、日本一と今年は歓喜の場面をひとりで迎えた。ま、それはそれで50歳らしい、大人な楽しみ方だったと思う。
ただ、僕の唯一の講談師らしさであるんだけど、身震いしたときの「講談創りたい」の悪癖が顔を出した。
「38年前は友達と近所の原っぱで野球をするのが祝勝会だった。50歳になった今、いや講談師として、講談会を開くのが、僕の出来る唯一の祝勝会だ」
悪癖は即座に、使命感へと変わる。
この場合、ネタの創作と集客を考えて、普通は一度立ち止まる。時間がないなかでネタを書けば、クオリティに不安はあるし、もちろん集客だってままならない。
ただネタなんてものは、愚作をどれだけ創るかも大事。出来不出来を考えている時間がもったいない。
そして集客。僕の最大の弱点だけど、これも集客どうこうって考えてる時間がもったいない。
僕は好きなことやるために講談をやっている。見る人がいないと意味がない、と思われるかもしれないけど、僕はそこが圧倒的に欠落していて無頓着なんだな。
本来はもっと早い日程でやりたかったくらいだが、そこは幸いというべきか、とこなめとジャパンカップのおかげで、最速が27日になった。
ま、そんなわけで、わざわざ並木座を借りて、〝ひとり祝勝会〟を覚悟して立ち上げたのが【タイガース日本一講談会】だ。
★演目
南也『大竹耕太郎』…東京のときよりも、置本が様になっていたし、より雰囲気が良くなっていた。置本は実は難しいのだが、デメリットよりメリットが遥かに勝っている。単調になる部分にどう緩急をつけるかとか、臭みを出すとかを考えて、まだしばらくは置本でいいかな。
南喜『1985のキセキ』…本番前の稽古では暗読で臨んだが、本番は置本。僕が書いた演目。南喜に渡したのは1週間前だから、よくぞ、ここまで仕上げてくれたな、と感心した。
結構、良い話を書けたと自負しているし、やっぱり南喜にも合っていたと自画自賛。
南鷹『悲願成就〜一球』…現代創作は取材主義なんだけど、この会はタイムリーでないと意味がないので、主義には反するけど、大スポ加えたスポーツ6紙と、スポニチとデイリーの特別号、そしてnumberの優勝&日本一特集号が参考文献として書いた。
03年の桧山進次郎の1球、05年の藤川球児の1球、そして初戦の佐藤輝明、4戦目の湯浅京己、5戦目が森下翔太、最後はシェルドンノイジーの1球の物語。
課題は修羅場だな。ついついユニフォームを勝負服と言いたくなる(笑)『北辰斜にさすところ』の講談で、野球修羅場にはそれなりに自信があったから、慢心した部分はある。
★まとめ
南也、南喜を道連れに、ひとりだけの祝勝会になる覚悟してたけど、お客さんにもご来場いただき、乾杯は、阪神ファンの大先輩であり、僕なんかより熱い熱い阪神愛のある、ドラマーの上場さんに発声してもらうという幸運にも恵まれた。
サイコーの祝勝会やん♪
ちなみに上場さんは、猛虎マッドネスというジャズバンドを組んでいる。凄いなぁ。
打ち上げで、南也が「これ、映像にしませんか」と進言してくれた。
嬉しかったねぇ。