この度、

弟子を取らせていただくことに

なりました。

 

昨年末に

弟子入り志願に来たのですが、

私の心の準備ができておらず

しばらくは

ときどき鞄持ちとして

お互いを知るための期間を過ごしました。

 

その内に、

コロナ騒動で

寄席が約2ヶ月間閉じてしまうという

予想外の出来事が起こりました。

 

私自身もかなり動揺しましたので、

お互い改めて考えようということにして、

緊急事態宣言が明けたら

改めて考えを聞かせてほしいと

伝えました。

 

やがて、

緊急事態が解除され

本人の気持ちを聞くと

意思は変わらないとのことで、

この度、

弟子を迎える運びとなりました。

 

かつては、

真打になってから10年経ったら

弟子を取っても良い。

そんな風潮が講談界には

あったそうです。

 

真打になって4年目。

 

人間としても、

講談師としても

まだまだ未熟で

自分が弟子をとることなど

選択肢としてありませんでしたし、

師匠が私を育ててくれたように

講談師を育てられるほどの器量は

私にはないと思います。

 

不安しかありません。

それが、今の正直な気持ちです。

 

しかし、

彼は覚悟を決めて私のところへ

入門志願をし

半年間、私の心の準備ができるまで

待ちました。

 

だから、

私も覚悟を決めました。

 

一番弟子は苦労します。

 

ただ、彼が幸運だと思うのは

伯山の披露興行を客席の後ろで

立ってではありますが

その盛況ぶりを目の当たりにしたということ。

 

寄席史上、

伝説の披露興行と言っていいでしょう。

 

そして、

3月に入ってコロナでお客足が鈍り

10人にも満たない客席・・・

寄席の底も目の当たりにしたということ。

 

寄席史上に残る

未曾有の事態と言っていいでしょう。

 

歴史上稀にみる

天井と底を見た彼は幸運だと思います。

 

 

彼も修行の始まりなら、

私は、師匠としての修行の始まりです。

 

覚悟を決めたからには

腹を据えて

弟子と向き合っていきたいと思います。

 

自分を押し付けることなく、

弟子それぞれの特性や長所を見極めて

芸を教えてくれた師匠松鯉。

 

「これをするな」

と、今まで一度も言わなかった師匠松鯉。

 

決して芽を摘まず、

芽が双葉になり茎が伸びるのを

じっと待ち、

ただただ、水を与えてくれ

背中で見せるという

栄養を与え続けてくれた

師匠松鯉。

 

師匠にしてもらったこと、

教えていただいたことを

弟子に返していくことが

師匠への恩返しになると思います。

 

師匠にたくさん迷惑をかけた私は

そうやって恩返しをするしかないのですが、

それができるか、とても心配です。

 

22日に弟子を連れて

師匠のお宅へご挨拶へ伺ったとき

師匠が弟子に言葉をかけてくれました。

 

「講談は情だ。

 人の痛みの分かる、素直で優しい気持ちで

 修行に励みなさい。

 講談師は、高座で美談や偉いことを言う。

 だからこそ、謙虚でなければならない。

 そういう人間になりたいと思って

 頑張って欲しい」

 

ありがたくて

涙が出ました。

 

弟子には、

栄太(えいた)と名前をつけました。

 

声が細いことを気にしているようで、

声が命の講談師。

野太い声にならなくてもいい。

本人の声帯を活かした

講談師らしい芯の太い声になるように。

 

自分の芸名を名乗るたびに

そのことを思い出すように。

声が出来上がるまで

5年~10年かかります。

くじけそうになったとき、

栄太という名前が

背中を押してくれるでしょう。

 

そして、

「太」という漢字は大きい、豊かという

意味を持っているそうです。

 

物事を素直にとらえ、

人の痛みの分かる豊かな心で

講談にのぞんでもらいたいと

思っています。

 

6月末の若葉会より

楽屋入りをさせていただき

しばらくは「見習い」、

「空板(からいた」として

楽屋仕事の基本を学び

やがて

「前座」として

お客様のお目に触れるようになると思います。

 

未熟な師弟ですが

何卒ご指導のほど

よろしくお願いいたします。

 

※空板…講談特有の階級。

      開場前の空の高座で釈台を叩いて

      調子や声を鍛えるところから空板。