いつも
このブログを読んでいただき
ありがとうございます。

講談に出てくる
「立てば芍薬・・・」の
全文をお知りになりたいという
コメントをいただきました。

落語に比べて
講談関連の書籍は極めて少ないので、
全文が掲載されているものは
私の知る限りありません。

すみません<m(__)m>

そこで、
このブログでご披露させていただきたいと
思います。

これは、私が師匠から教えてもらった
「源平盛衰記 扇の的」という読み物に出てくる
美しい女性を表す言い回しです。

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立てば芍薬(しゃくやく)
座れば牡丹(ぼたん)
歩く姿は百合の花。
小野小町か輝手姫(てるてひめ)、
見ぬ唐(もろこし)の楊貴妃か
普賢菩薩(ふげんぼさつ)の再来か、
常磐御前(ときわごぜん)に袈裟御前(けさごぜん)、
弁天様が砂糖漬けになったような美しさ。

背は高からず低からず、
顔は長からず丸からず、
また色の白いことは雪に鉋(かんな)をかけたようで真っ白。
髪はからすの濡れ羽色、
額は自慢で見せる三国一(さんごくいち)の富士額、
眉毛は遠山(とおやま)の霞の如く
白目は水晶、黒目を漆をたらしたよう。
鼻筋がスーっと通って背中まで。
第一、口の小さいことは一粒のご飯が
横に入らないから縦に押し込もうというくらい。

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だいたいこんなところです。
あとは、講談師が各自でアレンジを加えています。




私は、講談師になってから日本語の豊かさを
改めて実感するようになりました。

春雨、五月雨、粉糠雨、
時雨、村雨、通り雨。
狐の嫁入りなんていう表現もありますよね。

雨の表現ひとつとってみても、
日本語には
降る強さ、量、時、季節に応じて
膨大な数の表現があります。

講談では、
霧雨のような雨を
「ひつじの毛を細かく刻んで落としたような雨」
なんて言うこともあります。

豊富な表現と
話す間や緩急、訓練された声、
声の大きさや息遣いなどを駆使して
お客様の頭の中に
言葉で絵を描く。
難しいことですが、
なんて豊かな
素晴らしいことだろうと思います。

帰宅すれば、電気より先にテレビをつける習慣は
学生時代から変わっていません。
テレビで育った私ですから、
テレビの良さも勿論わかります。

でも、
テレビやラジオでは味わえない
生の話芸の良さは、
見た人や聞いた人が、
同じ空気を分かつ
演者の発する言葉から
自身の経験で培ってきた知識を材料に
お客さんがそれぞれの頭の中に
それぞれの絵を描く。

10人いれば10通りの
100人いれば100通りの絵が
それぞれの頭の中に生まれるわけで、
そのどれ一つとっても同じ絵は
一つとしてないのです。

「やばい」で
良い意味も悪い意味も表現できてしまう現代。
言葉は変化していくものなので、
それはそれで楽しいし、
興味深いと思っています。

ただ、
日本語には豊かな表現や言葉が
たくさんあるってことを
講談を通して伝えていけたらいいな・・・
と思っています。