昔、読んだ本にこんな事が書いてありました。神父は、人と神の仲立ちをすることになっている。

 

 カトリックでは神父に罪の告発をするが、その内容は例え、いかなることがあっても、他人に洩らしてはならないということになっている。

 

 ミサに使うパンやブドウ酒の用意をする人は、俗人の信者がすることもあるのだが、

 

 ある時一人の男がその係をしながら「神父さん、貴方が今日使うミサのブドウ酒の中に毒薬を入れときました」と言った、

 

 その男は神父の親戚の誰かに怨みを抱いていたので神父に復讐してやろうと思ったのである、

 

 彼が図った計画は全く陰険なものであった。神父はその事を知りながらミサに現れた、

 

 そして祭壇の上で毒の入ったブドウ酒を飲んで倒れたのである。

 

 これは実際にあった話のようである、

 

 私はこの話を見て 、これはキリスト教では美談ですが、普通に暮らす我々には、一寸考えさせれました。

 

 絶対にあってはならない事だと思います。教えとは命をかけて守り抜かなければいけないのですか❓

 

 教えがあること自体その人の心や考えや身体を縛ることなのではないでしょうか?ですから私は教えがあることは、違うと思います。

 

 宗教では、教えは絶対なのですか❓️

 

 宗教では、自分の考えを持っては、いけないことなのでしょうか❓️

 

 教えて頂いた神様は、北極星にいらっしゃいます、天之御中主神様です、外国では、天地創造神と呼ばれています。  

 

 神道は、教えがありません。ですから、自分で考えて自分で行動します、ですから、洗脳される事はありません。

 

 全てのことは自分の考えで行動をしますが、

 

 解らなくなったり迷ったりした時には、あらゆる手段で結論を出します、

 

 時には、宗教から、本から、友達・親兄弟・先生・先輩方からですが、結論は自分で出して勿論、責任は自分で負います。

 

 貴方の人生は貴方が主役です。つまり、貴方が教祖なのです。

 

 今・真の神様・天之御中主神様が、日本の国の為と世界平和の為に働いて下さっています。神様が、明るい未来を誘って下さっています。

 

 生きているということは、神様の道を歩んでいます。つまり神道です、我が国の信仰は、神道です。

 

 自虐史は、今も学校で教えられています、神様・神道・神話も禁止されたままですアメリカは、今も尚見張っています、自虐史が世界中に知れ渡ったならば、アメリカの立場はなくなりますので、今も尚見張り続けています、

 

 ですが見張っていようが、我々日本人が全員が事実を知れば良いことです、何もアメリカに解いて貰う必要はありません、知り合いの方にもこの真実を、教えて下さい日本の為です、宜しくお願い致します。