ある時、ふと、私は【他の人の世界🌌を生きている】

と感じた

もっと言うと、【他の人がそうだと信じている世界】を、【私もそうだと信じている】‼️😱

だから、違和感だらけだったのか⁉️

時折「私は一体何をしているんだ!?💢」という思考が苛立ちと共に湧いたり、いつも窮屈で何かおかしい…とモヤモヤ🌀


例えば、【自然は厳しい

私はそれにとても違和感を感じる

自然は優しい

私はこっちを選ぶ

【真実(信念)】は人の数だけあるのに、なぜか自分が好まない真実(信念)までも、採用していた‼️😱

それはまるで、コ〇ン君の『真実はいつも1つ!!☝️』という刷り込み✏️

真実はみんなそれぞれなのに、
それが多様性の良さなのに、
同じにしなくて(合わせなくて)いいのに…

私は私の真実を選べばいいんだ、とやっと気付けた

(知識としては知っていたし、エイブラハムも書いていたから、かなり前から私の中に情報としては入っていたけど、知識は知識から出られないからね…)

人生は体験なんだけど、その体験を創っているのは、その人が持つ真実(信念)だから、さっきの【自然は厳しい】というのを、真実として採用していたら、どこへ行っても自然の厳しさを体験するのかもしれない

だから、外側を変えるのではなくて、自分の内側を変える


【あなたが創造する“真実”は、無条件に選択できる】
    by  エイブラハム


















































その時その時に湧き出るどんな感情にも、ジャッジせずに、感じる

それを自分に許したら、自由な感覚が出できた

それで思ったのが、【本来の自分に戻る】とは、【本来の自分の感覚に戻る】ということなのかな

いくら自由に行動が出来ていても、自分が自由だという感覚がなかったら、ずっと窮屈さを感じる

お金がいくらたくさんあっても、無いと思うのと同じで、外側が原因ではないんだな、と思った(外側では決して満たされないんだと再認識した)

だから、まず自分の感覚を満たすのが先なんだと改めて思った、というか、体感した


ふと、そういえば、その時その時の思考だって、湧き出たものなんだから、ジャッジするのはおかしいよね、と思った

感情はどんな感情も許可出来たのに、思考は駄目だなんて、何かおかしいよね、と思った

感情も思考も、湧き出たものを、ただ湧き出たものとして、味わうだけ、観察するだけ

こうして少しずつ自分に対してのジャッジを減らして、自由という感覚を取り戻している















































時間やらお金やら環境やらで、【自由】に行動できない時、本当に【不自由】さを感じていた

自由に行動できないのは、自分には【制限】があるから?
確かにそうだと思う

自由に行動できないと、その不自由さを解消したくて、
もっとお金!もっと時間(寿命や若さや健康も含めて)!が必要だと【外側】に求めるのかも

ここは物質世界だからね

すると、それらを【得る】為に、頑張っちゃう…

もう、しんどいね(それが楽しいと思えるならいいんだけど…私はもう疲れた😓)

でもその【制限】、行動だけに焦点を合わせていても、自由はなかなか感じられないような気がする

私達はエネルギーの存在だから、もっと根本的な自由の解放が必要なんじゃないかな、と思う

それが、【感情の解放】

私は最近、自然災害に憤りを感じていた

フツフツと怒りが湧いていた

それをしっかり感じていた

「自然災害だから仕方ない」とかじゃなく

それって、エゴ(脳)が言ってるよね


これまで私は怒りの感情は極力避けていたのかもしれない、と気付いた

何となく、『怒りは駄目なんだ』、みたいな思い込み(制限)があったんだと思う

『感謝』は感じていいのに、『怒り』は駄目だなんて、おかしいよね

感情にも良い悪いのジャッジをしてたのか…と思うと、エゴ(脳)て本当に意味分からん😓

社会性を身につけるべく、周りと穏便に過ごすべく(人間関係)、とかいろいろあるとは思うけど

怒りを感じることは自由じゃない?

その怒りを表現するかどうか、
また表現するなら、タイミングや表現方法は、また別の視点だと思う

でも自分がその時その時に何を感じるかは自由じゃん?
と思う

人が笑っている時に、でも自分は悲しい感情が湧いたのなら、それを否定せず、悲しい感情を味わえば、いいと思う

人と自分は違う感性を持っている、ただそれだけ

合わせなくてもいい

感受性も個性じゃん?

せっかく湧いてきた、自分の感情に、いちいちジャッジして、蓋をしたり、誤魔化したり、

謎の努力😓

そりゃ疲れるし、苦しいし、自由を感じられないよね(というか抑圧感)

自由に感じることすら、自分に許可できてないのて、悲しすぎる🥲
そして、どんどん自分自身が分からなくなると思う

私達は自分に対して、自由に行動させない様々な制限があると思う

でもそれ以前に、自分に対して、自由に感じさせない様々な制限があるように思う

自由に感じることさえ、自分に許していない

それ残酷だな、と思う












































腹が立つもの

猛暑

暑すぎる

全てのやる気を喪失させる

なぜここまで暑いのか

私は季節の中で夏が一番好きだった

12,3年前までは

だからか、余計に怒りが湧く

腹立たしい

なんでこんなに暑いねん⁉️💢💢💢















私は風邪😷を引くと、布団を多めに掛けて、熱を出して治す

だいたい寝ている間に熱が出て、翌朝には治っている

私なりのやり方なので、お勧めするやり方ではないけれど、身体は治し方を知ってると思うので、それに任せる感じ(寝る&出す)

熱が出るなら、出るに任せる

咳や鼻水が出るなら、出るに任せる

とにかく体調不良は何かしら『出したい』みたい

だからそれらを止める薬は飲まない(人前に出ないといけない時など、時と場合によるけれど)

その時(出している時)はキツイけれど、長引かず、早く治る

というのは数年前までの話で、年々、体調不良が、分、または秒で治る😇

何か寒気や喉の痛みなどの体調不良を感じた数分後、または数秒後には何ともなくなっている🙆

自分の身体の仕組みはさっぱりわからないけれど、
私は何となく体感で、あ、次元が変わったな、と思っている

私達が普段『(怪我や病気が)治る』と認識しているけれど、治るとは、健康な身体の自分がいる次元に移動しているのでは、と思っている

それとよく似ていると感じたのが、感情

感情も湧き出るもの

何かしら『湧き出た』のなら、思いっ切り感じ切った方が、スッキリするように思う

嬉しいのに、誤魔化したり、楽しいのに、控えたり、悲しいのに、強がったり、腹が立つのに、抑え込んだり…

素直に感じきれなかった感情はどこへ行くのだろう…

そもそも忙しさのあまり、気付けていない感情もたくさんあると思う

だから、ちゃんと味わおうと思った

嬉しいや楽しい、有難い、幸せなど、湧き出てくれた感情をちゃんと味わおうと思った

嫌な感情も、ちゃんと味わおうと思った

そうしたら、嫌な感情は自分が気付いていない自分自身を知るメッセージみたいだと思った

そしてそのメッセージをきちんと受け取ったら、役目を果たしたかのように、薄くなり、そして消えていく

体調不良もこじらすと治りにくい



























嫌な感情を感じた時に、それが無駄に思えたり、バカバカしく思えたら、1つ超えた✨と感じる
自分が変われたサインみたいで😊
心も一気に軽くなる💖

それから今は嫌な感情と100%同化することがなくなってきたように思う

なぜなら、嫌な感情が湧いてくると、それを実況中継している私がいるから🎤(観察している私がいる👀)
「お!イライラしてんなー」「あ!怒ってるねー」「ガッカリしてんな」とか🎤

嫌な感情に没頭出来ない…😇(奇妙な感覚です)

そもそも、これまでいかに些細なことで、嫌な感情が湧いていたのか、ワーキャーと騒いでいたのかと気付く

まるで、ちょっとした波風でもグラグラ揺れる手漕ぎの小さなボート🛶
だから、大きな嵐が来てもびくともしない大型の船🚢 を目指して!
みたいな🤭

今は逆に些細なことで、嬉しい感情が湧く✨























意識的に嫌な感情を味わっていると(前のめり作戦)、いろいろ気付くことがある

きっと常に自分自身を意識して、観察することが習慣になっているからだと思う

現実に起こる事に対して自分がどう反応しているのかを深く深く知ることが出来る

例えば何か理不尽な事が自分に起こると、表面的には怒りを感じるけれど、その裏に自己憐憫が潜んでいる事に気付けた

『私は可哀想』と思いながら、気持ち良くなっていて、ギョッとした🐟️

脳から快楽物質🌈✨️出てるよね…?

と思った

マジ、ヤバいヤツやん…(怖)

それで、また前のめりに、その『自分はなんて可哀想なんだろう』感を味わったら、感情が乗らなくなった😅

文字にするとこんな感じ↓
『ジブンハナンテカワイソウナンダロウ』

または、下手な舞台俳優的に↓
『あぁぁ!じぶんはぁ、なぁぁんてかわいそうなんだろうぅぅぅ···』

凄く白けた

まさに自作自演🤼

自分の思考にバカバカしさを感じる

私はこの『バカバカしく思える』事がポイントだと思っている

なぜなら、バカバカしく思えるのは深刻さが消えた証だと思うから

私は『深刻さ』は凄く重たいエネルギーだと思う🏋️











































嫌な感情も苦しい感情も、感じ切る(引いてダメなら、押してみよう!と思っててへぺろ)

この「〇〇切る」は、「やり切る」とか「思いっ切り」のように、次に行きたいと思う時に使う言葉だと思って、それなら感じ切ってみようと思った

この、前のめりに感じ切ろうとする感覚は、現実で起こる事に対して、無意識にただ反射的に反応しているだけの感情を味わうのとは、全く別物だと思う

なぜなら「意識的に味わう」と、自分自身で決めているから、能動的とか主体的で、自分自身でそれを【選択している

すると自分にどんな思考があるのか、また、なぜそのように感じるのかがよく分かる

「あー、そうなんだ〜」とか、「だよね〜」と思いながら感じている時もあるし、

何も考えずに、ただ感じている時もある

しっかりと味わうつもりで

すると徐々にこの嫌な感情や苦しい感情が姿を変えていく

というより、自分自身が変わっていってるのかな?

この感覚が変わる感じが面白いというか、新鮮というかで、とても興味深いな〜、と感じる😳




























































波動は常に変動している、と感じる

イメージとして、株価を表す折れ線グラフで、脳(エゴ)に従うと波動の折れ線グラフは下降📉するし、心に従うに従うと上昇📈するように感じる

この変動を毎瞬毎瞬行っていて、波動が下がれば、どんどん苦しく感じる

体感としては重たかったり、暗かったり、圧がかかる感じ

そして波動が上がれば、体感としては、軽かったり、明るかったり、広がる感覚がする

でも、波動を上げようとすると、多分必ずその反動で下がる

なぜなら波動は上げようとするものではないから

それはイメージで言うと、『重りを着けた状態で、水中を浮こうとする』感じ

一時は浮くかもしれないけれど、すぐ沈んでいく

多分、重りは脳(エゴ)で、その重りを取り外したら、勝手に浮く

私たちは元々浮けるけど、わざわざ自分で重りを着けた😇

なぜって、全て思い出したら分かると思うけど、きっと遊んでいるだけだから(人生暇つぶしだから😇)

それで、その重りは感じ切ると消えるようになっていると思う

つまり、苦しい感情に前のめりになって、感じてみる、感じ切ってみる

すると消えていく
(根深さによって、苦しむ時間はだいぶ変わるけど😅
私には根深すぎてまだ無理なものは、”ラスボス“として保留👾)

これまでは、重りを着けたまま、頑張ってた

それ、波動の乱高下(一喜一憂)とエネルギーの大量消費だと思う

そりゃしんどい😅