私は風邪😷を引くと、布団を多めに掛けて、熱を出して治す

だいたい寝ている間に熱が出て、翌朝には治っている

私なりのやり方なので、お勧めするやり方ではないけれど、身体は治し方を知ってると思うので、それに任せる感じ(寝る&出す)

熱が出るなら、出るに任せる

咳や鼻水が出るなら、出るに任せる

とにかく体調不良は何かしら『出したい』みたい

だからそれらを止める薬は飲まない(人前に出ないといけない時など、時と場合によるけれど)

その時(出している時)はキツイけれど、長引かず、早く治る

というのは数年前までの話で、年々、体調不良が、分、または秒で治る😇

何か寒気や喉の痛みなどの体調不良を感じた数分後、または数秒後には何ともなくなっている🙆

自分の身体の仕組みはさっぱりわからないけれど、
私は何となく体感で、あ、次元が変わったな、と思っている

私達が普段『(怪我や病気が)治る』と認識しているけれど、治るとは、健康な身体の自分がいる次元に移動しているのでは、と思っている

それとよく似ていると感じたのが、感情

感情も湧き出るもの

何かしら『湧き出た』のなら、思いっ切り感じ切った方が、スッキリするように思う

嬉しいのに、誤魔化したり、楽しいのに、控えたり、悲しいのに、強がったり、腹が立つのに、抑え込んだり…

素直に感じきれなかった感情はどこへ行くのだろう…

そもそも忙しさのあまり、気付けていない感情もたくさんあると思う

だから、ちゃんと味わおうと思った

嬉しいや楽しい、有難い、幸せなど、湧き出てくれた感情をちゃんと味わおうと思った

嫌な感情も、ちゃんと味わおうと思った

そうしたら、嫌な感情は自分が気付いていない自分自身を知るメッセージみたいだと思った

そしてそのメッセージをきちんと受け取ったら、役目を果たしたかのように、薄くなり、そして消えていく

体調不良もこじらすと治りにくい



























嫌な感情を感じた時に、それが無駄に思えたり、バカバカしく思えたら、1つ超えた✨と感じる
自分が変われたサインみたいで😊
心も一気に軽くなる💖

それから今は嫌な感情と100%同化することがなくなってきたように思う

なぜなら、嫌な感情が湧いてくると、それを実況中継している私がいるから🎤(観察している私がいる👀)
「お!イライラしてんなー」「あ!怒ってるねー」「ガッカリしてんな」とか🎤

嫌な感情に没頭出来ない…😇(奇妙な感覚です)

そもそも、これまでいかに些細なことで、嫌な感情が湧いていたのか、ワーキャーと騒いでいたのかと気付く

まるで、ちょっとした波風でもグラグラ揺れる手漕ぎの小さなボート🛶
だから、大きな嵐が来てもびくともしない大型の船🚢 を目指して!
みたいな🤭

今は逆に些細なことで、嬉しい感情が湧く✨























意識的に嫌な感情を味わっていると(前のめり作戦)、いろいろ気付くことがある

きっと常に自分自身を意識して、観察することが習慣になっているからだと思う

現実に起こる事に対して自分がどう反応しているのかを深く深く知ることが出来る

例えば何か理不尽な事が自分に起こると、表面的には怒りを感じるけれど、その裏に自己憐憫が潜んでいる事に気付けた

『私は可哀想』と思いながら、気持ち良くなっていて、ギョッとした🐟️

脳から快楽物質🌈✨️出てるよね…?

と思った

マジ、ヤバいヤツやん…(怖)

それで、また前のめりに、その『自分はなんて可哀想なんだろう』感を味わったら、感情が乗らなくなった😅

文字にするとこんな感じ↓
『ジブンハナンテカワイソウナンダロウ』

または、下手な舞台俳優的に↓
『あぁぁ!じぶんはぁ、なぁぁんてかわいそうなんだろうぅぅぅ···』

凄く白けた

まさに自作自演🤼

自分の思考にバカバカしさを感じる

私はこの『バカバカしく思える』事がポイントだと思っている

なぜなら、バカバカしく思えるのは深刻さが消えた証だと思うから

私は『深刻さ』は凄く重たいエネルギーだと思う🏋️











































嫌な感情も苦しい感情も、感じ切る(引いてダメなら、押してみよう!と思っててへぺろ)

この「〇〇切る」は、「やり切る」とか「思いっ切り」のように、次に行きたいと思う時に使う言葉だと思って、それなら感じ切ってみようと思った

この、前のめりに感じ切ろうとする感覚は、現実で起こる事に対して、無意識にただ反射的に反応しているだけの感情を味わうのとは、全く別物だと思う

なぜなら「意識的に味わう」と、自分自身で決めているから、能動的とか主体的で、自分自身でそれを【選択している

すると自分にどんな思考があるのか、また、なぜそのように感じるのかがよく分かる

「あー、そうなんだ〜」とか、「だよね〜」と思いながら感じている時もあるし、

何も考えずに、ただ感じている時もある

しっかりと味わうつもりで

すると徐々にこの嫌な感情や苦しい感情が姿を変えていく

というより、自分自身が変わっていってるのかな?

この感覚が変わる感じが面白いというか、新鮮というかで、とても興味深いな〜、と感じる😳




























































波動は常に変動している、と感じる

イメージとして、株価を表す折れ線グラフで、脳(エゴ)に従うと波動の折れ線グラフは下降📉するし、心に従うに従うと上昇📈するように感じる

この変動を毎瞬毎瞬行っていて、波動が下がれば、どんどん苦しく感じる

体感としては重たかったり、暗かったり、圧がかかる感じ

そして波動が上がれば、体感としては、軽かったり、明るかったり、広がる感覚がする

でも、波動を上げようとすると、多分必ずその反動で下がる

なぜなら波動は上げようとするものではないから

それはイメージで言うと、『重りを着けた状態で、水中を浮こうとする』感じ

一時は浮くかもしれないけれど、すぐ沈んでいく

多分、重りは脳(エゴ)で、その重りを取り外したら、勝手に浮く

私たちは元々浮けるけど、わざわざ自分で重りを着けた😇

なぜって、全て思い出したら分かると思うけど、きっと遊んでいるだけだから(人生暇つぶしだから😇)

それで、その重りは感じ切ると消えるようになっていると思う

つまり、苦しい感情に前のめりになって、感じてみる、感じ切ってみる

すると消えていく
(根深さによって、苦しむ時間はだいぶ変わるけど😅
私には根深すぎてまだ無理なものは、”ラスボス“として保留👾)

これまでは、重りを着けたまま、頑張ってた

それ、波動の乱高下(一喜一憂)とエネルギーの大量消費だと思う

そりゃしんどい😅








































心に従っていって、感じることは、波動(という言葉がいいのか不明だけど)が、上がっていくような感じ?


そこで、これまでに気付いたこと、感じたこと、思ったことを『観察日記✏️』として、綴っていこうと思います


そもそも、『心に従う』とは、大きな夢や願望を追いかける、というより(それはほんの一部)、毎日、朝🌅目覚めてから、夜🌠眠るまで、心の願望を叶えていく、叶え続けていく


食べたいと思う物を、食べたいと感じた時に食べるとか、疲れたと感じたら、少しまたはガッツリ休む、休憩するとか、毎日の様々な小さな夢や願望を(できるだけ)叶えていく


ある意味、すごく地味

でも自分自身に寄り添うてこんな感じだと思う


そもそも、夢や願望に大きいも小さいもないよね


それに、日々の小さな(インパクト小)夢や願望すら叶えようとしないのに、大きな(インパクト大)夢や願望だけ叶えようとするのは違和感を感じる(今だから分かる)


インパクト小の夢や願望も、夢や願望なんだけど、脳(エゴ)にとって、それらは、夢や願望という認識ではないから、注意が向きにくいし、優先事項から外れる

よって、無視したり、我慢させたりする


でも自分の心の声を無視したり、我慢させたりすることは、立派な自傷行為だと思う


それを続けた先には、エネルギーを枯渇させた自分がいる


疲れ切った自分


そこから抜け出すには『心に従う』しかないと思う


でも、たったこれだけの事が、なぜか難しく感じる


出来ない理由を脳(エゴ)が、これでもか‼️と突きつけてくるから


でも今この瞬間、いつでも、向きを変えられる


心か脳(エゴ)か



















『心に従う』という所から始めて、
今は『心に合わせる』に近いかな

それで気付いたこと、思ったことを少しずつ綴っていこうと思う

『心に従う』はざっくり言うと、波動を上げていく(“波動”なのか言葉がよく分からないけど)という感覚かな

言葉は分からないけど、とりあえず『波動』ということにしておくけど😅、この波動が上がっていくと、感受性の感度が上がると思う

つまり、感謝や喜び、楽しい、美しいなど、幸せだと感じる感度が爆上がりする

感謝しましょうとか、”ある“を見ましょうとか、特別意識をしなくても、感謝が溢れる“ある”に目が行ってしまう

例えば、水道から飲料水が出てくるのが、本当に有難く感じるし、この水道から飲料水を出すまでに大勢の人達が関わってきてくれている事にも感謝…と感謝の波が次から次へと溢れ出る🌊

感動屋さん!?みたいになる

逆にこれまでは、感度が鈍ってたんだ(目詰まり?)と思う

だから、当たり前に感じてスルーしてしまうし、もっと特別なインパクトの大きい事にしか、反応しなくなってたと思う

感謝とかは自然と自分の中から湧き出るもの、感じるものだと思うから、強制的に出すものでもない
だから感謝を感じられない時は、ただ感度が鈍ってるだけ(目詰まり)だったんだな、と思う

ただ波動が高いか低いかの、感度の違い

だから、幸せや”ある“に、気付くか、気付かないか、になるんだと思う

それと面白い(?)のが、波動が上がると、自分が嫌だと思う事が全然出来なくなる

私は昭和生まれで、バッキバキの気合と根性派💪
それが全然出来なくなった😅

多分、感受性の感度が上がったから、もう自分を誤魔化せなくなったんだと思う
だから、自分が嫌だと思う事が、出来なくなったんだと思う

でも正直これはこの社会ではやりにくい…😅

そう、『心に従う』は『これまで』が全然通用しなくなる

でも脳(エゴ)は『これまで』に執着するから、本当に本当に『これまで』を手放すのが、大変という言葉では到底言い表せない……ザ★地獄‼️でした😇














































心に従って…【人生は暇つぶし
に辿り着いた

とても平和な感覚

人生は貴重】という思考は人生に没入させるために必要な思考だと思う

でもこの【人生は貴重】という思考が、自分の人生に対して、とてつもない重圧を与える(重たくする)

それで人と比較する
と言うか、他の人の人生と、自分の人生を比較しているように思う

  • 人生は一度きり
  • 時間は有限
  • 人生を時間を大切に扱わなければいけない

人生は貴重】という思考からのあらゆるプレッシャー、焦り

本当に人生は一度きりなのか?
時間は有限?
死んだら終わり?

それ本当?

何で死んでもないのにそう思う(信じている)?
自分が体験してもないことに対して、なぜそうだと信じ込む?


人生は単なる暇つぶし

そう感じるようになって、あらゆるプレッシャーや焦り、〇〇であるべき、〇〇しなければならない、がなくなった

暇つぶしなんだから、正しいも正解もないし、失敗も優劣も、そもそもルールだって、ない
本当に自由なんだと感じる

他の人の人生と比べることにも意味をなさないと感じる
他の人のやる事なす事にもジャッジをしなくなった

みんなそれぞれ自由に暇をつぶしているのね
と思うだけ

と、全てのジャッジから解放された感じ

感じで言うと、遊園地🎡✨にいる感じ

絶対に大丈夫】の中で、みんなワーキャー言いながら、楽しんでいる感じ

遊園地で深刻になる人はいない



















『心に従う』は、本来の自分に戻っていく

私はそんな感覚

そして人生は暇つぶし

これも今の私の感覚

迷った時は、正しい方ではなくて、楽しい方面白い方を選ぶようにしている

『人生は暇つぶし』
私はその感覚が好きだ
自由な感じがして
何をしても何になっても、🆗じゃん?
暇つぶしなんだから





































私はパリは合わないと思った所、後編です

私がパリで一番嫌だったのは
トイレの少なさと汚さです😓

施設の規模とトイレの数が合ってない所が多い…😓
だから混む…
だから汚れる…

さらに、ある施設では便座が無いトイレもあって(本当にあるんだ‼️と驚きました)、本当にショックでした😱
並んでコレ⁉️
人権侵害‼️
できません‼️😱


パリが合わないと思った最後の所は、
観光施設のセキュリティチェックの厳しさです

ある施設では空港の保安検査より厳しいのでは!?と思いました😅(ここは刑務所か?と思うような所も…😅)

また私が行ったのは冬なので、セキュリティチェックの度にごっつい上着(ダウンジャケット)や手袋を脱ぎ、スマートフォンや鞄を渡す手間が面倒くさくて…😮‍💨(長蛇の列の一因でもある😮‍💨)

このセキュリティチェックの厳しさは治安があまり良くないという表れなのでしょう

治安の良し悪しで街の雰囲気も全然違いますしね

それに警戒しながら居るのは(鞄から目を離すなとか、メトロの混んだ電車に乗っている時とか、夜1人で外出する時などなど)、神経衰弱です…😮‍💨(HPの減りが早い😑)


余談ですが、私はパリへ行く日に大阪上本町駅でニット帽を落としてしまいました(お気に入りだったんですキューン)

その事に気付いたのが、大阪関西空港に向かうバスの中で大変ショックでした😱(パリに行きたくなかったんだ…と思うことにしました💔)

そして6日後パリから戻って来た日、絶対に無いと思いつつ、大阪上本町駅で落とし物センターに尋ねたら、私のニット帽が届けられていたんです‼️😭

拾ってくださった方、保管してくださった大阪上本町駅に心の底から感謝✨感激✨でした‼️

帰って来て早々日本、神‼️と心で叫んでいました😭


常識や価値観は、他を知ることや比較することで、改めて考える良い機会になると思うので、自分の常識や価値観をブラッシュアップさせるために、様々な世界や社会に実際に触れること(百聞は一見にしかずですね)を大切にしています😊

そしてパリは実際に行ってみて、何か合わない…😑と感覚で感じました

行かないと(体験しないと)分からない感覚です

食べ物と同じですね🍚
美味しそうと思って食べてみたら、そうでもなかった…
その逆もありますよね

良い悪いではなく、合う、合わない
結局体験は自分自身を知るツールだと思います😊

私はイギリス、特にロンドン🇬🇧が大好きだから、パリも好きなんだと思ってたけど、違っていたから、自分でもビックリしてるくらいです😳

体験してみないと分からないですね

でも今回の初パリ ソロ旅もたくさんのがあり、自分の世界がまた広がりました✨✨

めでたし  🌱出たしです✨✨




でも正直に言うと、本当は行く前から何か変な感じがしていたんです
今までに無い感覚でした
これを言葉にするのはとても難しいです😓

体験する前に感覚の方が先に立つみたいな…?