12月26日(火曜日)久しぶりに籾井先生の夢を見ました。教務主任をしながら6年の担任をされているようで、自分が急用で教室を離れなければならなくなった時に、どうしたらよいか子ども達に考えさせておられる場面です。そこに私も登場し子どもたちに何かアドバイスをしなければとあれこれ悩んでいるところでした。久しく籾井先生の夢は見なかったのですが、「今の私の状況を考え、みかねて夢に出てこられたのかな」と目を覚ましたあとしばらく考えていました。籾井先生はとても厳しい方でした。それはサッカーをする子ども達には当然で、そばにいる私たちコーチも応援に来ていた保護者も緊張感が走りまくりました。そして自分自身にも厳しい方でした。自らのサッカープレーヤーとしての期間は短かったのですが、一級審判を目指して社会人の試合の審判をこなす傍ら、高校サッカーでの指導を経て希望だった中学校での指導者となるステップと考え小学校の指導や体育研究所での研究に取り組まれて、若久に来られていました。自分自身も晩年まで体を鍛えておられました。その一方で、なによりも子どもを成長させるためにはどうしたらよいのかを考えられる方でした。気性の激しい方でもありものすごく温かい方でもありました。ご自宅に飲みに行ったら開口一番「おもしろい練習を考えたよ!」と目を輝かせて説明をしてくださいました。グラウンドでの1ミリも隙を見せない顔とは別な無邪気な子どものような(スミマセン)顔を見せられ時間を忘れてサッカー談義、子どもへの指導談義をされたものです。そのような籾井先生の姿に惹かれて、サッカーの経験もない私がグラウンドに足を運ぶようなったのです。経験がないというハンディを克服するために、書店でサッカー関係の見かけると購入して読みあさり、イギリスのプロ選手が登場する指導ビデオ10巻があれば買って毎晩のように繰り返し観ていたものです。新婚時代は、食事の後はそのビデオ鑑賞でしたから、だいぶ不満も言われました。でもそれよりも目の前で行われる籾井先生の指導が一番参考になりました。当然ながらたらたらした雰囲気は一ミリもありません。私には単にサッカーの動きだけではなく、そのように動く必然となる場面のとらえ方をどう植え付けるかまで話して下さったものです。

私が一番そばで話を聞いていたものですから、ある指導者からはその核心となる考え方を教えて欲しいとしつこく聞かれたものです。当時は、私自身も十分理解できないままでしたが、指導の年月を重ねる毎にその内容の重みをひしひしと感じているところです。今でこそ当たり前ですが、「クサビ」「ワンサイドカット」「鍵をかける(中盤が連携してスライドしながら縦パスを奪う守備)等々、もう数十年前から熱く語っておられました。野球も大好きで(高校時代は野球選手でした)、長嶋の大ファンでしたね。

籾井先生が転勤でチームを離れられた後を引き継いでからは、籾井イズムを潰してはならないと必死の毎日が始まりました。一番はサッカーを通して子どもの成長を促すことでした。「物事に真剣に向き合うこと。」「妥協しないこと」「簡単にあきらめないこと」「未熟さを他人のせいにしないこと」「自分を支えてくれる親、兄弟、友だち、地域の方に感謝の念をもつこと」

「自分の人生は自分が主人公となること」等々です。そしてサッカ-の経験がないことは自分自身にとっては大きなプレッシャーでした。ですから、周りの指導者の指導をみてまわりました。試合会場でアップしている様子やその時の指導者の声かけをメモしていました。指導者の懇親会でもいろいろな先輩達に質問してまわりました。とても追いつけないプレッシャーに押しつぶされそうになりましたが、その時の保護者や他チームの指導者そして子ども達に支えられて今日まで来ました。未熟な私がすでにグラウンドに立って子ども達に指導していた頃に「おぎゃー」と生まれた子ども達が、今は立派な大人親になるぐらい長い年月が経ちました。自分の中には初志貫徹のつもりですが、時代は大きく変わったなと感じます。もう私の居場所はないように思えます。

先日、実母を亡くしました。病院に意識が朦朧となっている母を寝かせたまま、子どもに何かあったらいけないと思いグラウンドに立っていました。「いつまでサッカーの指導をするの」とちょっと恨めしそうに見る母に「子どもががんばっているからなげだせないじゃん」と言って病室を後にしていました。遺影になってほほえんでくる母はもう何も言ってくれません。こんな親不孝な息子はいないよなと謝る毎日です。もうすぐ1年に一度のOB戦(旧町内対抗試合)があります。44年間の活動で若久を巣立った子ども達が立派になって集まってきます。卒団生は400人は越えるでしょう。下は中学生から上は白髪も混じった頭をしたおじいちゃんまで。もうみんなはよいおじさんになっていることでしょう。鼻水垂らし、泣きながらでもボールを追いかけていた子ども達が。懐かしく会って「元気にしているか?」と話しをしたい気持もあり、今の自分は胸を張ってその子達の前に立てるのかと自問自答しています。