季節は母の死から2周した。
俺が12歳、雅紀が4歳の夏。
「あちぃー…」
海辺にある小高い丘の上。
真夏の太陽はジリジリと音を立てるように照り付ける。
ここはウチからも智の保養所からも木々や岩が邪魔して死角になる。
俺らの秘密の場所だった。
剥き出しの岩肌も、通い慣れると座るに快適なお気に入りの石が見つかる。
智がそこからの景色を絵に描くこともあれば、気候が快適な時はそこで勉強を教えてもらったりもした。
智が絵を描いてる時は、俺は隣で釣りをするのがお決まりだった。
智の絵はいつもどこか寂しげで、どの絵も空の色が暗かった。
真意を直接聞いたことは無かったけど、海外へ繋がる広い空が少し羨ましくて嫌いなんだろうな、って思ってた。
当時雅紀は智に懐いてはいたけど、基本的に母方のばあちゃんの家で暮らしていたからほとんど別荘の方には来なかったし、
少し先に整備された海水浴場があるからここら辺は人も少なく、邪魔者は一切入らなかった。
因みに俺は智と一緒にいたかったから、一緒に住もうというばあちゃんの意見を無視し、母が死んでも1人で別荘に居座り続けた。
転校するのが嫌だと父親に説明し、彼は家政婦を増やすことで俺という面倒事を片付けていた。
海に面した丘の上で並んで腰を下ろし、足をプラつかせながら家政婦が持たせたカルピスを2人で飲むのが習慣だった。
3メートルほど下では、波が岩場に打ち上げられ、不定期にザザ…と音を奏でている。
「あー…今日の空、絵にしたかったな。」
智が悔しそうに目を細める。
その日の空は今でもよく覚えている。
カラリと晴れた、真っ青な空だった。
そのくせどこかで雨があったのか太陽の周りに虹が丸くできていて。
地平線からもくもくと入道雲が生えている。
左側に昼間の月もうっすら浮かんでいる
そんな、嫌味な程 希望に満ちたような夏の空。
「うぷ、」
智は毎回、直接口をつけるタイプの水筒を傾ける角度に失敗し、口の端からカルピスを零す。
「バーカ、学べよ(笑)」
俺は笑いながら智を小突き、家政婦に毎日持たされるアイロンがけされたハンカチを手渡す。
「バカだな、バカって言う方がバカなんだぞ。」
口元を拭いながら頬を膨らませる智の顔は、20歳過ぎには到底見えない可愛らしさだった。
そのハンカチ、俺が後で口をつけて間接キスしてるって知ったら智はどんな顔をするだろう、と毎回思う。
「はいバカって言った~智バカ~」
「今のは違うっつの!(笑)」
ここまでがワンセット。
こんな色気のない毎度のやりとりも、何だか2人だけのルールみたいで、胸の奥がこそばゆくなった。
だけど、この日は何だか智はおかしくて。
多分……
ずっと死に怯えて生きてきた智には、分かってたんだと思う。
虫の知らせ、みたいなもの。
ジジジ、と足元で大きな音がする。
ふと見るとセミが飛べなくなっている。
「あー、こいつ死ぬなぁ」
何気なく言ったら、サトシが慌てて拾い上げた。
智の掌の中でジジジジ!と足掻くも、羽は機能しない。
「…死んじゃうの?」
「多分。ほら、羽が破れてるから…樹から落ちたんだと思うよ。」
見るからに弱ったそいつは、やがて掌の上で動かなくなった。
「死んじゃった…ね。」
「セミは7日しか生きられないからね。仕方ないよ。海に還してやろ。ほら、貸して。」
智が戸惑いながら手を出し、俺はそれをまるでボールのように放り投げた。
軽く小さな『命だったモノ』は、ふわりと風に揺れながら崖下へ落ちていく。
行く末を見守っていると、不意にぎゅっと手を握られた。
「え…智?」
「翔くん…。去年のクリスマスの時、おいらが言ったこと、覚えてる?」
「…何だっけ?」
あの日泣いたことが恥ずかしくて、忘れたフリをした。
「いや…何でもないよ。」
智は海を見つめて小さく笑った。
智のあの日の言葉はよく覚えていた。
── 輪廻転生、って知ってる?
…ちゃんと覚えてる、って。
言えばよかった。
悔やむのは、いつだって全てが過ぎてからだ。
「これあげる。」
差し出された智の綺麗な指が開かれ、銀色に光るものを俺に手渡した。
「何、これ?」
「…指輪。」
智が照れ臭そうに呟いた。
好きな人から指輪を送られるということが、今ならどれだけの価値があるか分かるけど。
この時の俺は単純に、そのデザインと、智からのプレゼントということに酷く舞い上がった。
シンプルなんだけど、真ん中の石?の左右に天使の羽のような模様が施されている。
単純に、カッコイイ。
「ありがとっ!大事にするよ!」
嬉しくて、嬉しくて。
だけど
最期の時は残酷に、そして確実に迫っていた。