「ハートの、クイーン…つまり、あなたのことです。」
「わあっ!」
女性の嬉しそうな声が響くバーで、グラスを拭いているバーテンダーがこっそりと溜息をつく。
ほぼ同時にバーテンダーと同じ行動をとったカウンターの客は、目立つ彫りの深い顔立ちをしている。
カウンターの一番奥の席でスコッチを飲んでいたスーツに身を包んだ客が、シンクロする2人の様子を見てニヤリと口角を上げる。
「えーマジでどうなってるかわかんないんだけどっ!お兄さんこわ!」
「わかんないようにやってますからね。それに…見てすぐわかるものより、わかんない方が燃えるでしょ?」
当然というようにその男は恭しく一礼する。
その姿にぽっと頬を染める女性客2人組。
「では、失礼。」
にっこり笑えば、天使の弓矢を打たれたかのように虜になる。
男女問わずに魅了する男の指は、一般的なマジシャンのそれとは異なり、幼く丸いものだ。
顔も同様にあどけないその男は、このBARで働く人気のマジシャンである。
「お疲れ。」
「疲れちゃいないよ、あんなもんで。」
バーテンダーがマジシャンを労うも、マジシャンは興味無さそうな顔で手をひらひらとさせる。
「じゃ俺にもしてよ。ほら、指名するから。」
彫りの深い男が財布を取り出し、すっと札をテーブルの上に置く。
「すみませんね。次はあちらのお客様なんで。」
「…じゃその次、俺ね。」
「好きだね、アンタも。」
ニッと笑い奥のソファ席へ行く男を切なそうに見つめるのは、彫りの深い男とバーテンダーだ。
「…別に、俺は…。」
彫りの深い男が空のグラスに向かって小さく呟く。
「お待たせしました。」
バーテンダーが新しいカクテルを差し出す。
男はそれを少し上げ、照明に翳す。
透き通るような黄色いカクテルは、光に当てると七色に光るようになっている。
「あの。」
奥のスーツの男が片手をあげる。
「彼と同じものを。」
「かしこまりました。」
スーツの男は彫りの深い男にぺこりと頭を下げる。
「すみません。とても美味しそうだったので、つい。」
「…いえ。」
突然話しかけられて訝しげな顔をした男に、スーツの男はすっと立ち上がる。
「失礼。櫻井と申します。」
「あ…えーと、松本です。」
不意に名乗られ、反射的に松本も頭を下げる。
BARで名前を聞かれることはさほど珍しいことではないが、隣ではなく離れた席の男から挨拶されたのは初めてだ。
「彼…上手いんですか。」
後方の遠い席でカップルにトランプマジックを披露しているマジシャンを一瞥する。
「ええ…まぁ。凄いですよ。見事ハマりました。」
松本と名乗る男と『相葉』という名札をつけたバーテンダーがハマったのは、果たしてマジックなのか当人なのか…。
櫻井はふっと小さく笑う。
(──楽しめそうだ。)
何もかも手に入る生活に退屈していた櫻井は、再度ちらりと後ろを見る。
カップルは両手を叩きその魔法のような手捌きに感心している。
(コイツら、どちらがアイツをオトすか見届けるか……
それとも、俺がアイツをオトそうか…。)
「お待たせしました。『虹』です。」
バーテンダーの声に櫻井が振り返ると、黄色いカクテルがコトリと置かれる。
先程松本がしたように、櫻井もグラスを光に翳す。
キラキラと反射し、色を持つ不思議なカクテル。
「『虹』、か。七色に光るからかな?和名とは珍しいね。」
「お察しの通りです。これは彼…二宮がつけた名前なので。」
「へえ。」
(二宮、ね。)
相葉の示す手に促され話題の男を振り返ると、カップルの元からカウンターへ戻ってきているところだ。
視線が合い、櫻井はニコッと笑ってカクテルを上げる。
視界に捉えたはずのそいつは、興味なさげに歩みを止めず、小さく頭を下げてカウンターの中へ戻っていく。
「こらニノ、失礼でしょ。お前のカクテル頼んでくださってるんだから。」
「俺のって…別にマージン入るわけでも何でもないし。そもそも相葉さんが俺に名前つけろっていうからつけたんじゃん。」
つれない態度をとる二宮を、相葉が無理矢理頭を下げさせる。
「すみません、こいつが。」
「やめろって!俺は客に媚びてまでこんな仕事したかねぇの。」
「いいですよ、別に気にしてません。」
櫻井が笑顔で掌を向ける。
礼が欲しくてアピールをした訳では無い。
それに…
(多少礼儀のないじゃじゃ馬を手懐けるのも、悪くない。)
櫻井は『虹』をそっと口にする。
爽やかな酸味と、少しの甘味を感じた。
櫻井さんを帝王っぽくとの依頼が
実は一番苦戦しました……(笑)