長崎旅行記続きです。
最終日は、長崎原爆資料館へ。
中学校の修学旅行以来なので…30年以上ぶりの訪問です。
かなり狭い場所だった記憶があったのですが、、
当時行ったのは、長崎国際文化会館の中の「原爆資料センター」で、今の原爆資料館は1996年に開館したようです。
遠い記憶ですが…何だか印象がかなり違うな。と思ったのは正解でした。
以前の資料センターに比べて、かなり視覚に訴える物が多く展示されていたように思います。記憶は曖昧ですが…
入館し、西暦が過去に遡るように記された螺旋状の通路を降りていくと、11時2分で止まったままの壊れた振り子時計
振り子の音が鳴り響いていて
原爆投下の1945年8月9日11:02にタイムスリップしたような感覚になりました。
続いて目を引いたのが、アメリカ軍が撮影した原爆投下の映像です。
無音の映像を見ながら
原爆を投下した時、アメリカ軍の兵士は何を思ったのだろう。と考えてしまいました。
達成感なのか、恐怖なのか…もしかしたら後悔なのか…
アメリカは、1942年に原爆製造に着手して、1945年7月16日に原爆実験に成功しています。
もし、日本がドイツに続いて降伏していたら。。
ベトナム戦争 アメリカ・ロシアの冷戦 キューバ危機 イラン戦争 など…
原爆は、後の戦争で使用されていたのかもしれないなと…考えてみたり。。
資料館は、原爆投下時の状況や惨状だけでなく、原爆開発の過程や、原爆投下に至る経緯、そして現在の核兵器の状況などの展示があり、
平和について深く考える時間となりました。
資料館を後にして、
爆心地のモニュメント近くの浦上天主堂の遺壁
爆心地のモニュメントの写真を撮るのは、なんとなく憚られて…撮影せず。
左側の地面に白く描かれてる円の中心が爆心地です。
そして平和公園へ。
平和の泉
広島平和公園には「祈りの泉」の噴水がありますが、
どちらも、被爆者たちが「水を、水を…」とうめき叫びながら亡くなっていった痛ましい霊に水をささげるための噴水です。
水を求めながら亡くなっていった人を思い、胸が締め付けられます。
平和祈念像
原爆が投下された長崎・広島だけでなく、地上戦が行われた沖縄や、数え切れないほどの空襲など、、今の日本の平和は本当に多くの犠牲の上で成り立っていることを改めて考える場所でした。
戦争はいけない。誰もがそう思っていると思います。
でも、その一方で、正しい戦争もある。という意見もあります。
戦争には戦場があり、多くの犠牲が戦場で生まれていることを忘れてはなりません。「戦場」をたくさん作り出す「戦争」は、どんな大義名分があろうとも、あってはならないものだと思います。
「もはや戦後ではない。」は、経済的な面での言葉だったと思いますが、、、
次の戦争が始まるまでは、ずっと戦後であり、
そして、次の戦争は起こってはならないけれど、もしかしたら、今は次の戦争の戦前かもしれない。
世界の戦争までを止める術は分からないけれど、
日本が戦争を始めてしまわないように、今がもしかしたら戦前なのかもしれないという危機感を持って、世界情勢と政治をしっかりと見て行く必要がある。
個人が出来ることは限られているかもしれないけれど、過ちを繰り返さないためにも個人個人が過去を学び続けることが必要だと考えた1日になりました。