『国宝』がアマプラで配信開始されていますが、評判が良すぎてまだ観れていません。
古典芸能や伝統芸能に携わる人が共通して言うこと、それは
「昔の人の技のレベルを再現できない」
着物の染の職人の世界では、二代前のレベルにさえ、どうあがいても辿り着けないといいます。
それは、現代人の身体への集注の仕方が昔とでは全く違うからのようです。
現代人は頭で描いたイメージで身体を動かそうとしたり、自分の身体に頭が命令して何かを行おうとする、つまり肩より上の「頭の集中」になっている。
必要なのは、学校で勉強する時の頭の集中ではなく、身体に生じる、肩より下の、「肚」や「足腰」に向かう集中。
職人の世界では、手足を用いずに頭だけで考えていては何も作れません。
日本の物作りが海外では絶賛されているけれど、それは昔の職人の技術であることがほとんど。日本人は日本人としてどこを目指していくべきなのか。現代の人は、これからはAIが全部つくってくれるから関係ないと思っているようだけど、そんな時代に輝くのは人の手で作ったもの。
今の子供たちは習字離れが加速し身体の使い方がどんどん不器用になっています。肚で書く感覚さえ感じれずに大人になる。肚で書くものと知ると、肚を支点に上半身が自然と動く。これが身体全体で書くということ。子供に指導するときは体全体を使って書くと指導する。体が固定されたまま微動だにしないのは小手先で書いているということ。ここに気付けるかどうか。そうなるにはひたすら書くしかない。行き詰まるまで書き、悩み、苦しみ、試行錯誤し、頭で考えることをやめたときに、なにか掴めるのではないか。
しかしそんなことよりも
受験や検定に打ち込ませ、頭主導の人間をつくっているということに気づいている教育者はどれほどいるのか。
昔の人が普通としていた身体観や感性、基礎体力を、近代化、産業化(規格品を効率よく作るために、人間も人工的な社会構造に合わせるためにマニュアルを作り、一律化することが学校、軍隊、工場で教育された)の中で、気づかないうちに失ってしまったことに。
現代人の多くが、昔の人の身体能力をあり得ないと感じてしまうのは、身体の常識が変わってしまったから。
正座ひとつとってもできない、やらせない人が増えている。正しく正座をすると、身体の下の方(肚や足腰)に集注が向かい、そこに気が沈んでいる状態になる。
幕末に撮られた写真では武士、農民とも猫背気味で膝は伸びておらず、気を付けの姿勢をしている人がいない。
というように、かつての武芸や工芸のレベルを再現できないのは、身体そのものが変わってしまったため、いくら努力しても百年二百年前のレベルには到達できないという悲しい現実が
といっても、そんなことを悲しむ人はさほどいないんだろうな。
