第50回 毎日児童生徒硬筆展

 

今年は節目となる50回展。

 

書道に限らず、作品というものは時間を掛けて作るもの、ということを知らない人が増えているように感じる今日この頃。ちょろっと書いただけで、「できない」という人がなんと多いことか。子供だけじゃなく大人も。

というのも、先日、断捨離をしている母親から面白いものを見つけたという報を受けたので、何かと思って見に行ってみると、、、

 

小学1年生で、たったの8文字をこんなに練習していたなんて、、、記憶にない。

自分から進んでやっていたということはないはず。

母親がスパルタだったので、、、まあそういうことです。

 

というか、これを今まで保管していたということが驚きです。

 

500枚は書いていたらしいですが、昔は皆さんもこれくらいやってました?

世の中には器用な人がいて、練習をしなくても初見でそっくりに書き写すことが出来る人もいます。でも、僕はそうではなかったのでめちゃくちゃ時間がかかっただけなのかもしれません。毛筆のコンクールの時は1000枚書いていたというし。それくらい書かないとできないということは、やっぱり才能がなかったということなのか。

 

でも今思うと、これくらい時間を掛けて何かをつくるということを体験をしないと、魂って入れられないんじゃないのかとも思えるわけです

日本人は創作する際に「魂を込める」という言い方をしますが、日本人の特性とは「物づくり」。これは祖先の縄文人から受け継がれているものと言われています。縄文人は自然由来のものを利用し、時間を掛けて物質を生み出していました。そういった丁寧な物づくりは、例えば、和紙文化や発酵文化といった、世界に誇る日本の伝統文化として受け継がれてきました。自然に感謝しながら手作業で物をつくる縄文の叡智こそが、世界に負けない日本の強みであるといえます。

 

しかしながら、現在は機械化が進み、伝統文化はどんどん衰退していき、科学技術の発展によって「安かろう悪かろう」の時代から、「安かろう良かろう」に移り変わり、多くの人がインスタント的な物を求めるようになっています。大量生産によって生活が豊かになったように思えますが、実際は失っているものの方が大きいようです。

唯物論や自我意識にとらわれてしまうと、魂の存在を否定しがちになってしまいます。これが物質主義的価値観のデメリット。受験競争、偏差値教育もそういった価値観によるもので、学校教育がおかしな方向にいっている元凶となっています。日本人の強みを削いでいっているようにしか思えない。

今の子供たちは、なにかにつけて「忙しい忙しい」と口にしますが、遊ぶのに忙しいといっているようではないですから、聞いているといたたまれなくなってしまいます。

ルドルフ・シュタイナーは、幼少期には知的な教育よりも、体験によって深まる感情の教育を優先させるべきだと言いました。なぜなら、その年齢までに習得しないと取り返せないから。

 

 

あともうひとつ面白いものを見つけました。

これは姉の競書会の作品です。40年以上前のものですね。

 

将来、書道教室を開くなんて誰一人1ミリも思ってもない時の、この特訓が今となっては土台となっているわけですから、その土台を作ってくれた母親には感謝しかない。

当時は鬼としか思っていませんでしたが。

 

それでは、今年もたくさんのご応募お待ちしております。