新年のご挨拶・その他いろいろ | 書道教室 墨屋好文堂

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あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い申し上げます。


今年の年賀状はこんな感じです。楷書でシンプルに。



毎年手書きオンリーでやってきましたが、今年は絵柄だけパソコンの力を借りてみました。もちろんメインは石に彫った、ぴっつんのハンコと手に持っている旗のハンコです。

ということで本年はぴっつん共々どうぞよろしくお願いいたします。


さて、今月は4日から教室が始まります。

冬休みの宿題がまだの人はこちらでやってもらっても構いませんし、日数の少ない冬休みということもありますから、その辺りを踏まえて休んでも構いません。ですのでお越しになれるようでしたらおいでください。


今月の硬筆課題も過去文特集でいきますね。

まだ少し良い過去課題文が残ってますのでそちらを消化したいと思います。


それと、今年からはブログの方に生徒の作品を載せていこうと思います。

というのも、本年度をもって、お世話になっていたアイカルチャーさんの講座が閉講することになりました。これまではカルチャー内にある掲示板に生徒の作品を展示していたのですができなくなってしまいました。ですのでこちらに載せてしまおうということです。


もちろん個人情報やらなんやらの問題が最近はうるさいので作品に書いている名前は消します。ご安心ください。名前を載せても構わないという方はお知らせくださいね。でも、ここの教室では名前のハンコを押しているのでそちらで判断することもできますけどね。ちょっとわかりにくいですけど。


それでは11月と12月の清書作品です。デジカメが壊れてしまったのでスマホでの撮影。上手く撮れておらずなんだか画質が汚いですね。次回までに改善したいと思います。


※上から学年順









なかなかいい線いってると思うのですが,、いかがでしょう。やはり漢字は簡単なようで、幼児、低学年においても平仮名よりは上手く書けるようです。そうですね、特別な幼稚園に行かなくても出来ますよってことです。

いやしかし、級なしでこの腕前ですよ。級なんかなくても上達するということを子供たちは証明してくれました。級取得制度なしでいくという僕のわがままに付き合ってくれてありがとうという気持ちでいっぱいです。ようやく世の中の大人の常識を覆すこともできました。

この教室は3年になります。石の上でおとなしく3年やってきました。途中で何度もやはり級取得制度を入れようかと悩んだりました。ほんとはその方が子供達は喜ぶんじゃないかとか思ったり。でもそんな時に限って、子供たちがなにか励みになる成果をだしてくれたり、親御さんのありがたい言葉をいただいたりと、いいタイミングで踏みとどまる機会を与えてくださいました。

やはり肩書や、対価としての褒賞は意味をなさないということを大人が子供に伝えるということも大切かと思います。もちろんすべてを否定するつもりはありませんが。ただ言えることはそれらを得ると、もしくは得たと思ってしまうと自由ではなくなるということ。

まあそんな小難しいことを子供たちに言うつもりはありませんが、とにかく僕がやっていることは、肩書で判断するなということ、そして自分の力を信じれるようになること、しかし自惚れるなということ、たとえできなくともそれが「全て」ではないということ、もしくはできないのなら応用を効かす、あとはユーモアを大切にということ。


話はかわりますが、みんな練習ノートに書いている時は、上の作品の2倍は上手に書いています。清書になると形が崩れてしまうんですよね。メンタル面の変化がそのまま文字に表れるからです。「字は体を表す」の体現ですつまり、清書になると緊張する、すると視野と思考が一気に狭くなる。これは書いているペン先の一点に集中してしまう状態。木だけを見て森を見てない状態です。だからマスの中心に書けない、文字が崩れるといったこミスが出てくる。そして頭の中はいろんなお喋りが始まる。上手く書かなければいけない、失敗はできないと。こうなってしまうともう取り返しがつかないことになってしまいます。こういう時はとにかく頭の中のお喋りを止めること。

分かりやすく言いましょう。

この記事を書くのは実は2回目なんです。最初の時に保存せずにブラウザを閉じてしまいました。

その時僕の頭の中はどうなっていたのかというと、


「なんでやねん、なんで勝手に閉じてんねん。ありえん、絶対にありえん。でもあれやな、よう考えてみたら新年の記念すべき一番目のミスやな。うん、記念の失敗ってことでめでたしめでたし!ってなるわけないやろ。ていうか何回この失敗やってんねん。バーカバーカ。」


という非常にお下品な内容です。

この頭の中のお喋りを冷静に観察するわけですね。そうすると、なんか喋ってんなあ俺、と気づくわけです。そしてこのお喋りをストップさせることも実は自分でできることにも気づくわけですよ。なんかこれダサいから止めようと。

そうすることを日常の中で何回か続け、そして習慣化させていく。すると、上記のお喋りでいくと、最初の「なんで、」のところで終われるわけです。その一言で終われるわけです。

もしくは、これは裏技ですけど、その怒りのセリフを「国税局査察官(ドラマ半沢直樹の)」に変えてみる。そうすることによってストレスは減り続け溜まることなく、結果的に病気もなくなる。お肌も綺麗になる。

以上。


つまりはこれを応用するんです。普段から「緊張すると上手くできない。上手く書かなければいけない、清書は失敗できない」、というお喋りが永遠と子供たちの頭の中では繰り返されています。ですけどそうじゃないんです。そのお喋りは必要のないものです。本来はできている、つまり練習の時には書くことができているはずの字を“知る”ことなんです。


モーフィアスは言いました。


「速く動くのではない。速いと知れ。」と…


つまりそういうことです


・・・どういうことやねん