前回続き。
ひとまず公募展の作品は書き終えました。
で、出来具合はといいますと,
今回も自信はないわけです。
”あなたは自信がなくてあたりまえだし、自信があったらおかしいのです。だから頑張ってみる価値がある”
”あなたがすべきことは結果を予測することではありません。結果がわからなくて自信がないからこそ頑張ってみる価値があります。”
アムボムッレ・スマナサーラ長老
とあるように自信がないからみんな頑張るわけです。
でも、やる前からあきらめる子も多いですよね。文句を口にする子も多いです。なぜ自分の権利を主張する子供(大人も)が今増えていると言われているのか・・・(はたしてほんとうに増えているのか、増やされているのか、それとも増減はないのか・・・)
先日、長男が体罰を受けたなどと中学校にクレームをつけ、金を脅し取ろうとしたモンスターペアレンツが恐喝未遂で立件されていました。自分の責任を無視しながら権利を主張し、他(学校)に責任を被せるといった傾向は、そういった戦後教育(GHQ)によって作られたものだ、という考えもあり、個人の権利や個性ばかりを主張する親(モンスターペアレンツ)、が世代世代で受け継がれ今に至る。
話を最初に戻しまして、
最近は展覧会における成績は悪くてですねスランプなのかなんなのか。以前より気持ち的に入り込めない部分はあるのは確かで。迷いもある。受賞を目指すことに関してもあまり意味を見いだせなくなったということもある。
かつてジョニー・デップがアカデミー賞受賞に関して全く興味がないと言っていましたよね。ハリウッドってのは売れる映画しか作らない拝金主義で有名。売れる役者に賞を与える。つまり言いたいことは、賞(実績)は信用ではあるが、必ずしもそれが確かなものとは限らないってこと。
受賞歴はその人を判断にするのに必要なものとして教えられてきて、無意識の内に人を肩書きで判断するようになり、受賞すること、そしてランクが上がる事を励みとしてやってきた私にとってそれはなくてはならないものであったはずなのに、そういうことに興味を持てなくなったわけです。意識の変化でもあるし、いろんな意味で現実(カラクリ)を知ったということもある。
とはいっても子供にしてみれば級が上がることを励みとしてやる子もいるでしょう。というかほとんどの人は級はあったほうがいい、そういう考え方をお持ちだと思います。しかし私の教室では級制度は設けるつもりは今のところありません。なぜなら、そこにこだわりたくないし、そこには自由がないから。
まあとにかく、級という肩書きを得る過程で心が鈍りストレスで疲れてしまうならその教育に意味はない。
よりよい成績のために互いに競争し合い勝つ。負けず嫌いの私は3、4年前までは完全にこの考え方だったんですけどね。こういった考え(相手を負かして打ち勝つ的な)に順応できない人を知ったことで、その考えを見直すべきなのかという葛藤が生まれたわけです。
そして実際当の本人たちはというと。教室の生徒(小学生低学年)に、私が所属している会の昇級制度のある教科書を見せたりして何気なくさぐりを入れてみると、級に関して興味はあるようだけど無ければないでいい、みたいな感じでした。
突然ですがちょっとこれをみて下さい。
これは私が4歳の時のクリスマス前に父親に送った手紙だそうです。もちろん本人は憶えてませんが。4歳にして俺はラジコンができるんだと主張しています。生意気です。ラジコンの前に文章は右から書けって言いたいですが。
注目して貰いたいのはそこではなく、4歳から習い始めてのこの字のレベルは上出来だということです。なぜこんなにも上手なのか、それは母親がスパルタだったんだそうです。母親によると週1回の書道教室以外に自宅でも母親は納得がいくまで書かしていたそうです、が、そんなスパルタも憶えてません。スパルタで憶えているのは、以前に話した農協のコンクールの時にひどく泣かされ県で金賞をもらったことだけで。(これ実は小3の時だったようです)まあこれも親がかなり喜んでいるから自分も喜んでいたような気になっていたと。とにかく小学生時代は母親いわく、いろんな賞を受賞していたそうだが、今となっては何一つ憶えてないという、なんだかむなしいという気持ちでいっぱいです。
級があると教える側もそこにこだわってしまう。そうするとお互いにストレスが生まれる。
知育だとか詰め込み教育だとかいろいろあります。知育ばかりじゃダメだからこんどは徳育だとか。なんでもそうですが今、子ども達の教育をしている人だったり機関は、20年後、30年後、彼らがおっさんになった時にとる行動、判断、精神状態を考えているのかどうなのか。そこには必ず影響がでてくるはずで、子供のころにストレスにさらされることが多いと、ストレスの弱い大人になるといわれているから、子供のときに与えられた影響というのは大人になって40代50代になっても出てくる場合もある。
なぜ今キレやすい人が多いのか。怒ったり欲張ったりすることはとても簡単なことで、最近はどうもそういった簡単な方、障害のない方へと進もうとする人が多い。理由の一つにゆとり教育が挙げられることが多いですが、これは実は単なる感情の依存症であると。そしてそれは”自由”ではないと。
好きなものを聞いて、食べて、見て・・・この自由に好きなことをしている、という状態は実は自由な状態ではなく、「目・耳・舌・身体・思考の奴隷状態」であると。つまり煩悩の奴隷であると。
ここに気付かない人が多いということは、またしても仏教ではよくいわれることです。仏教ですからつまり何千年も前から注意されていること。
願望→欲→怒り、この流れは比較的楽に進める。でも仏道はこの逆流を進む道なのです。と、冒頭の長老がおっしゃっています。
でも現実では、逆流して良い方向へ向かうことが楽しいと思えるように教えるにはどうすればいいのかと悩む毎日。
先日、尾木ママと水道橋博士(たけし軍団の)が対談しているテレビ番組を見ました。水道橋博士も今では3人の子を持っていて子育てオタクとまでいわれるほど教育熱心なのだそうで。そこで博士が尾木さんに言っていたことで同感だったのが、「子供の数だけ育て方はあるはずなんだからそれを評論家とか学者がいうパターンにはめてくれるな」というところ。
自分もそういう思いがあって評論家の本ってあまり読む気がしないのが本音。いろんな統計を取っての結果を提示してくれているんだろうけど、やはり人の数だけ想定外があるわけだから、そこを想定しないと机上の空論になってしまう。頭でっかちになるっていうところ。
私もいろいろな本から情報を拾いながら自分なりの言葉に直して述べてますがこれこそ机上の空論であるわけですしまだまだ自分の発言には自信がないと。
あっ!自信がないから頑張ってみる価値がある、ですな。
久々にいい感じでオチました。
長々とありがとうございました。
いい夢見れそうです。
