久しぶりに料理の本を買ったわけです。
この本にはボク自身も自分のレシピ本に書いた料理の「コツ」というより「基本中の基本」が事細かに掲載されています。

かつてボクがイタリア料理にハマるきっかけになったのは間違いなく彼のレシピ本でした。
ラ・ベットラ・ダ・オチアイのオーナーシェフ、落合務さん。
現在60代後半ながらバリバリ現役で、テレビや雑誌の仕事も多く、まだ日本にイタリア料理が浸透していない頃から国内におけるその第一人者として活躍し続けている料理人です。
今なお「予約の取れないレストラン」の異名は揺るがず、シンプルで飽きの来ない料理の数々は多くの人を魅了しています。
そんな落合シェフの著書の数々はボクが高校時代に最も読んだ本でした。
イタリア料理とはどういうモノなのか、ほんの少しだけ理解したばかりの頃、新しい知識が入ってくるのが楽しくて仕方なかったのを今でもよく覚えています。
その中でも上記の画像の本の帯にも書かれている【シークレットレシピ】という作品にあった「レシピの行間を読む」という一文がボクの中で調理に対する指針になりました。
つまり、どういうことか。
それはレシピを目で追っているだけじゃわからない、食材の状態の微妙な変化のこと。
要はこれを見極められることで、その人の料理の腕前はぐんと上がる。
その「何故そうなるのか」を丁寧に紐解いたのが今作【パーフェクトレシピ】。
Whyに対するBecauseがほとんどの物事(ましてや調理という科学的根拠の塊)にあるわけで、理屈を知っているか否かで結果は天と地の差になることも……。
大事なのはレシピ通りに作れることじゃないんです。だから、この本には
「口を酸っぱくして理屈を教えます。」
と書かれています。
落合シェフからすれば料理の「腕」というのは知識と技術と経験に基づくとのこと。
技術と経験はきちんと考えながら場数を踏めば自ずと身に付きますが、知識ばっかりはそうじゃない。
むしろ間違った方法で数をこなしたところで望む結果は得られないでしょう。
ボクも本当にそう思います。
料理の「理」は理屈の「理」だとボクも自分のレシピ本の冒頭に書きました。
煙たがられる表現なのは承知で書いただけに、今回10代の頃に憧れていた落合シェフも同じようなことを書いていたのは嬉しかったですね。
だって料理の本を書くのは読んだ人にも美味しいモノを食べてもらいたいから。
レシピには特許がないから昔のコックさんは自分のレシピを公開したがらないみたいな話を聞いたことがあったけど、それはプロのフィールドでしか勝負しない時代だったから。
素人さんを相手にしようとした時点で自分の知識を最大限おおっぴらにする覚悟がないなら、やらない方がいいとさえ思います。
どうせレシピ通りにやったって作る人によって味が変わるんだから(笑)。
こういう考え方は間違いなく落合シェフの本を読んだから身に付いたのかなぁと。
彼がいなければイタリアンの道にも進まなかったでしょう。
この本を読んでいると「そうそう!そういうことが大事なのよ!!」と思うことがいくつもあると同時に「俺のレシピとはここが違う、俺だったらこうする。」というポイントもかなりあります。
元はと言えば美味しいカルボナーラが作りたくて興味を持ったイタリア料理。
まかりなりにも店のメニューを丸々任されるようになったりしていく中で確立されてきた部分があると自覚しています。
やってることはかなりシンプルだし、そもそも余計なことをしたくない。
素材の持ち味を最大限生かし、決して小細工を使わず、温かみを届けるモノ。
それがボクの料理のテーマだったりします。
最後におまけするなら
材「料」を「理」解する
から「料理」なわけで、美味しいモノを本当に美味しく食べる方法を知ってる人が賢いんだと思っています。

