耕木杜日誌
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普遍的な建築について

 

耕木杜は無垢の素材にこだわります。構造は無垢材を手道具で手刻みし、強固に組み上げます。木材が仕上げとなる部分も、無垢のままで塗装などは行いません。外壁をはじめ内壁や天井のほとんどが左官仕上げです。全体の計画において、プロポーションや素材選びはもちろんのこと空間や窓の配置を最善に近づけることによって、空気が絶えず循環し光が隅々まで行き届く空間を設計しています。

イヴが蛇にそそのかされ禁断の実を食べたことによりアダムとイヴは楽園から追放されたという話を聞いたことがあると思います。その後どうなったかというと、アダムは罪を償う罰としての労働を始めたと書いてあるそうです。果たして労働は罰なのでしょうか(ここで一つ明らかにしておきたいことは、聖書も古事記や日本書紀も宗教書ではなく歴史書であるという考えに私は賛同しています)。日本ではどうかというと、天照大神は自分の孫に稲穂を用いて地上世界を統治するように伝え、稲作や機織りなど神様も労働する世界を作っています。今もなお天皇陛下はご自身で田植えから収穫までなさいます。自分以外に貢献したいという思いで行うのが日本の労働です。別の言い方をすると命を生かすのが日本の労働です。農家は食べ物を生かし、大工は木を生かし、鍛冶屋は鉄を生かす。八百万の神々が存在するのにも納得がいきます。自然も祖先も神々なのです。物が体(本来あるべき姿)をなしていない時、「もったいない」というのです。

石油がどのようなものかという大前提の疑問が解消されていないと個人的には思っていますが、耕木杜では外装も内装も石油由来の塗装やビニールでコーティングをするようなことはしません。無垢の材料にこのような処置を行うことは「もったいない」以外の何物でもありません。外観を印象的なものにするために木材を単にくっつけたり、ぶら下げたりという「意匠」を求める行為も決してしません。

人間に置き換えて言うと、自我の殻(小我)を作ってしまうと、風通しが悪くなり、新しいものが取り入れづらくなるため(思考や意識の)新陳代謝が進まず、腐りやすくなってしまいます。自ずと他人のことも理解しづらくなるでしょうし、周りの人たちを腐らせてしまう恐れもあります。こんなことをしては「もったいない」と思います。さらに自我の殻を見せかけや見栄などの薄っぺらな表層で飾ることで、人にこう見られたいという虚像を自ずと創り出してしまいます。そんな人に魅力を感じ続けることができるでしょうか。耕木杜の家は何世代にも渡って住み続けることが出来る家です。お施主様とも長くお付き合いをさせて頂けるように、耕木杜も無垢な魅力を持ち続けたいと思います。

全ての物の上に人間が存在しているという宗教観を持つと、破壊できる極限まで破壊が進んでしまいます。問題が発生してから声高に叫ぶのでは大変ですが、今聞こえてくるのはこのような種類の環境問題です。自然や祖先を大切にして生きていれば、継続的に物の体が整うように工夫して生活するものです。これが理想的な持続可能な社会ではないでしょうか。外からの圧力を受けて、他人の頭で考えて行動することが環境に良いものであるとは思えません。身体や深い記憶に刻まれている生き方を見直す必要があるのではないでしょうか。そのためには自分の置かれている特定の環境についてもう一度正しく理解することが大切です。生き方を見直す人が増えてくれば伝統的な結束(時間を上にさかのぼる道)を取り戻すことが出来ると思います。それからは横のつながりを大切にし、健全な議論をどのように生み出していくかが課題になると考えています。この課題を乗り越えることができれば18世紀のドイツで提唱された「アウフヘーベン」という言葉より千年以上前に日本において「止揚」という考え方が十七条憲法の第一条において提唱されていたことを思い出すこともできるでしょう。聖徳太子が実在していたかどうかは重要ではなく、十七条憲法が今なお有効であるということについて考えるべきではないでしょうか。

現在科学的に証明されている真理と言われるものは宇宙の真理の総体から比べるとほんの一部に過ぎないと言われています。しかも科学の間違いという可能性もあるので、証明されている真理の大半も間違っている可能性があります。かつてアインシュタインは、科学的に発見されていないものについて考えなければ新しい発見はないというような趣旨のことを言ったそうです。知識に関しても、自分の頭の中の領域を空けておく、もしくは頭の中と外との境界を開いておくことをしなければ柔軟性を失い、新しい知識を取り入れることや、新しい発想を生み出すことが難しくなると思います。頭の中も常に管理していなければ荒廃してしまいます。場を整えることで継続的に更新することも可能だとも言えます。

Universe(宇宙)という単語はuni(1つ)とvetere(回転するというラテン語)という語から出来ているそうです。God(創造主)は日本でいう神様とは違うと私は考えています。日本において神が宿る物はGod(創造主)が創り出した(もしくは人間に作らせた)物であり、それ以外の考え方など(形になっていないもの)は人間が創り出した「概念」だと考えています。そう考えると数字の0は「概念」であると言えます。そして数字の1も集合だと考えると無限の広がりを持つ「概念」だと言えます。集合としては知覚することが出来ますが、全体としての1を把握することは難しいと考えています。宇宙はまさに回転体が集合して1つになっているものであり、その全体も未だに膨張し続けています。それにもかかわらず、1つの集合体であることは今のところ普遍的な事実であると言えるのではないでしょうか。

0と1の間の無限の広がりをどのように把握するか。それは、一軒の住宅の空間をどのように構成するかということに似ていると思います。耕木杜では建築を構成する要素をなるべく少なくするように心がけています。構成要素である素材や人のエネルギーが潤滑に循環できるような整然とした風通しの良い空間を目指しています。家にいる間に、どれだけエネルギーを整えることができるかを重要な課題だと考えています。

母が子を育てるのも、子供同士が一緒に遊んで生き生きとしているのも、命を生かす行為(労働)であり、大切な営みではないでしょうか。料理をしたり、食事をしたり、お茶を飲んだりしている時だけでなく、寝ている時間にもどれだけ回復できるかが大変重要です。家にいる時間の中で目を閉じている時間は意外と長いです。その時間に何を感じるのか、あるいは何も感じないように自然体でいることが可能なのか。目を開けているときに見えるものだけでなく見えないことにも気を遣うように、目を閉じているときに何を感じるのかについても気を遣っています。掃除をするなど、場を整えるように心がけることも大切な行為です。人が家を生かし、家が人を生かすのが理想的な関係です。人のエネルギーを生かす魅力があるからこそ人に生かされているもの、継続できるエネルギーを持っているものを普遍的というのではないでしょうか。

素材自体にエネルギーがないだけでなく、さらにそれをコーティングしているとエネルギーを感じることもできませんし、人間のエネルギーも良いものから悪いものまで全て跳ね返ってきてしまいそうです。これではエネルギーはどんどん失われて行ってしまいます。どうしても細かいところは気になることは多々あると思いますが、根幹、根本が大事ではないでしょうか。表層や見てくれをどれだけ飾ってみても、その芯にあるものは透けて見えてくるものです。幹は何でできているのか、根は何でできているのか。根幹、根本が守らなければいけないものであり、決して失ってはいけないものです。

無限の広がりを持つ1つの集合体も「概念」ですので、意識次第では広げることも可能です。家だけでなく庭やその先の自然まで取り入れる暮らしを先人たちは知っていたのではないでしょうか。ふと家を思い出したときにあらわれるのは視覚的情報でしょうか、それとも身体的感覚でしょうか。あるいは、その場で紡がれた物語でしょうか。人と建築が影響を及ぼしあい、お互いを生かすことが理想的な営みであり、この営みが普遍的な建築を生むのかもしれません。

(KYUMA)

 

感情と過去について ~ つくば市S邸建て方 ~

(写真@k_maruyahttps://www.instagram.com/k_maruya/)

 
 

前回は感情と未来について書きましたが、今回は感情と過去について書きたいと思います。

先日つくば市S邸建て方があり、無事上棟することができました。

S様おめでとうございます。

建て方や建前、上棟、棟上げ、など色々な言い方があります。今回は建前という言い方に関連して、本音と建前について考えてみたいと思います。「建前」も「本音」も人それぞれ違ったイメージを持っていると思いますが、どっちが良いとか悪いとか絶対的に二元化するものではないという考えを前提に話をすることをハッキリさせておきたいと思います。

近頃、世の中に暗黙の了解のような「建前」(ハッキリしない淀んだ空気のようなもの)が蔓延してしまっていて、「本音」(人によって受け取り方が違ってしまっている水のようなもの)を言って異を唱えることが難しく感じることが多くなりました。現状はどちらかというと「空気」と「水」が一体となった曖昧な状態のものが充満しているため、判断がつかなくなっているような気がします。日本特有の「湿度」が高い状態と言いましょうか、議論をしたくない「湿気」がまとわりついてくる印象があります。

このまとわりついてくるような「湿気」は戦後体制のなか、除去することが難しくなっていきました。計画的に押し付けられた平和憲法という「空気」とアメリカの都合で作られた自衛隊・日米安保という「水」の矛盾について議論しないという「曖昧な(大人の)態度」を取り続けることによって、まとわりつく「湿気」に苦しむ子供たちは一貫性(連続性)を保つことに真面目になれなくなってしまいました。

高度経済成長後、1970年代の2度のオイルショックにより失業率の上昇、経済成長率の低下、税収の急落、社会保障費の上昇などが起こり、財政危機になってしまいます。その対策として、国家が全てを投げ渡し、民間が稼ぐための制度設計(「小さな政府」、規制緩和、金融資本主義など)を行ったのが「新自由主義政策」への転換でした。

工場に安く投資して高いリターンをもらうというのが金融資本主義です。自由貿易と金融の自由化を同時に行うことにより市場が肥大化していきました。先進国の製造業は衰退しBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国など)において農業・製造業が隆盛独占されるようになります。先進国の失業者は増大していき、多国籍企業や金融業などの「エリート」と「労働者・中間層」の格差が拡大していきました。

1990年代の後半からグローバリズムの加速により多国籍企業や金融業、IT企業などの「エリート」が醸成されていき、「勝ち組」「負け組」の二元化が起こりました。大多数の「国民の決定」を想像することが出来ない「グローバルエリート」の出現です。

それと同時期に日経連(今の経団連)が「新時代の『日本的経営』」というレポートにおいて旧来の日本型経営(終身雇用・年功序列)の否定を打ち出し、「カイシャ」共同体からの労働者の「解放=追放」が提言されました。個人(労働者)がバラバラに砂粒化され、「自己責任原則」を強いられるようになります。これにより大多数の「中間層」は砂粒化される前にも関わらず、不安と焦燥を感じるようになりました。

その頃に登場したのが「地方分権推進法」の制定と地方統一選挙での「改革知事」でした。バブルの崩壊による地方自治体の「財政悪化」と、それをもたらした政官業の「利益誘導政治」への批判を背景に「旧い既得権益者」に対する「清新な改革者」によるコスト削減は英雄であるというイメージの醸成が行われました。その結果、「無党派層」となった「大衆」に向けて、改革者というイメージを有名人に割り当て擁立することにより「改革知事」が生まれました。青山幸雄や横山ノックなど覚えていらっしゃるでしょうか。

その後も「大衆」(無党派層となった中間層)の焦燥と不安を利用した「劇場型政治」が蔓延しました。小泉劇場、橋下劇場、小池劇場など比較的記憶に新しいと思います。「敵に立ち向かう挑戦者」としての自己アピールは大衆受けが良く、驚くべき支持率を獲得しました。「改革」の旗印は大多数のためではなく、その本質は「グローバルエリートのための改革」であり、未だに日本を壊し続けています。2021年の衆議院選挙で日本維新の会が躍進しましたが、小泉政権時代の人間と日本維新の会の人間の関係を見れば約20年間構造は何も変わっていないことが分かると思います。

このように1990年代の後半から先進国と新興国、日本国内の金融業と製造業、大企業と中小企業、「エリート層」と「中間層」の分断が大きくなり、「格差」(アンバランス、バラバラ、お前と俺は違うという意識)が拡大してしまいました。「今だけ、金だけ、自分だけ」という考えです。最近は、M&Aの話もよく聞くようになりました。外資系もしくは外国企業が親会社である大企業が特別な技術を持った地方の製造業者を呑み込み、市場において寡占化することによって利益をとるだけとって、再編という形で製造業者はつぶしてしまうというのが常套手段です。地方の製造業者が元気になれば、このような悲惨な状況は避けられるのですが。

2000年代からはSNSが普及し、バラバラになった個人間の単なる机上のコミュニケーションが広がったために自己閉塞、不従順、自分が見たいものだけを選んで見るという現象が起きました。

2010年代からはスマートフォンが登場し、自己閉塞感が強まると同時に「抽象化されたみんな」からの良いねや閲覧数を強く意識させる指で画面をスライドさせるための「携帯できる世界」(自分の都合で切り取られてしまう世界)を「みんな」が持つようになりました。

2020年代からは、老・病・死のイメージが強まり自粛による社会崩壊が進んでいます。SNS世代だけでなく全ての世代が都合の良いデータだけを見て、それ以外を排除するように仕向けられてしまっています。自分に都合の悪い発言をするものは無視されるか、罵倒されるまでになってしまっています。

孤立してしまった人間は、視点は自分で選べるものなのに、抽象的な「みんなの目」で世の中を見てしまい、自分が何者か分からなくなり、自分に自信が持てず、自分で思考ができなくなり、本当の生きがいを失ってしまいます。自分というものを取り戻し、自分で判断ができるようになる必要があります。例え自分は周りの人が欲しがるものを全て手に入れたと思っても、自分にとって何が本当に大切なのかわからなければ、いずれ自己喪失に陥ってしまいます。

意志(感情の満足)を持って生きていきたいと前回のブログで書きました。そのためには自分から柔軟に視点を選ぶことが大切だと思っています。自分の視点を増やすためには、自分で勉強することが大切です。できるだけ直接的な情報を大事にしてください。歴史や文献(なるべくなら一次資料)にあたり、尊敬できる人を見つけてください。運よく尊敬できる人が近くにいる場合は、その人に会って直接話を聞いてください。それと同時に横のつながりを大切にして、その輪を広げていってください。「世間」がうまく機能していた時までは、自然に行われていた事ではないかと思います。「世間」が安定していると一貫性(連続性)を守ることができ、まとわりついてくるような「湿気」も払拭されると思います。

感情が満足しているということ、それは懐かしさに似たような感覚です。例えば子供がすんなり受け入れてくれるということがあります。赤ん坊は、母子の情を自他の別を認識する前に感じているそうです。つまり経験より深いところの記憶に触れているということです。この時母子共に生きる喜びを感じているはずです。感情によって記憶に触れているということではないでしょうか。

直観は感情の満足・不満足に関係していると前回のブログで書きました。直観というものは感じてしまうものです。「しっくりくる・しっくりこない」とも言いかえることができるでしょうか。それは主観ではありません。つまり自分だけの感情ではないのです。そして、気分に左右されるものでもないはずです。気分によって何種類かの直観を使い分ける人はいないと思います。特定の時間、場所、状況の中で繰り返し経験されて、それぞれの人の身についたものであり、日々の営み(長い時間でいうと歴史)のなかで、日本語という言語を使うことで共有され、長い間伝えられてきたものが、それぞれの人によって日々の無意識の言動から繰り返し自覚され続けたものではないでしょうか。なるほどそうだったのかと、「しっくりくる」と感じるのが直観だと思います。しっくりくるときは感情によって、より深い記憶に触れて喜びを感じるのではないでしょうか。喜びを感じる体験を強く求めるのが情熱ではないでしょうか。

大工さんが情熱をもって仕事をしたり、お施主様が「なんだか落ち着くなあ」と感じたり、子供たちがすんなり受け入れてくれたり、みんなが喜びを感じる家づくりをしたいと思っています。

だから無垢の木を使って、手道具を使って手刻みで加工して、しっかり組んで、頑丈な家の構造をつくります。

これが耕木杜の建て方です。

先人たちやその営み、自然環境など今と連続性を持つもの・ことにより深いところで触れることによって、「今だけ、自分だけ」という限られた概念・認識の外にあるものとつながることが出来ます。時間を上(かみ)にさかのぼる道について学ぶのが神道です。宗教という「自分の外側からの教え」ではなく、喜びを感じることを「自分の内側で学ぶ」道だと自分は考えています。外からの情報を多く取り入れても、自分の内側を常に整理して、好奇心を持って新しいことを迎え入れる余裕を持つことが大切だと思います。

これだけ長い連続性を維持することが出来ているのは、世界でも日本だけです。自分を見失わないように、喜びを感じることが出来るように、日々生きていきたいと考えています。

 

(KYUMA)

 

(※時代経過等につきましては、下記動画シリーズを参考にしました)

 

 

 

(写真@k_maruyahttps://www.instagram.com/k_maruya/)

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建て方見学の募集 2022年2月6日(日)

 

 

2022年2月6日(日)

茨城県つくば市某所にて建て方を行います。

手刻みの構造です。

無垢の木材を使用しています(ベニヤは使用していません)。

窓も全て木製建具です(アルミ・樹脂サッシは使用していません)。

ご見学の希望者を募集いたします。

耕木杜は 確かな素材を確かな技術で活かし 安心して暮らせる家づくりを実行しています。

次の世代、その次の世代まで良い家づくりを受け継ぐことを目指しています。

住宅建築に興味があり 手仕事に魅力を感じる方に 是非見ていただきたいです。

 

技術の習得に頑張れる 将来の担い手も募集しています。

墨付け刻みの経験者はもちろん 未経験者も一から指導します。

 

ご希望の方は耕木杜までご連絡ください。

よろしくお願いいたします。

有限会社 耕木杜

e-mail: abo@koubokusha.co.jp

tel: 0475309501

 

感情と未来について

 

「どうしても納得いかない」

親方が口にすることがあります。

直観というものは感情の満足・不満足と関係しているようです。

感情に反するとはどういうことでしょうか。

満足というものは情がするものであるとすると、感情の満足なしには情熱は持てないということになります。

情熱を持っているからこそ、納得いかないことがあるのではないでしょうか。

情熱がなければ、大工のような難しく、守備範囲の広い仕事は楽しめないということだと思います。

 

能力に差がある人間同士は、他(自他の他)に関しては情においてのみ関心を持つそうです。

差あって別なしという言葉を聞いたことがあります。

差別という言葉は差と別が一緒になってしまっていますが、人間同士にはどうしても差があります。そこで大事なのは何が違うかではないでしょうか。情を持って違いを理解すれば、自他の別を感じる必要はないのではないでしょうか。

自分の生活は色々な人々の仕事なしでは成り立たちません。それは今も太古の昔も同じだと思います。その対価を支払うために自分も仕事をしています。仕事に優劣はありませんが、辛いことはあると思います。労働は自分以外を含めた人間の生活を成り立たせるための手段ではないでしょうか。直接的な金銭のやり取りだけでなく、みんなが働くことで社会が成り立っているのだと思います。

 

蓋然性(がいぜんせい)という言葉を知りました。

偶然性の対称となる概念であり、蓋然性とは意志を持った選択の連続の結果だそうです。

量子物理学において、シュレーディンガー方程式というものがあります。方程式には表と裏があり、それぞれに過去と未来を当てはめると、今この瞬間(現在)以外は観測の対象である微粒子の運動量と位置を確定できるそうそうです。これだと今この瞬間が確率論になってしまい、偶然性に依るものになってしまいます。これでは感情に反してしまいます。満足できないのです。これに対して保江方程式というものは過去と未来の両方の要素を当てはめて現在を導き出すことに成功し、蓋然性という理論を確立したそうです。上手くいかないこともありますが、意志をもって(目標を定めて)最善を尽くしていれば、最善の結果に行きつくということです。

親方が、中惣という鉋は鍛冶屋さんが目指すところを明確に分かって作っているから切れると言っていたことを思い出します。

最善とは最終目標ではありません。進歩したい、進化したい、成長したいと考えていれば永遠に改善することができます。

このように考えると、植物など今存在している生物は蓋然性の賜物ではないでしょうか。実生の樹木から製材した材料に魅力があるのは、植物が意志を持って成長してきたことを感じ取っているからではないでしょうか。

若い人や若い植物がエネルギーに満ち溢れていることを魅力的に感じることも、自分の中にある情熱というエネルギーと響き合うからではないでしょうか。

人生は偶然性ではなく蓋然性の連続だから、先人の歴史からしっかりと学び、未来をしっかりと見据え、意志(感情の満足)を持って日々生きていきたいと考えています。

 

(KYUMA)

三浦市T邸 完成見学会

かねてより設計・施工を進めてまいりました住宅が完成いたします。

お施主様のご厚意で完成見学会を開催いたします。

HPのお問合せ先から、メールまたはお電話にてご連絡をお願いいたします。

http://www.koubokusha.co.jp

ご連絡頂いた方に詳細をお知らせいたします。

 

〈開催地〉

神奈川県三浦市某所

〈開催日時〉

2021年12月19日(日)午前・午後

※午前・午後のご希望をお知らせいただきますようお願いいたします。

〈キーワード〉

大工、手仕事、手道具、無垢の木、左官、平屋、安心、庭、家庭菜園、自然、海、リモート

 

 

三浦市T邸 完成見学会

かねてより設計・施工を進めてまいりました住宅が完成いたします。

お施主様のご厚意で完成見学会を開催いたします。

HPのお問合せ先から、メールまたはお電話にてご連絡をお願いいたします。

http://www.koubokusha.co.jp

ご連絡頂いた方に詳細をお知らせいたします。

 

〈開催地〉

神奈川県三浦市某所

〈開催日時〉

2021年12月19日(日)午前・午後

※午前・午後のご希望をお知らせいただきますようお願いいたします。

〈キーワード〉

大工、手仕事、手道具、無垢の木、左官、平屋、安心、庭、家庭菜園、自然、海、リモート

 

 

三浦市T邸 完成見学会

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お施主様のご厚意で完成見学会を開催いたします。

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ご連絡頂いた方に詳細をお知らせいたします。

 

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神奈川県三浦市某所

〈開催日時〉

2021年12月19日(日)午前・午後

※午前・午後のご希望をお知らせいただきますようお願いいたします。

〈キーワード〉

大工、手仕事、手道具、無垢の木、左官、平屋、安心、庭、家庭菜園、自然、海、リモート

 

 

【大阪くらしの今昔館】大徳寺玉林院 蓑庵 解説映像公開中

【大阪くらしの今昔館】

特別展 茶室起こし絵図展 大工頭中井家伝来 大徳寺玉林院 蓑庵
の設営の際に耕木杜の阿保が解説した映像が【大阪くらしの今昔館】のYoutubeアカウントにて公開されています。

【The Osaka Museum of Housing and Living】has revealed a series of 5 videos on their Youtube account about a tea house called "Sa-an" from "Gyokurinin" which is one of the subtemples of Daitokuji-temple in Kyoto.
Unfortunately, videos are only in Japanese...

 

三浦市T邸 完成見学会

 

かねてより設計・施工を進めてまいりました住宅が完成いたします。

お施主様のご厚意で完成見学会を開催いたします。

HPのお問合せ先から、メールまたはお電話にてご連絡をお願いいたします。

http://www.koubokusha.co.jp

ご連絡頂いた方に詳細をお知らせいたします。

 

〈開催地〉

神奈川県三浦市某所

〈開催日時〉

2021年12月19日(日)午前・午後

※午前・午後のご希望をお知らせいただきますようお願いいたします。

〈キーワード〉

大工、手仕事、手道具、無垢の木、左官、平屋、安心、庭、家庭菜園、自然、海、リモート

 

※詳細は随時更新いたします。

見学会開催のお知らせ

 

 

かねてより設計・施工を進めてまいりました住宅が完成いたします。

お施主様のご厚意で完成見学会を開催する予定ですので、楽しみにしておいてください。

(※写真は2010年11月の敷地周辺の様子になります。)

HPのお問合せ先から、メールまたはお電話にてご連絡をお願いいたします。

http://www.koubokusha.co.jp

〈開催地〉

神奈川県三浦市某所

〈開催日時〉

2021年12月上旬(予定)

〈キーワード〉

大工、手仕事、手道具、無垢の木、左官、平屋、安心、庭、家庭菜園、自然、海、リモート

 

※詳細は随時更新します。

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