最後の旅 ~ノースカスケード国立公園 North Cascades N.P~ | 雲をつかむ旅へ

最後の旅 ~ノースカスケード国立公園 North Cascades N.P~

帰国の日が近くなってきた。

シアトル発・成田着のフライトまで1週間をきっていた。

この旅を締めくくるにふさわしい時間を過ごしたい、頭に浮かんできたのが、アメリカの国立公園を堪能するということだった。

ヨセミテの感動をもう一度、、自然と一体化するあの感覚。

そして今度こそ、バックカントリー(許可が無ければ一日以上滞在することができないエリア)を訪れ、僕の友人が語っていた、そして冒険家の加藤則芳さんがいう『自然の横への広がり』を感じてみたい。

衣食住のすべてを詰め込んだバックパックを背負い、誰も居ない自然に踏み込んだとき、僕は一体どんなことを思うのだろうか。




ポートランドで夏子さんに手伝ってもらいながら、レンタカーをはじめ、テント、調理器具などをレンタルし、準備は整った。

バックパックは相当重たくて、これを担いで歩き回れるのか正直不安だったが、そこはこれまで培ってきた根性が何とかしてくれるだろう。

出発当日、わくわくする気持ちが抑えきれないように、車のエンジンをかけた。

行先はカナダとの国境に近いノースカスケード国立公園だ。

ポートランドから約6時間の距離で少し遠いが、アメリカのハイウエイをドライブするのも楽しい。

ラジオでかかる偶に知っている曲を口ずさみながら、スピードを上げていく。

最寄りのインターで下りて、その後は地道を真っ直ぐ東の方向へ進んでいく。

遥か彼方には真っ白な雪で覆われた山脈の威容ある姿が見えた。

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周りは牧場に囲まれた田舎で、その道をさらに進んでいくと森の中へ突入する。

なだらかな登り道となっていて、しばらく行けばノースカスケード国立公園のゲートが見えた。

その近くにウィルダネスセンター、つまり公園の管理局のような場所があり、僕はそこでバックカントリー入域のための許可証を取る。

窓口にいた若い男のレンジャーが、とても親切に僕の日程や希望に合わせてお薦めのルートやテントサイトを教えてくれた。

僕は彼がお薦めしてくれたルートで歩くことに決め、彼は許可証を発行してくれた。

去り際、「ところで、君は熊対策のフードコンテナを持っているかい?」と聞いてきた。

彼がとりだしてきたのは、大きな円筒型でプラスチックのコンテナだった。

「熊の鼻は恐ろしく強い。3キロも先の食料の臭いを嗅ぎ付けてやってくる。そうやって熊と出くわして被害に遭うバックパッカーがたくさんいるんだ。これを持って行くのはバックカントリーを訪れる人々のルールなんだ」

そのコンテナを持ってみると、重く、それ自体も大きいため僕のバックパックには入りそうにもなかった。

見かねたレンジャーが「まあ、これを持たないのであれば、食料を入れた袋を木に吊るす方法もあるよ。ロープは持っているか?」と提案してくれた。

僕はロープと食料袋を持っていたので、その方法を採用することにした。

義務付けられた熊対策、改めて、これから自然界の中に入り込んでいくということを意識させられた。

さらに進んでいけば、いよいよ雄大な自然が目の前に現れた。

真っ青に輝く湖の向こうには深い森が広がり、そこから盛り上がっていくように雄大で神々しくもある白い山々が聳え立っていて、美しいドキュメンタリーを見ているようだった。

そんななかを車は颯爽と走り、自分の人生の中でも一、二を争う爽快なドライブとなった。

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朝、ポートランドを出発してから大分経っていた。

ようやくバックカントリーの入り口に立ったときは、すでに5時を回った夕方だった。

入り口はキャンプ場のなかにあり、一般の人々はこれから先には立ち入らない。

たまたま居合わせた老夫婦が「これからバックカントリーにいくのか?」と聞いてきたので「そうだ」と答えると「熊に気をつけて、良いトレッキングを」と声を掛けてくれた。

ついでに彼らに写真を1枚撮ってもらい、いよいよ出発した。

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轟々と唸る川の横を沿うように藪道が続いていて、上流へひたすら登っていく。

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普段の山登りでは「頂点」という目標がある。

しかし、今回は明確な地点という目標はない。

では、なんのために歩くのか――それは「自然と同化するため」だ。

少しばかり歩いてみて、この2つの行動には大きな違いがあることに気が付いた。

山登りでは、頂点に意識が集中しすぎて、周りの美しい自然を見落としていたのだ。

森の緑、苔の緑、野に咲く草花が、いかに豊富な色彩を醸し出しているか。

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遠くに見える山峰を模るように積もる雪渓がいかに美しい形状をしているか。

そこを吹き抜ける風の音、川のせせらぎの音がいかに心地よい旋律を響かせているか。

そんなことに気が付かされた。





この日は夕方から歩き始めたこともあり、すぐに野営の準備をした。

指定された場所にはスペースがあり、それ以外には何もない。

テントを張り、薪を集めて火をつけて、夕飯のパスタの用意に取り掛かった。


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ガスバーナーで沸かしたお湯に、パスタと野菜をぶっこんで湯切りをしてからトマトソースを混ぜただけの『男気パスタ』。

普段食べても美味しくないだろうが、自然の中では魔法のスパイスがかかるので、何を食べても美味しい。

やがて陽が落ちて、漆黒が辺りを包みこむ。

川が轟々と流れる音と、薪がパチパチと燃える音が響き渡っている。

いよいよ燃え盛る炎を見つめながら、僕は本当にたくさんのことを考えていた。

家族、友人、仕事、人生、夢、目標、日本、これまでの旅・・・。

色んな考えが思い浮かんでは流されていき、ぼんやりとした感覚だけが残された。

ただ、「帰国が目前に迫っている」というはっきりとした現実がある。

ここに居ればまったく実感はわかないが、この旅を終わらせて次のステージを歩むために、この旅の「おさらい」をする必要があると思った。

明日からはこの旅に想いを巡らせながら歩こうかと思いながら、火を消して、テントに潜り込んで、、、いやいやちょっと待て、熊対策を忘れていた。

いそいそと食料袋にロープを掛けて、それを木に吊るした。

臆病心がでて、夜中になって何度かそのロープを調整しに起きる羽目になった。




朝陽がテントの中まで差し込み、外にでると爽やかな空気がふわりと香る。

コーヒーを沸かして、朝ごはんに食パンを何枚かかじる。

このキャンプで飲む朝のコーヒーほど心を癒してくれる物は無い。

テントを畳んで、さぁ出発だ。

自然の深みへ、深みへ、ステッキをつきながら道を歩んでいく。

木漏れ日が射しこみ穏やかな表情を見せるバックカントリー。

全身でその豊かな自然に包まれながら歩いていると、まるで自分自身が溶け込むような感覚を覚えた。

あのヨセミテで味わった感覚だ。

その幸福な感覚を味わいながら道をたどる。

自然の中に居ること、それは僕にとって、重大な意味を持っていることに気が付いた。

帰国後、僕はまた働きだすだろう。

どんな仕事をするのかはまだ分からない。

でも、どんな形であれ自然の中に身をおきたい、自然というのが、自分にとっての人生の大きなテーマになる、そんなことが急に閃いた。

そんなことを考えていると、もっと心がうきうきしてきて、鼻歌を歌うように目の前の登り坂を上がっていく。

坂を登りきったところで、パーッと目の前の視界が広がり、ノースカスケード国立公園の山峰が姿を現した。


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僕は絶句して、しばらくすると、眼からは涙が溢れてきた。

それはただ自然の美しさに感動したからの涙では無かった。

僕の人生という物語の中の大きな一章が、もうすぐ綴り終えようとされている。

それに対する寂寞の思いと、そのフィナーレに相応しい場面に巡り合えたことへの感動、複雑な気持ちが絡み合い、なんだか胸が一杯になってしまったのだった。

ここでテントを張り、翌日は来た道を引き返す。

今日は一日残された時間、じっくりと自然を堪能したい。

明日からは、帰っていくために歩いていくのだから。


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