⚫4歳(年少)のとき
6歳の年長までは両耳とも補聴器でした。(今は右耳が人工内耳)
年少の初めごろは、『パパ』、『ママ』、娘の好きな『アンパンマン』などの単語がいくつかという程度。
支援学校では、『おいしい』の表現を手話を用いて口話できるようにゆっくり教えてくれたり、『絵日記』を視覚的にとらえながら一部だけでも口話し覚えていくなど、聴覚以外の感覚を併用しながら教えてもらいました。
入学前の施設では、これからに不安な気持ちがあったので、
『あ~、やっぱり専門の先生❗少し先生に任せて、私も真似するのが良いかも🎵』
と、肩の荷がちょっと軽くなったことが思い出されます。
子育ては、誰でもはじめは肩肘張るものだと思いますが、産まれてから初めて『少し任せられて楽になった』と感じた時でした。
今振り返ると、
『お医者さんでも先生でも、信頼できる専門の方に任せて、自分はその真似をするのがいちばん❗独り善がりに頑張っても、空回りが多かったし、気持ち的にしんどい』
と言えます。
ずっと子どものことばかり考えているのも、良し悪しで、余裕があると良い考えが浮かぶのも実感としてあります。
このころの娘の成長としては、3ヶ月経つ度に、なんか成長したなぁと感じてました。
これがまた嬉しいし、次への活力に繋がりますね❗
気持ちに余裕が出てきて、もともと体力面が弱いことからスイミングに通わせ始めました。
そして、就学するときに何か得意なことがあると娘も心強いかなと思い、公文も通わせた時期でもあります。
この当時の毎日のスケジュールは、
⚫月曜日は1日保育園へ(支援学校はお休み)
⚫火~金曜日は支援学校へ行ったあと、夕方から1.5時間ほど保育園へ
と、本人にはハードかなと思いつつ、3年間続けました。
この時、保育園に通っていたので、今は地元の小学校(難聴級)に行っても知ってるお友だちがいるというメリットがありました。
年少の最後の頃は、少し双方向のコミュニケーションが取れるようになってきたかな、といった漠然としたものでした。
そんなに一足飛びにはいきませんよね😁