とある習い事の課題のため、久しぶりにわたしは、わたしが大好きだと思う物語を最初から読んだ。
吉本ばななさんのデビュー作『キッチン』と『満月 -キッチン2』だ。
― 私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。
どこのでも、どんなのでも、それが台所であれば食事をつくる場所であれば私はつらくない。
できれば機能的でよく使い込んであるといいと思う。
乾いた清潔なふきんが何まいもあって白いタイルがぴかぴか輝く。
という文に始まる。
大きな事件やハラハラするといったスリリングな物語ではない。
でもこの一文から後ろは、飽きることなく最後までノンストップで読めてしまうのだ。
刊行されて30年以上も経つのに、そこに描かれるものは全く色褪せない。
一文一文がとても繊細で丁寧で、そしてギリギリのところを書いている。
わたしはお気に入りのスターバックスで3杯も飲み物を注文し、この物語で、いいなと思う文章を片っ端から手書きで書き写してみた。
いいなと思う箇所が多すぎて、終わってみたら指先が固くなってしまった。
鉛筆で、紙に文字を、こんなにも書いたのはものすごく久しぶりだ。
今日はここに、その中から、とても心がじんわりする文章を書いておこうと思う。
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―「まあね、でも人生はいっぺん絶望しないと、そこで本当に捨てらんないのは自分のどこなのかをわかんないと、本当に楽しいことが何かわかんないうちに大きくなっちゃうと思うの。あたしは、よかったわ。」(えりこさんのセリフ)
― 彼女たちは幸せを生きている。どんなに学んでもその幸せの域を出ないように教育されている。たぶん、あたたかな両親に。そして本当に楽しいことを、知りはしない。どちらがいいのかなんて、人は選べない。その人はその人を生きるようにできている。幸福とは、自分は実はひとりだということを、なるべく感じなくていい人生だ。
― 「そうね・・・私に」できることがあったら言ってね、と言うのをやめた。ただ、こういうとても明るいあたたかい場所で、向かいあって熱いお茶を飲んだ、その記憶の光る印象がわずかでも彼を救うといいと願う。言葉はいつもあからさますぎて、そういうかすかな光の大切さをすべて消してしまう。
― 私が彼女よりも勝っているとか、負けているとか、だれに言えよう。だれのポジションがいちばんよかったかなんて、トータルできないかぎりはだれにもわからない。しかもその基準はこの世にないし、ことにこんな冷たい夜の中では、私にはわからない。全然、見当もつかない。
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わたしは実は文章の書ける人になりたい。
そう思っている人間が言うのも変なことなのだが、人の抱く気持ちや目の前の感動は、言葉にした先から少し違うものになるような気がしている。
でも可能な限りそのギリギリラインを書ける人になりたい。
そのラインと本当のことの間の隙を、読む人が創造できるようなものを書いてみたい。
吉本ばななさんはわたしの尊敬する憧れの作家さんだ。