本当のおじいちゃんじゃないけど… | うつ(鬱)になる前よりも人生楽しくなりました

うつ(鬱)になる前よりも人生楽しくなりました

オレの妻がブログしてるけど、ある日妻がブログでオレの事書き出した。だから、オレも書く!

久しぶりにブログを書こうと思った。別に再開するわけじゃなくて、何となく、日記みたいに書き留めたくて。






去年18年9月11日にオレの祖母が他界した。天寿を全うするってのか、充分に生きたし、もっとあーしとけば…とかの後悔はなかった。ただありがとうの気持ちで天に送った。

だけど…。
だけど、一個だけこれで良かったのか??でも仕方がなかった。
と、言い聞かせてること。



おばあさんの最期を家ではなく病院で迎えたこと。


今の世の中、病院で最期を迎えるのは当たり前やけど、なんかやっぱり、最期は知らない病院の天井を見ながら死んでいくより、大好きな自分の家で迎えさせてあげたいって思ったオレ。


そんなことをふと考える事がたまにあった。



そしてそして、ここ1週間ほど前から、妻の実家一族が慌ただしくなってきた。

うちの死んだばあさんと同じように、妻のおじいちゃんが入退院を何度か繰り返し、もう自力で食事を取ることも出来ず、点滴だけの生活、それでももう長くはないと。


妻のお父さん、つまりオレの義父は判断に迫られた。



ちょっとした手術をして点滴して出来るだけ病院で生きながられるのか、それとも自然に死を迎えるのか。
もちろん、ある程度の医療行為をストップすることで自宅に帰るって選択肢もある。




誰にも言わなかったけど、うちのばあさんのこともあったし、個人的には例え命が早く燃え尽きてでも家に帰してあげたかった。やっぱり、コンクリートの知らない病院より、若い頃から育った我が家に帰して最期を迎えてほしかった。



義父は相当に悩んだと思う。ってか、妻からはそんな状況を聞かされてたから。
 


義父は悩みながらも早々に判断した。
家に連れて帰る。


この判断の早さが功を奏した。


判断しても、あれやこれやの手続きがあるので、判断してからさらに1週間は時間がかかる。

これが1週間前の話で、

何とか本日、昼前におじいちゃんの実家=嫁の実家に帰る段取りが出来た。


そうなると、「はい、そうですか。」って他人行儀ではいられないオレ。


妻とも相談して、我々家族みんなで妻の実家で、帰って来るおじいちゃんを迎え入れてあげたくて、オレ会社休んで、子供達も学校休ませて妻の実家に朝イチで向かった。


そして、介護タクシーで妻の実家に帰って来たおじいちゃんをみんなで迎えた。



もともと、ふくよかな体型が正月に会った時には痩せこけでたけど、それよりもさらに痩せこけ、本日は骨と皮だけやった。



見ただけで泣きそうになる。この人があのおじいちゃん??



でもね。家に着いて介護ベッドで横になるおじいちゃんをみんなが呼びかけると、もう声は出せないけど体は反応するの。首を縦に振ったり、横に振ったりして、ちゃんと意思表示するの。


そして、ふと笑ったり。



これを見て、今日、妻の実家に集まったおじいちゃんの息子、娘、孫、ひ孫、甥、姪、そして俺みたいな直接、血縁関係のない人、集まったみんなが言ったこと


「おじいちゃんを家に連れて帰って良かった!」




おじいちゃんも首を縦か横にしか振れないけど、聴くと、「家に帰れて嬉しい」って。



うちのばあさんに出来ず心残りとなってた事を妻の一族は実践して、オレもなんかばあさんに対する心残りが少しは和らいだかなって。



長々と書いてしまったけど、実はもっと書き留めときたかったことがあるの。





オレ自身が元々、元気なおじいちゃんっていなかったこと。





母方のおじいちゃん、つまり母の父は若い頃に出て行って、早々に死んだらしい。母親自身も自分の父親、つまりオレのおじいちゃんには恨みしかないみたい。



父方もオレが生まれた時からずっと寝たきりで、ベッドに寝てる人。遊びに行っても「こんにちは」「また来ますね」って声を掛けるだけの存在やった。



だから、おじいちゃんって思い出がないの。




そしたら、妻と出会った大学生の頃に、妻のおじいちゃんと出会った。



今、思えば当時彼女(今の妻)のお父さんにはなかなか会えなかったけど、先におじいちゃんに会ったと思う。



優しい、いつもニコニコしたおじいちゃん。
結婚したら、オレにとっては初めての元気なおじいちゃん。




本当のおじいちゃんみたいやった。
これがおじいちゃんなのかって。



おじいちゃんと田んぼで一緒に稲刈りしたり、風呂好きのおじいちゃんと一緒に近所の銭湯に行ったり。



最後の2人の思い出は、オレが休職する1ヶ月前に2人で語り合ったことかなぁって。


あの日のことはよく覚えてない。すでにうつ病やったからね。




妻の実家で、妻のお父さんもオレの妻もおらず、義母は部屋の片付けでバタバタしてたから、2人だけで夕食後にダイニングで語り合ったなぁ。

オレ、飲み過ぎでベロベロで覚えてないけど。


でも、酔って気分良くなったオレと、話し相手ができて嬉しくなったおじいちゃんでめっちゃ話した。おじいちゃんの苦労話…嬉しかったこと…これからやりたいこと…


いっぱい聞いたけど、覚えてない。でも、2人だけの世界、楽しかったなぁ。



あの後、地元の祭りがあるとか言い出して、フラフラと外に出たおじいちゃんを捜索して、オレが妻の地元の祭りを眺めてたって、訳の分からん思い出。






そんな事を思い出したりして、おじいちゃんの寝顔みたら泣けてきた。




よくよく考えたら、義父よりハードルが低いって思って先に出会って、いつもニコニコしてたおじいちゃんとは17年の付き合い。


今回、義母や義父の姉は、

「今日、仕事休んで、三重県に来てくれてありがとうやで。」

って、言ってくれたけど、そうじゃなくてオレ、単純におじいちゃんが元気なうちに会いたかったの。





今度、会う時はもう冷たいのかも。

また、苦労話が聞けないのかと思うと寂しいけど。



って、今の気持ちを留めたくて書いてみました。