気紛れ気晴らし日記 -8ページ目

気紛れ気晴らし日記

ほんとのわたしを知ってるかたも

しらないかたも…

日常のほんのひとこま。

同じ過ちを繰り返そうとしている。そんな、気がする。




右耳ピアスが教えてくれる。




あの日の痛み。




楔の役割を果たしている。




轍を踏んでくれるなと、あの日のわたしが叫んでいる。




同じ過ちはごめんだと。

朝イチに

「このサンドウィッチ妹と母さんの?」

「誰でもどうぞ」


夜の8:30に

「このハンバーグ食べていい?」

「どうぞ」


今日、母と交わした言葉はこれだけ。


昨日から夜の食器洗いが当番制になり、

変わりに今まで1回で済ませてた洗物が2回になった。

それは、最後に洗う人への負担を軽くさせようとする母の気遣い故。


今のところうまく働いているこの仕組み。

このまま続けばいいと思う。


わたしはまだ母を失ったわけでない

修復の機会はzeroでなく

ただ、人生はあまりに短い事実を忘れず前進する必要がある。


確実な接点の「食」から離れようとしたのは昨日の自分であり、

元の位置に戻ろうとした時拒否されたわけではない。

ただ淡々と答えられただけ。


そこに何かの意味を見出すか。

実は何も無いのかもしれない。


確実なのは、人の一生なんて80年前後で確実に尽きる。ってこと。

失ったものは戻らず。

命もまた然り。

覆水盆に返らず、なのです。

妹の実行により、あみだくじでしばらくの夜の家担当者事が決まりました。
自宅のお風呂でも、湯船に浸かってると

「はぁ?極楽♪」

って、時間もヤなことも忘れられる時がある。



本日は身体がエラくって、その「極楽」気分が超が付くくらいのものになりました。

で、お風呂タイムが50分と相成りまして、出たら現実引き戻され、大目玉。





普段なら許されたかもしれないお風呂タイムは、今日はやっちゃいけないことだったようでした。

なぜなら、この間の土曜日から母親がお疲れモードだったから。

10分でも早く床に着きたい心境を察せれず。

そして判断&行動ができなかった。





茶碗洗うとか、家事が楽になるより、とにかく布団に入りたい日って誰にもあるよね。。

仕事中、上司に反抗的態度をとる自分を省みて、思いついたひとつの答え。

上司とわたしには似たところがありそうだ。
例えば
指示の出し方や、技術より管理がうまいように見えるところ。
多分、似てる。
でも、似たくない。ってわたしは思ってる。
技術屋になりたいと思って入った会社だから。
社会人としての礼儀を身体に染み込ませようと覚悟したのに、ここの会社はそんなの頓着しないし。
上司は上司らしくなく、指示は会話文の流れから汲み取るものになってる。

意識しなければ、わたしも将来こうなるだろう。その嫌悪感が大きくて、、、でもそれを目の前にいる人へぶつけるのは間違ってる。

上司と自分を重ねてる。
上司を受け入れられないのは、自分を受け入れられないのと、よく似ていると、ふと感じた。

わたしは
「自分」と「他人」の
境界線が、ひどく曖昧なのかもしれない。

だから、
「他人」が「自分」の嫌な面に似ていることをしただけで、
許せないと感じたり、憤ったりするのかもしれない。