同じ過ちを繰り返そうとしている。そんな、気がする。
右耳ピアスが教えてくれる。
あの日の痛み。
楔の役割を果たしている。
轍を踏んでくれるなと、あの日のわたしが叫んでいる。
同じ過ちはごめんだと。
同じ過ちを繰り返そうとしている。そんな、気がする。
右耳ピアスが教えてくれる。
あの日の痛み。
楔の役割を果たしている。
轍を踏んでくれるなと、あの日のわたしが叫んでいる。
同じ過ちはごめんだと。
朝イチに
「このサンドウィッチ妹と母さんの?」
「誰でもどうぞ」
夜の8:30に
「このハンバーグ食べていい?」
「どうぞ」
今日、母と交わした言葉はこれだけ。
昨日から夜の食器洗いが当番制になり、
変わりに今まで1回で済ませてた洗物が2回になった。
それは、最後に洗う人への負担を軽くさせようとする母の気遣い故。
今のところうまく働いているこの仕組み。
このまま続けばいいと思う。
わたしはまだ母を失ったわけでない
修復の機会はzeroでなく
ただ、人生はあまりに短い事実を忘れず前進する必要がある。
確実な接点の「食」から離れようとしたのは昨日の自分であり、
元の位置に戻ろうとした時拒否されたわけではない。
ただ淡々と答えられただけ。
そこに何かの意味を見出すか。
実は何も無いのかもしれない。
確実なのは、人の一生なんて80年前後で確実に尽きる。ってこと。
失ったものは戻らず。
命もまた然り。
覆水盆に返らず、なのです。
Geekなぺーじ
http://www.geekpage.jp/blog/?id=2007/10/5
「確実に失敗する方法」
ここのサイトは前会社にいた派遣さんに教えてもらったところ。
久々に行ったら面白い記事が増えてましたw
仕事中、上司に反抗的態度をとる自分を省みて、思いついたひとつの答え。
上司とわたしには似たところがありそうだ。
例えば
指示の出し方や、技術より管理がうまいように見えるところ。
多分、似てる。
でも、似たくない。ってわたしは思ってる。
技術屋になりたいと思って入った会社だから。
社会人としての礼儀を身体に染み込ませようと覚悟したのに、ここの会社はそんなの頓着しないし。
上司は上司らしくなく、指示は会話文の流れから汲み取るものになってる。
意識しなければ、わたしも将来こうなるだろう。その嫌悪感が大きくて、、、でもそれを目の前にいる人へぶつけるのは間違ってる。
上司と自分を重ねてる。
上司を受け入れられないのは、自分を受け入れられないのと、よく似ていると、ふと感じた。
わたしは
「自分」と「他人」の
境界線が、ひどく曖昧なのかもしれない。
だから、
「他人」が「自分」の嫌な面に似ていることをしただけで、
許せないと感じたり、憤ったりするのかもしれない。