コメントがきっかけですが、考えてみた。
彼が「元彼」になって、
感じるのは主に、
喪失感
。
コメントにあるような、自分が傷つけられた。という被害の意識は、ない。
ホントに、
自分の中を探ってみて、
ない
んだょ。
被害者ぶるのは楽だし、すぐできるのだろうに、
そうなってない。
ただただ喪失感。
そして、罪過。
欲しいと思ったものは、素直に手に取ろう決断をした洸です。
さて、今欲しいもの。
主に音楽です。
高校のときに演奏した現代音楽曲。
作曲者はW.F.マクベス (1933-) (William Francis McBeth)。
1970年代から1980年代前半にかけて、大変人気があったようです。
・Anthony Joseph Lanmanさんの il dolce stile nuo
が入ったCD。
これはアメリカのサイト(Lulu.com)で購入できるのですが、(amazonみたいなところがある)
何分yahooオークションさえしり込みしているわたしがほいほい買えるものではない。
ので、ここの個人サイトへリンク。
見つけたきっかけは、こちら
のデスノートフラッシュ。
・屋久杉・縄文杉に逢いに行く
生きているうちに必ず行きたいと思っていた場所です。
そろそろ実行へ移します。。。
誰かグッスミンプリーズ!!
3時間前、せっかく書き上げたバトンが消失した洸です。
アルエごめんね!もう1日待ってて~!
さて、別れて半年と半月が経ちました。
「心の痛みが薄れるのに、付き合ってた期間と同じくらいは掛かる」と本にありました。
うん、ホントに。
数にしてみれば数ヶ月なのですが、心の状態は大分変わってきました。
今冷静に考えれば、恋愛してた7ヶ月は悩みと内省の月日でした。
毎日が薔薇色だったわけでもない。
ただ、誰かがわたしのことを気に掛けてくれてる安心感はあった。
でも、あの頃は毎日同じようなことをぐるぐる考えてたなぁ。
それと今を比べたら、大分楽して気楽に生きてる気がする。
世の中、一般的に逆じゃない?
…何か矛盾を感じるなぁ(笑)
面白いサイトを見つけた。
意見を書いているのだけど、とても納得させられた。
ご一読あれ。
そうそう。ホントに。
うちの家は 父親VSわたし で、小学生くらいから論争してた。
で、逃げ口ないまでに追い込むから、わたしはむきになって難癖付けれるところを探してた。
ほんとに相手を説得させたいだけなら、追い込む必要なんてないはずなのにねー。
うちの場合だと、伝えたい・納得してほしい気持ちが強いほど、
隙間風が逃げる間もない場所へ追い込む傾向が強いと思うので、
それは相手を打ち負かしたい気持ちの表れなのかな。と思いましたとさ。
外に答えを求めるから、辛くなる。
向けるべきは、自分の内側。
確かに、在る筈。
掴めないからもどかしい。
だけど
確かに、在る。
「わたし」
という人格は、内側で、間違いなく「独り」で存在している。
だから、「独り」を恐れるのも、悲しむのも、本末転倒なハズなんだけどなぁ。
そして、少し、今の仕事への迷いを話した。
自分に向いていないのではないかって想い。そしたら、あっさり肯定された。
「うん、合ってないと思う。洸はお客さんと笑って話しているイメージ。」
あまりのあっさりさ。
&
笑って接客する/できてた自分の事が、4年間のバイト時代を思い出しても一番好きだったから、それを言い当てられて驚いた。
わたしが思った、自分が一番心地よく働けて、楽しく続けられるビジョンが、友人の中のわたしと一致していた。
ちゃんとちゃんと、わたしの事見てくれてた。理解してくれてたんだね。
自分のビジョンが思い込みでもない確認ができ、
自分がそうありたいと願ってたビジョンでもある「お客さんと笑って接客している」姿が、わたしを昔からよく知っている友人の中にあったのは、
とても、心温まる出来事かつ、心強い出来事でもありました。
ありがとう(*^-^*)
その後、横断歩道で左ハンドルに引かれそうになったのは、また別のお話し(笑)
以下抜粋。
「洸さんにとって、ブログは必要なツールなんだなって思った。洸さんって自分を表現する事、得意な方じゃないよね?」
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自分を表現する事、得意な方じゃないよね?
その文を読んで、堰を切って溢れ出た感情があった。
彼カノの有馬が、幼少の自分を見たのに似た感覚。
あぁ、わたしもまだ押し込めていた感情があったのね。と気付かしてもらいました。
カウンセラー志望者の人って、一人前になるために、まず己の不完全さや未熟さを教授に指摘されてそんな自分を受け入れる作業をするのだけど、まるでそんな感覚。
的確に突かれたよ。
受け入れ作業はまだ未完です。



