独思独想 | こうぼっけいのブログ

こうぼっけいのブログ

ブログの説明を入力します。

 人の経済的価値・・・?

 今から四半世紀程前に地元の市の市政モニターに応募して、約一年弱掛けて行政の現場を見たり体験したりした事が有る。その時自分が一番感じた事は「自分は、そして人は生きていくだけで如何に金が掛かり他人の世話になっているのか!」と言う事だった。

 人は生きる為には水が必要だ。その水は大井川から貯水槽に引き込み、汚泥等を沈殿させ濾過し消毒をして上水道として各家庭へ送られている。そして残土も産業廃棄物として処理されている。これらの経費が水道代となって徴収されている訳だ。又、食べれば必ず排泄する。風呂等も含めて生活排水も下水道を通して下水処理場に送られ、ここでも薬品等で主な汚物等は凝固沈殿され、更に濾過・消毒され自然界に影響ない程度まで浄化されて大井川に戻されている。ここでも多くの市の職員の手や経費が掛かっている。しかし下水道代と言うものは無いがどうなっているのだろう?ここでも沈殿物の産業廃棄物が出るのに・・・?更にゴミ収集車に乗って実際にゴミ収集を経験した事も有る。この時は雨天でしかもパッカー車がゴミ袋を回収する際に、ゴミ袋が爆ぜて生ゴミの汁がもろに顔にかかると言うアクシデントまで経験した。

 この様に人は生まれて死ぬまであらゆる場面で人の世話になり経費が掛かると言う事だ。そして思ったのは自分は生涯に掛かるこれだけの経費以上の稼ぎ・働きを出来るのだろうかと言う事だ。つまりそれに見合うだけの税金を納められるかどうかと言う事だ。生まれてから働くまでは当然経費ばかりだ。そして退職してから死ぬまでも経費だらけになる。これらも含めて働いている内に稼がなければ赤字つまり社会に迷惑を掛ける事になる。

 話は変わるが自分は障碍者施設で働いている。勿論そのホームの入居者たちは一般企業で働いている人も居るが、多くは作業所もしくは生活介護施設への通所である。つまり一般的な働きは出来ないのである。以前ニュースで「障碍者は生きる価値が無い」とか言って多くの障碍者を殺傷した事件が有った。自分はこれを見て「生きる価値が有るかどうかなんてお前が決める事ではない」と腹が立った。しかし一方で障碍者も健常者も生きるには同じ様に経費が掛かるのであり、当人達がそれを稼ぎ出せないとすれば健常者がその分も稼ぎ出す必要が有る。先述した様に健常者でも稼げない時期は必ず有る。しかも今は人口減少化の真っ最中である。少子高齢化で現役世代がこの先も減っていくのである。「人は生きているだけで価値が有る」とよく言われるが、それを実現し継続するにはその必要となる経費を生み出し続けなければならないのである。それが現実であり夢や理想、スローガンだけでは生きられないのである。物価高騰の中で脱落し命を保てない人が出ているのではないか?それも悲しい現実だ。