占い師の井川晴深(いがわはるみ)です。

 

 

私は40代半ばまでスピリチュアルにあまり興味がありませんでした。

けれどその頃、仕事やこれからの人生についてこのままでいいのか悩み、占いに出会いました。

そして、占いで悩んでいる人の役に立ちたいと思い、占い師を目指しました。

 

 

占いを学ぶことは、自分自身を見つめることでもありました。学んでいくうちに、私はネガティブ思考に陥りやすく、生きづらい人間であることを知りました。

また、「母親に認められたくて」、勉強や仕事、家事を頑張ってきたことに気づきました。

それは本来の私らしい生き方ではなかったから、40代になって自分の中に歪みが出てきたのです。

 

 

もし、家族を幸せにしようとして一生懸命頑張っているのに、「幸せなはずなのに、幸せじゃない」と感じているお母さんがいらっしゃるとしたら、私の人生を知っていただくことで、本当の幸せに向かって進んで行くきっかけになれば嬉しいと思います。4回に渡り、私のこれまでの人生を振り返ります。よろしかったらお付き合いください。

 

 

 

 

《自己肯定感の低い少女時代》

 

「私の居場所はどこだろう?」物心ついた時から、どこにいても居心地の悪さを感じていたように思います。

 

 

両親はごく普通の人達です。けれど、夫婦喧嘩は時々あって、私は布団の上で泣いていました。

父は優しい人でしたが、家のことは母に任せていたと思います。

母は、家庭を守ることに一生懸命だったのでしょう。私から見たら、厳しい人だと思っていました。

 

 

私は三姉妹の真ん中っ子で、姉妹の中で一番引っ込み思案で泣き虫でした。

赤ちゃんの時からの癖が小学校高学年まで治らず、母を困らせている自分を「ダメな子」と思っていました。

また、ショートカットで色黒、男の子のような外見でした。顔にプツプツしたアザがあり、からかわれたこともありました。

(アザは高校卒業前に手術で取りました。 かすかな傷跡が今もあります。)

 

 

他にも色々と…コンプレックスの塊で、自分にはいいところが何もないと思っていました。

友達作りも自分からはなかなか行けません。

1人、2人の気の合う子としか仲良くできませんでした。

 

 

 

 

小学校4年生の春に転校した時は大変でした。

転校したての頃は、クラスメイトが興味深々な様子で私の周りに集まってきました。   

色々聞かれて、引きつった笑顔で答えました。

 

 

さらに、男の子の口調(方言)が怒られているように感じて学校に行くのが怖くなりました。

登校を嫌がり、玄関にしがみついて泣く私を何度か母が送ってくれました。

 

 

 

 

そのうち、徐々に学校に慣れていきました。放課後は友達と遊ぶより一人で家で過ごすことがほとんどでした。

そんな私でしたが、のんびりした田舎の雰囲気があっていたのかもしれません。

上の学年になるにつれ、親しい友達ができ少し積極性も出てきました。

 

 

そして思春期を迎えます。

中学校、高校でも友達作りは苦戦します。

 

 

そのお話は、次回のブログ「孤独感が消えない思春期 私のこと②」に続きます。

お読みいただけたら嬉しいです。