女性美に対してのオレなりの思考。フェチで悪いかよ | 入院中の記録 

女性美に対してのオレなりの思考。フェチで悪いかよ

先週から、何故かずっとイタリアンを食べ続けている。
特に最近は北イタリア料理にはまっていて
煮込み系とかフリットミストとかを好んで食べている。
やはり寒いから?

イタリアが好きだ。
前世はイタリア人だったと信じているオレ。

話は変わるが

先日の飲み会での話題。
女性の美に関して激論!?が交わされた。
話はフェチ談義に、
何を隠そうオレは髪フェチ、足フェチだ。

髪と体のライン
この2つがオレにとって女性の美を感じるポイントなのよん。

美容師という職業柄
髪の美しさへの執着は人一倍高いので、
髪について語ると長くなるから割愛するが、

姿勢もスゲー大事だと思うんだ…

あくまでもオレの持論だが、
ちょっと、熱く語らせてもらおうか。

どうして日本の女性たちは美脚に対する意識
──というか執着心──が低いのだろう。

髪型や顔のコスメだのダイエットだの何だのと、
必ずしも女性たちの美への関心度が低いわけでもないが、
なぜか“絵としての顔面”
“質量としての体重”
ばかりが重要視されていて、
むしろ“姿勢(立ち姿)”や“脚”の持つ美性は蔑ろにされる場合が多いのだ。

特に凹脚は簡単な体操で誰でも治るものだし、
周囲の男性が指摘しないのか、
女性自身が女性の脚の真直ぐ度を重要視していないのか、
なぜ!なぜに我が国では“姿勢”と“脚”を
美の最重要課題と捉える美意識が成熟しないのだろう。

仕事柄、多くのモデル事務所の人たちと関わることが多いが、
新人の女のコに「痩せろ!」とは言っても
「猫背と凹脚を直せ!」とはなかなか言わないようだ。

男も男で女性に対してカワイイカワイイ言い過ぎる。

女性としての美しさの本質は顔面なんかじゃない。
ライン(線)だ。女性らしい曲線と直線の織り成すハーモニーだ(笑)

確かに“絵としての顔面”が美しいに越したことはないが、
そうした顔面&体重至上主義
日本人女性の美意識の成熟に何かの遅延をもたらしていることは否定しようがない。
むしろ女性同士の牽制のし合いにおいては、
“絵としての顔面”の不備を補填する意味で
──というより、
自分が相手よりも顔面対決で勝利している余裕を隠す意味で,

でも○○ちゃんはスタイルいいじゃーん!」とか言ってしまうのだが、
オイコラ、 「でも」じゃないだろ「でも」じゃ! 

女性として“スタイルがいい”ということは、
何にも替え難い美の本質を獲得していることに等しいのだ。

オレはカラダのいいブスに欲情する自信はないのだけれど、
スタイルの悪い美人に欲情することもまたなく、極端な事例は除外して、
顔がやや美人でスタイルが最悪の女性と、
顔がややブスでスタイルが極上の女性であるならばその限りではなさそうだ。
いざとなれば目を閉じればいい。

男には想像力という鎧があるから。