先日……と言ってもだいぶ前だけど
吉行和子さんの記事が
Webに載ってたので読んでみた
吉行さんは 30代で離婚して以降
ずっと“ひとり暮らし”をされてると言う
確かに私はひとりで生きてますけど
私の“ひとり”って
そんな大げさなものてはないんですよ
ここまで「偶然」や「仕方なく」が
重なって 87歳になった今でも
ひとりで暮らしているだけで………
……とおっしゃる
28歳の時に 人並みに結婚ぐらいは
しておかなきゃということで
たまたまプロポーズしてくれた方と入籍
“共同生活”を始めたのだとか
でも “他人”が家にいるのに耐えられず
4年で結婚生活は終わったらしい
それ以降 ずっとひとり暮らしで
お宅に友人すら招かないとか………
よく
「ひとりだと食事をする時に
寂しくないですか?」って
聞かれるんですけど
こんな性格だし 私の場合元々周りに
人がいなかったのも
大きく影響しているんでしょう
お父様は吉行さんが幼い頃亡くなり
美容師のお母様は仕事で忙しく
子供に構ってる暇などなかったと言う
だから“家族団欒”なんて数えるくらいで
私には
家族がいて楽しいなんて
感覚がないんです
ここまで読んで
私は大いにうなずいてしまった
私も
家族がいて楽しいなんて
思った事がなかったから………
それは 両親が親戚の仕事を手伝う
仕事をしていて
そちらの方に比重がかかってたのは
多分にあるとは思うけれど
幼い頃に1度誕生日をスルーされてからは
ほぼほぼ誕生日などなかったに等しい
“ひとりっ子”だから
愛情一人占めだの言われてたけれど
そんな楽しかった事なんて
ひとつも思い出せないもの………
それから
吉行和子さんは“食べること”も
あまり興味が無いそうで
もう究極に面倒くさい時は
バターの塊を齧るだけで済ませた
なんて事もあった
バターは小さい頃に母がよく“朝食”として
私と妹の枕元に“塊”をボトンッと置いていってた
……と言う話だ
吉行さんの幼い頃と今現在とでは
環境もずいぶん違うとは思うけれど
なかなかハードなお母様だったんだな
もちろん 私だって
気の置けない友人たちと
美味しいものを食べたりするのは
好きなんですよ
ただ ひとりでの食事や
あまり気の進まない仕事の打ち上げなんかは “栄養を取りためておく場”だと
割りきっているんです
こんなふうに話すと
「楽しみのない人生ね」って思われるかもしれませんが
私は仕事が1番のごちそうだと
現場で働いていれば機嫌がいいんです
だからこそ“女優”というお仕事が
自分に合っているんだとおっしゃる
そういう意味では母に似ているのかも
しれません
母も97歳まで現役の美容師でしたから
でも107歳で亡くなるまで寝たきりでした
私はそれは嫌❗
仕事ができなくなったら
さっさと逝ってしまいたい
ここでも私は大いにうなずいた
私も
自分でなくなってしまったら
理想としては お医者様に
痛みもなく苦しまないようにお願いして
ローソクの火が消えるように
あっという間に逝きたいと思ってる
そんな都合よくはならないだろうが……
自宅介護だった母は冗談半分で
「私にはあなたがいたから良かったけれど あなたはどうするんでしょうね?」
なんて憎まれ口を叩いていましたが
“認めざるを得ない残酷すぎる現実”です
またまた大きく同意してしまった
ただ 私の母親は
私が1人になったらどうするの?ではなく
アンタが自分で選んで子供を作らなかった
……と そればかりを口にした
私が母親をどうしても好きになれないのは
この事も大きな理由の1つだ
元々 私は物に執着する性格では
ありませんから ほとんどのものを
処分してしまっている
だから もし私が死んでも
“遺品整理”なんかでご迷惑をかける事は
たぶんない
だけど死んだ後に誰にも
見つけてもらえなかったら
どうしようって…………
今はそれだけが心配
自分の身体は事前に“処分”するわけにも
いきませんからね
本当に納得するお話ばかり
老いた後の自分を想像するのは
恐ろしいくらいだ
年老いて
なおかつ 輝いて生活していく
なかなか難しい事だと思う
私が吉行和子さんの年齢近くになっても
あんなにアクティブには
きっと動けないだろうなと思う
だけど
せめて心だけは
いくつになってもいろいろ興味を持ち
自分の“内面”を見つめながら
生きていけたらいいなと思ってる
“子供”は
年月が過ぎれば
“できること”が増えてくるけれど
“高齢者”は
“できないこと”が増えてくる
……と
何かで聞いたっけ
身体も心も衰え始めたとき
私は
吉行和子さんのように
かろやかに過ごしていくことが
できるのだろうか…………?
本当に不安だわ……………