人のことも自分のことも信用できるようになりたい。2024年のミッション。


自分と仲良くなりたい。


必要以上に好きになる必要ないけど


ここがうまくいかないと、


どこにいても、誰といても

場所変えたとしても


影のようにくっついてきてうまくいかない。


開き直りじゃなくて


正しい自己肯定。


見たことないものは、実践するイメージ持てないものは実行まで移すのも難しい。


アドバンテージがあって当たり前。


家で仕事をしていくことも。


母が大きくても小さくても働くということを。


幸せな結婚生活も。


母が家で幸せに笑っていることも。


子育ては、自分から見えてたものしか映らないから、どう育ててたかなんて、他の家庭の子育て見てないとわかるわけがない。


きっと色々見てきたんだろうと思うけど、


わたしは、良くも悪くも昔のこと覚えていられてしまう分、


しかも、小さい頃から陰の要素を汲み取るのがうまかったせいか、


よかったことも沢山あるはずなのに陰の方も

いっぱい受けとって取ってしまったらしい。


本質見抜くのも長けてたらしく、表面的に作られたものも見抜いてたのかもだね。


ひとりひとり、親子だったとしても、

もともと持ってる性質はちがう。


これから育ってく環境もちがう。


たまたま、こーたんのお手本にしたいと決めた大人が私だったらいいけど、そうとも限らない。


選んで決めるのはこーたんだから。


だけど、母親って大好きなものだから、

よっぽどどうしようもない母親だったらともかく

好きでしょうがないのに、


お母さんみたいにならないように、って言われたら、


他にモデルもいないのに、生き方目指したい背中も見つかってないのに、どこを見て進んだらいいのかきっと分からなくなってしまった。


どうやって見つけたらいいかも分からなかった。


きっとそういうことだと思う。



それなら、わたしもこーたんも

正解のない人生の歩き方を


人がいい環境に身をおいて、ちょっとお兄さんお姉さんや大人のいる、みんなのそれぞれのいいところを沢山見て、

小さな心と体のかばんを満たしておけたらいいのではないかな、と思った。



この前友人に


大抵、親離れきちんとできてる人は

器に母親の愛情で満たされてるからどこ行っても大丈夫。


って言われて、わたしはきっと大丈夫だなとおもった。


子育ては、母親の影響は間違いなく大きいけど、


母親の育て方だけで決まるもんじゃないよ。


子どもの吸収力って個人差あるけど

半端ないよね。


世の中の母親責任論が重すぎる。


母親だって、スタートラインから横並びじゃないのにね。


それでもみんな精一杯生きてるんだから、


何も知らない人が並べ立てる言葉や、

反対に自分がやってきた子育てを自己顕示欲のために後世に押し付ける子育て専門家みたいなのとか


わたしはそれに気付かされたこともあるけど、

相当苦しめられたこともあるので

やめてほしい。