数日前から

モジャのいない時を狙って

野良猫亭に戻ってきている2号が


今日も玄関先にいたのだけど
また母は1号だと思ってエサを出した後
3回もオカワリを要求されて
やっと
コイツはクロ子(1号のこと)ではない、と気づいたらしく
クロ子だと思ったのに違ったわ、と呟いていた。
その呟きを耳にした私は
2号はもう
4日連続で通ってきているのに
一向に1号と2号の違いが分からないのだから
多分この先も
母が2匹を見分けることは出来ないだろう、と
しみじみ思った。

母の母(私の祖母)は
泊まりにきた我が家で
猫が座布団に座っているの見て
猫のクセに人間様の座る座布団に座りやがって!と
猫を蹴飛ばすような人間だった。
子供の頃にその姿を見た私は
この猫は家族だ!
でも弱い者いじめをするアンタなんか家族じゃない!と言って
祖母と大ゲンカになった。
それに比べれば
今の母は数万倍もマシである。
それでも
猫の見分けもつかず
飼い猫にも
安眠妨害するな!と
毎晩怒鳴り声をあげる母を見るたび
鳥肌が立つくらいの嫌悪感を感じる。
時代的にそれが普通で
これが精一杯の愛なのだ、と言われても
全然納得が出来ない。
大体
猫を見分けられない時点で
そこに愛なんて存在しないでしょ、と思うのだ。

ちなみに母は若い時から
母の父親の妹に
かなりお世話になってきたのだけど
その妹が90歳を超え
トイレや入浴に介助が必要となってからも
一度も手伝わず
身内のあちこちに電話をして
日常的に介助をしている長男の嫁が
おばさんの年金をチョロまかしているのでは…と吹聴。
更に
おばさんが骨折して入院することになると
退院したって
あんなの家で面倒みるのは不可能だから
これをきっかけに施設に入れてしまえばいい、と…。
おばさんは息子ばかりで娘がいないので
母のことを娘だと思っている、と言っていたのに
それだけ愛して面倒をみてきても
結局こんな扱いなんだ、と知って
多分この人の中には
自分への愛はあっても
他者への愛はないんだ、と
呆れてしまった。
そんな母なのだから
ノラさんの耳が聞こえなくなっていることにも気づかず
通ってくる野良猫軍団の見分けもつかないのは
当然のことなのかも知れない。

とりあえず
母が猫を虐待することはないけれど
猫のエサよりも
自分の食べたいものを優先したり
パチンコ代にしてしまうのが母なのだから
この子たちを守る為に
どんなに嫌がらせされても
我慢し続けなければ!と
改めて自分に言い聞かせる私なのでありマシタ。