東風谷孔明の荒木探偵監視報告書

東風谷孔明の荒木探偵監視報告書

元国際プロスケーター、元大陸武術家を自称する荒木探偵ことのんちゃんを監視し、社会的に評価する報告書です。

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仕事が忙しくなったので、更新などは出来ませんでした。


今でも忙しいので、詳細は言えませんが、のんちゃんが言う『私は静養をしなければならないので、就労は出来ません』に関しては


社会から逃げている


としかありません。

これに関しては何の批判もしませんし、別に就労などを強制的に進める気など毛頭ありません。逆にのんちゃんが選んだことですので尚更です。


実際、社会性などが皆無のため企業側から必要とされない存在ですし、本人もガチで就労となると萎縮したり問題を起こす事も確実なのは目に見えてますので、それを配慮して「就労はしない」と決めたわけです。無論、作業所に行ってもトラブルを起こすのは目に見えてますからね。


それに私とのやり取りから見ても、自分自身の行動に対する社会的評価に耐えることが出来ない以上は就労したとしても人間関係などで長続きはしませんから、就労をせずに生活保護での生活を選んだのも賢明です。


私自身が作業所を進める理由とはこんなものですよ、つまり自分自身が社会に出てどのようなことが出来るのか、社会から見て自分はどのように思われているのかと言うのを自分自身で考えさせるための判断材料として進めただけです。


先ほどの「社会から逃げている」と言うのに対しても、「やってもいないくせに決め込んで判断する」からですよ、それによって「自分の都合がよければ調子に乗って、都合が悪ければ逃げる」癖が付いては「何事も人のせい」ともなりますからね。


つまり、のんちゃんの「やめなさい!」に従ったのも自分自身の行動に対する社会的評価に耐えることが出来ない→社会的評価を唱えても悪化するだけ→だからやめなさいに従った


ただ、それだけなのですよ。それに「作業所行っても悲惨な事が続く」などと勝手に決めつけるのではなく、作業所に行って、それで自分自身がどのようの状況だったのを詳細に示してから就労なり生活保護での生活なりを選択しても遅くはありませんし、その方が何かと社会に対して説明が付きますからね。


それから逃げ続けて「自分自身はこの状況だから生活保護での生活・・・」「私のような人がいるから作業所でも不安」となれば、「社会から逃げている」と言う評価から逃れられることは出来ませんし、「ズルをしている」となるのですよ。そういう事ですから、私にここまで言われた以上はそのような評価を覆すためにも努力をしてもらいたいですね。






虐める側にも責任があるが、虐められる側にも責任がある。


これが「のんちゃんがなぜ、虐められ続けて、誰からも見放されているか」の原因である。本人がいくら我慢して大人しくしようとしても虐められるのは「相手の意見を聞かず、誰からも見放されることで安定している」から。


では、虐められないようにするにはどうすればいいのかとも言えば、生活保護での境遇を脱却するために就労して社会参加することでもあるのだが、これに関しては本人が就労をする自信がないのにわかる通り、自分自身が就労できないと言うのを自覚しているからやむなく生活保護を受けていると言うのも現状だろう。


それならば何度も言うように作業所などの施設で社会訓練をして就労する事が必要であるが、今までのやり取りにある様に、それをするなら今までの生活を守るとしている。


美香保スケート場の従業員が「みんな楽しく」と言ったのに対し「震災でたくさん死んでいるのに、なぜ楽しく!?」とまでに反論するほどのものだから、それと同じ要領で「台風で大変なのに、なぜ作業所だ!?」と言うのだから、そうなれば「長引く不況だから、健常者でも大変なのに障碍者には職がない、だから生活保護で暮らしても当然」「働けないのは不況のせいであり、自分のせいではない」と言う事になるから、それも原因の一つとなり、ますます虐められる。


それに対して、ナイトメアだ天災が来る、天災が起きたのはのんちゃんを虐める人がいるからだ!!と言っても、を誰が聞いてくれるのであろうか?ますます「異常者」扱いされるのは目に見えている。


確かに「虐められるものは、そのうち自分自身が虐められる」と、のんちゃんは言うが、それ以前に「自分自身がなぜ、異常者と見られ、虐められ続けられるのか」を考えれば、その原因の解決法なりを出すものであるが、「お前もいっぺん、俺と同じ境遇になればいい」では、言った当人からしても「そこまで言うなら相手にしない方がいいだろう」と思うので、それの積み重ねで誰からも見放される。


それにブロックをする対応に対しても、初めからブロックするのではなく、相手からの誤解がある以上はブロックすれば、その分ますます誤解が深まるものであるから、誤解を解くために説明することだろうが、誤解を解くよりも相手を勝手に決めつけて遮断する。様子を見るとしてもブロックしてからだから、相手の意見をはじめから聞こうとしない。ただ「こいつはこういう人間なのだ、俺はこう言ったぞ!!」で終わる始末。これでは誰から見ても「こいつは誰からも見放されるのを望んで孤独に暮らしているんだ」と思われても当然。


これから見てもコミュニケーション能力からして「ガチで就労する事など出来ないから、作業所などの施設抜きでは就労不可」とも誰もが判断するが、直りようのない傲慢さからして、それも不可能。障害と言えば、障害の一つであるが、それをも考えられない以上は、いくら我慢しようが大人しくしようが、これからも虐められ続け、誰からも見放されるものであろう。


美香保体育館 3/25 2011 - 16:41 (動画)


立ち入り禁止区域に侵入したのを従業員が注意したのに対し「人の所有物に触れるのをやめなさい」「障碍者の権利条約で認められているからやめなさい」と反論。従業員が「管理者の言うことを守らなければ出入り禁止の措置をする」ことを警告したのに対し「日本国憲法と障碍者の権利条約に従いなさい」と反論する。


美香保体育館 3/25 2011 - 16:50 (動画)


前にトラブルを起こしたことに対して出入り禁止されないよう配慮したのに対して理解せずに、「悪いことをしていない」「(フィギュアスケート協会に)加盟しなければ」と反論、トラブルを起こしたことに対して「人の所有物を勝手に触った」「悪いことをしていない」と反論。ルールを破ったのに対しても「法律で守られている権利がダメなの」と反論する。


美香保体育館 3/25 2011 - 16:52 (動画)


従業員が「みんな楽しく練習している」と言うのに対し、「なぜ震災がある時に楽しくなれるのだ」と逆ギレする。トラブルになって、制止を振り切るような行為をしたら出入り禁止・自粛勧告されるのに対しても「なぜ、震災でたくさん死んでいるのに楽しく」「警察でもなんでも呼んでください」と逆ギレする。


美香保体育館 3/25 2011 - 16:54 (動画)


「あなた方が障碍者の権利条約を破っている」「それ以前に法律を守ってこそマナーとルール」の一点張りで反論し、従業員側も「法律とマナーとルールは違う」「法律は大前提ですが、館でのルールがある」「法律以前の問題」と諭すが、「まず管理者は法律を守らねばならない」「補聴器をはじき飛ばした」「人の所有物を無断で触った」と反論し、従業員の言う事を聞かなかったことに対しても「みんなの安全を考えて撮影する場所を」と反論。


美香保体育館 3/25 2011 - 16:57 (動画)


「法律を守ってからマナーとルール」の一点張りで、釧路などでの出入り禁止もそう言った事の繰り返しで出入り禁止されていることに対して、従業員の注意を振り切ってもやめないのに対しても「やめなさい」とまでに言い、「警察を呼んだから」との捨て台詞。


美香保体育館 3/25 2011 - 17:01 (お巡りさんとのやり取り)


ここでも親戚などがスケート場にいれば別の話であると指摘される。


美香保体育館 3/25 2011 - 17:04 (お巡りさんとのやり取り)


ここでも肖像権云々とあるが、公務員に肖像権はないとも反論する。


美香保体育館 3/25 2011 - 17:01


↑これがのんちゃんの美香保スケート場での感想と思われるブログ。


まとめとしてはこの様になったが、「美香保・月寒体育館(スケート場)、フィギュアスケート側に非があり自分自身には非がない」とまでに居直る。


こう言った経緯からも釧路や札幌のスケート場で出入り禁止されているものであるが、それらについては何の反省もしていない。











諸葛孔明の水鉄砲(笑)


孔明と名乗るなら妖術は使えるだろww


諸葛孔明の妖術的要素ばかりに注目して、それが諸葛孔明だとも言わんばかりであるが、妖術的要素に関しては「全相三国志平話」「三国志演義」などでの作り話ですよ。陳寿の批評にある通り『諸葛孔明は軍の統率や政治ではすぐれていた、が知略では劣っていた』のが正解で、妖術的要素の元ネタになっているのは諸葛孔明がどれだけ政治力に優れ、人望を持っていたからこそ、そういう話が出てきたと言うだけなのですよ。


しかし、諸葛孔明の妖術的要素ばかりに注目して、そのほかの部分が見れないと言うのがのんちゃんらしいというのか、諸葛孔明が生涯貫いた思想が見えない問う訳ですね。


それはなぜかと言うと、就労を忌避して障害年金と生活保護でズルをしたからに他ならないが、こういうのに限って必ず一種の超人願望を持つというのか、「自分自身はこの様に優れた才能を持っているから、それを理解しない人間はバカだ」と言う現象に陥るのですね。オウム信者にもそう言うのがいましたが、もう一人香ばしい人がいましたね…柳生大佐と言う人が。


柳生さんが作っているのは幻想の「敵」だ


これにも書いての通り、自分が孤独で才能があると思っている以上は、相手がどのような事をしているのか、どのような存在であるのかが見えない、それで見えない敵を作り出す。ともありますが、国際プロスケーターとか大陸武術継承者とかで自分自身は孤独でも才能はあると信じ切ってますからね。


そういうことだから、こちらから作業所について詳しく書いたとしても、「理解されない人間に言われたくないからやめてください」ともなったわけですね。これでようやく理解できました。


それはさておき、のんちゃんが見えなかった諸葛孔明が生涯貫いてきたものでございますが、それは皆が知る大忠義や不正を許さない精神であり、それが諸葛孔明が政治的に優れていた原動力にもなっているのですね。


それに次いで、その諸葛孔明が尊敬していた後漢の光武帝が言ってきた言葉として能臣よりも忠臣を求めると言う言葉もありますが、これを政策などで実行したおかげで後漢は衰退しても200年は継続し、あの曹操ですら安易に簒奪できなかった実績もあります。


なぜ、諸葛孔明は時勢とは言え曹操一族の簒奪を許さなかったのか、なぜ漢王朝の再興を願っていたのかはこれらを見て解る通りですし、身内に対する厳罰主義だってきちんと公正に基づいていましたから罰された方も恨まなかったそうです。


前にもまっとうに生きると言う事はどのような正義にも勝るとも書きましたが、誠実にかつ純粋にズルをせず生きると言う事によってこそ節義とか忠義があるようなものであり、まっとうに生きることが出来なければそれを得ることもできないでしょう。


諸葛孔明は仕事においても責任感が強く、それによって寿命が縮んだほどであるとあるが、のんちゃんはこれに関して愚かだと言えるのであろうか?知って知らぬふりが出来るものであろうか。就労もせずに生活保護などでズルをしている以上は見えないものでしょうね。なぜ、仕事が大事であろうかと言う事を。


就労をしてわかることですが、仕事とは金銭収入を得るだけではなく、自分自身がどのように社会から必要とされ、その仕事がどれだけ社会に対して貢献しているのかともなれば、それが存在意義となって責任感が芽生える。だからこそ諸葛孔明は自分自身の存在の重要性がわかっているからこそあのようになったと思います。


それに自分自身の仕事にプライドを持つことと節義を守る、忠義を貫くとどう違うのであろうか、ズルをせず正々堂々と純粋に誠実に生きていくことでは同じ事ではないでしょうか。そういう事でも『まっとうに生きることはどのような正義にも勝る』ものであり、必要不可欠なものだと思います。







毎日、毎日生活をしていっていったらと解ると思いますけど、ズルはいかんね、何事にもまっとうに生きていかなければならないと思いますね。

やっぱり苦しい人もいると思えば、そういうことが出来ないと思いますよ、ちゃんとしてほしいものですね。皆様どう思いますか

本当にそう思う。毎日生活して思うのは、人間まっとうに生きることがどれだけ大事な事であろうか、それは正義とかそういう事よりも大事な事では無いのだろうか。

障碍者でも生活保護や障害年金をもらっている人もいるが、その人たちでも作業所などの施設で社会参加のために就労訓練などを行って就労を目指す人もいるし、作業所を出てハローワークに行って就労している人もいる。

その様な人たちは自分自身に誠実かつ純朴に障碍に向き合いながら働いて頑張っている。しかし、就労を忌避して生活保護や障害年金のみで過ごし「自分自身は被害者である弱者である」と表現しているものはどうであろうか、どちらがまっとうに生きてコツコツと頑張っているのであろうか。

就労を忌避し、生活保護や障害年金のみで過ごして「自分自身は障碍者であるから働くことは出来ない」「社会は不景気だから、障碍者に就労はない」とまでにやっている以上、世間に対する評価は低下し、それによって自分自身が社会に向けて自信を無くしている。

だからこそ自分自身を肯定することが出来ないが故に相手を理解しようとしない、それによって相手から遮断し、断絶することによって自分自身を肯定するしかない。そうなればそうなるほど、相手に対して上から目線で見下し、相手を侮蔑して貶めることで不幸を望むようになっていく。

ナデシコ・ジャパンを敗退させる方法 - 嫌がらせ予防の予備..・・,。


これで見て解る様にまっとうに生きることを拒絶してズルをすれば、するほど、それを継続するためにもまっとうに生きるものに対する敵意や反感などを抱いてしまう。

どう見ても社会的評価をしなくなればしなくなるほど、誰かによって見放せれば見放されるほど自己実現が出来るかがわかるであろう。その様にして精神が病んでは見えない敵を求めてしまう。

それがのんちゃんのコミュニケーションであろうか、見えない敵を見つけ、見えない敵を叩く、それが東風谷孔明であり、美香保・月寒スケート場の管理者であり、フィギュアスケートのコーチであったりする。

そう、ズルをすれば後になってよく解ると言うのはそういう事では無いだろうか、ズルをすればズルをするほど、社会から受けいられなくなり、それを解消するために見えない敵を作る。それだからこそ、天災などで懲らしめられればいいとまで思うのであろう。

命を遊ぶ者の命も、遊ばれてしまえる - 結果


だからこそ『人間ああなりたくはない』と言う事で、たとえ生活が苦しいものであってもそれにめげず一生懸命に働いている。働いてこそ自分自身の責任感や存在意義を見つけ、それを守るためにコツコツ生きている。だからこそ就労による社会参加をすることがどれほどにまで重要なのかはそれにあると言っても過言ではない。