夢与え得るバイレ | 個と全体のエンドレスワールド

夢与え得るバイレ

人は失ったもので形成される

人生は失うことの連続だ

失うことでなりたかった自分になるのではなく

本当の自分になれるのだ

 

ーアレハンドロ・ゴンサレス・イリャニトゥ(映画監督)ー

 

北半球に初夏が近づく頃、メキシコには雨季が訪れ

標高2100メートルに位置するサンクリストバル・デ・ラスカサスは少し肌寒くなる。

 

僕はある「喪失」のためにこの街を離れる決心をした。

しかし最後までやり遂げたい大切な仕事が残っていたため、

少なくとも3ヶ月、すぐに離れるわけにはいかない状況だった。

 

僕はイリャニトゥの言葉を思い出していた。

「喪失」が僕に行き場のないエネルギーをもたらしていた。

何かを創りたくて苦しんでいた…そうしないと気が狂ってしまいそうだった。

 

僕はこの街を出る決意をしたことを

今まで世話になって人達に説明する必要があると思った。

 

最初に「Raku」という革靴のブランドを手がけるミキという女性を訪ね、

街を出る決心をしたこと、そしてそうなった経緯について説明した。

 

不意にCASAKAのオーナーKATAがRakuを訪問した。

「おう、トシくん来とったんや」

 

彼は一人宿の女性客を連れて来ていた。

 

大きな目と果実のような厚い唇に特徴のある綺麗な娘だ。

ターバンのように布を頭に巻き、ゆったりとしたパンツを履いていた。

容姿から個性が溢れ出ていたが、ダンサーと聞いて納得した。

名をayacaと言った。

 

僕は自分が映像作家であることを伝えた上で

「ダンスビデオとか作ってみたいですね」

と提案すると彼女は

「やりたいです!コラボしましょ」

と二つ返事で答えた。

 

東京出身の彼女は沖縄県の石垣島で子供たちを相手にダンススクールの講師をやっていた。

今回は石垣島の自宅を引き払って、ダンス修行も兼ねてラテンアメリカを旅していた。

 

「大好きな教え子たちに自分が海外で踊っている姿を見せたい」

それが彼女の願いだった。

 

その後僕は滞在ビザを更新するため一旦グアテマラへ、

ayacaは知り合いの結婚式に出席するためアメリカへ行く必要があり、

サンクリストバルでの再会と共作を約束してそれぞれ国を発った。

 

2017年 7月中旬 San cristóbal de las casas,México

 

一足先にグアテマラからサンクリストバルに帰っていた僕には

別の課題が訪れていた。

 

以前から親交のあるメキシコ人のイツェルたち姉妹が

この街でアジア文化のコンベンションをやるというのだ。

 

サンクリストバルにいるアジア人なんてたかが知れている。

そして20歳そこそこのメキシコ人の娘たちに協力する

日本人など少ないだろう。

 

CASAKASAとしてはたこ焼き屋を出店することになっていたが、

宿泊客を含め多くの人を巻き込む必要があると考えた。

彼女らを助けられるのはCASAKASA以外にない。

 

お客さんの中から、折り紙、てるてる坊主、習字、

日本語の各種ワークショップをやってもらうことになった。

 

さらに食べ物もたい焼きとおにぎり、チラシ寿司が追加された。

 

そしてアメリカからメキシコに戻って来たayacaと

CASAKASAの面々でコンベンションのプロモーションビデオを作成した。

この撮影の時に僕ははじめて生で彼女の踊りを見た。

 

それはもう、”美しい”の一言に尽きる。

 

 

 

当日は会場が広過ぎるのが気になったが、まずまずの盛況振りだったと言える。

全てのワークショップが人気で、てるてる坊主まで定員を超えたのには驚いた。

ayacaは思いつきで急遽東京音頭のワークショップを行った。

食べ物に関してはCASAKASA以外には一人の韓国人がチヂミを出しただけだったので、

我々が食べ物を出したのは大正解だった。

 

 

コンベンションの準備で多忙を極めてしまったが、

僕にとってはダンスビデオが肝心だった。

残された時間はわずかだった、僕は7月末からドミニカ共和国での撮影が入っていたのだ。

 

ビデオ用の曲はKATAと共作した。

まだ未完成だったが、時間がなかったため仮の状態でayacaに聴いてもらった。

 

「曲の名前を考えるにあたって、あやかちゃんがSNSに投稿している記事を遡ってたくさん読んだんだ。」

 

それは彼女が愛する地を後にして起こした行動や葛藤を

自分の愛する者たちへ向けて発信しているものだった。

教え子の子供達に夢を与える存在であるために輝き続ける

強さと弱さ、優しさと切なさが詰まった多くの思い。

 

「それであやかちゃんに相応しい言葉を考えたんだ」

 

彼女は真剣な面持ちでこくりと頷く。

 

「”Dador(ダドール) 意味は”与える者”」

 

踊っていない時の彼女の表現は豊かとは言えない。

一見リアクションは小さいようだったが、

僕は彼女の大きな目の奥が輝いたのを見逃さなかった。

「いいですね…!嬉しいです。それでいきましょう」

 

曲自体はまだ感想を求められる段階ではなかったので、

名前だけでも気に入ってもらえて良かった。

その夜僕は自室で夜な夜なレコーディングをし、

なんとか撮影前日に1曲を形にした。

 

翌日、曲を直前に聴いてもらうことになったため、

彼女には申し訳なかったが、アドリブで踊ってもらわざるを得なくなった。

 

CASAKASAの近所と墓地で撮影を行った。

メキシコの墓地はカラフルで可愛らしい。

サンクリストバルの墓地は僕の中で街1番のおすすめスポットである。

天候に恵まれ、なんとか1日で撮影を終えることができた。

 

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僕がドミニカ共和国に向けて発つ前夜、CASAKASAにてアジアコンベンションの打ち上げが行われた。

不運にもayacaは体調が悪くなって部屋で休んでおり、ロクに話すことが出来なかった。

最後に体調不良を押して挨拶に来た。

僕らは短い言葉を交わして握手をして別れを告げた。

 

僕がドミニカ共和国からメキシコシティへ帰って来る日に

彼女はメキシコからコロンビアへ飛び立って数時間の差で入れ違ってしまい、

再会は叶わなかった。

 

数ヶ月後、帰国した彼女からメッセージが届いた。

 

ネットショップをやろうと思ってるんですが

ショップ名をDADORにしました

としさんにつけてもらった名前大事にします

 

彼女は本当の自分になりつつあるようだ。

 

世界のハンドメイド雑貨webショップ DADOR

 

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