俳優の水谷豊さんが、相棒の新作映画発表の場などでよく
「撮影中はゾーンに入っていた」と仰っていたり、
 
スポーツ選手がテレビなどで、ゾーンに入る話を
していたりするので、今や「ゾーンに入る」の
意味は広く知られているのではないかと思います。
 
「ゾーンに入る」ことについて、マイナビさんの
サイトが参考になると思い、引用しました。
ゾーンとは、集中力が非常に高まり、周りの景色や
音などが意識の外に排除され、自分の感覚だけが
研ぎ澄まされ、活動に没頭できる特殊な意識状態を
指します。
その際には、取り組んでいることに没頭し、
驚異的な集中力で予想以上の結果を出すことが
可能になると考えられます。
 
自分の過去を振り返ると、今思えばあれがゾーンに
入っていたと言うのだろうな、と思うことがいくつか
ありました。
以下は私の体験談です。
(今回の記事では、体験談が長くなってしまったので、
ゾーンに入る方法は別記事に書きます。)
 
 
私は中学生になってからテニスを始めました。
しかし、テニス部の同級生達からは、
 
・テニスは小さいうちから始めないとダメだ
・今からでは遅すぎる
 
などと言われました。
それに加えて、
私は運動能力が超平凡だったので、誰一人私に
戦力として期待する人はいませんでした。
 
私も自分の運動能力に期待していなかったし、
テニスが上手くなりたいと思って入部した
わけではなかったので、
同級生達から上記のように言われても全く
気にしていませんでした。
 
そんなふうに過ごしていた中学2年の秋、
私達の指導に来てくれていた同級生の母親が、
なぜか一か月ほど、私の特訓をしてくれました。
 
そしたらとても楽しくて、初めてテニスが楽しい!
と心から思えました。
たった一か月でしたが、夢中になってボールを
追いかけました。
 
同級生の母親の特訓が終わった理由は、
農作業が忙しくなったからだったのですが、
結局特訓は、その一か月間のみでした。
 
同級生達からは「急にものすごく上手くなったね」
と驚かれました。
 
年が明けて中3になり、引退試合を迎えたとき、
運悪く(?)地区大会で当時の強豪校と試合する
ことになってしまいました。
 
さらに運が悪いことに、
私は、その強豪校のエースと当たってしまいました。
その強豪校は九州大会常連校で、お昼休みは
筋トレとコート整備、道具の整備に費すと言われて
いました。
およそ田舎の公立中学校とは思えないほど
ストイックな指導を受けていて、さらにその
エースなので、そんな人と当たってしまうとは
もう終わったと誰もが思いましたが、私は
淡々と受け止めていました。
 
結局試合には負けたのですが、
試合中は相手の心の動きが手に取るようにわかり、
(私が無名の選手だったので、超油断していた→
意外と頑張るので、超焦りだす→試合中ずっと
焦りまくっていた)
 
相手を翻弄する気持ちすらなり、それでいて、
ただただ夢中で試合した結果、
3-2と最終ゲームまで粘りました。
 
このエースの人は、県外の強豪高校から特待生の話が
来ていたそうですが、私ごときにあれほどメンタルを
乱すようなら、この先テニスでやっていくのは難し
そうだな、と思ったことを覚えています。
 
(高校に入ってからエースの人と同じ中学校から来た
同級生に聞いたのですが、県外の強豪校には
進学せず、地元の商業高校に進学したそうです。)
 
ちなみに私は、最終ゲームまで粘ったことを凄いとも
思わず、負けたことに関しても何も思わず、
そのまま部活を引退しました。
 
 
次は高校受験の話です。
 
テニス部を引退した後、一気に高校受験が迫って
きたような雰囲気になりました。
 
私の成績はごく平均でしたが、地元の高校に入ると
決めていたので、特に頑張ることなく、それまでと
変わらない生活でした。
 
中3は、他校から赴任してきた男性数学教師が
担任でした。
 
今の私があるのは、本当にこの先生のおかげだと
感謝しているほど良い先生で、
今でも実家に電話するときは、この先生のことが
話題になります。
 
この先生はいつも、ホームルームで私達を温かく
励ましてくれました。
初めの頃は「そんなの綺麗ごとだ。嘘だ。」
と思っていましたが、毎日言われるうちに、
「先生の言葉を素直に聞いてみてもいいかも
しれないな」と思うようになりました。
 
中でも嬉しかった言葉は、
「あなたは、自分のことを大したことがない
と思っているかもしれないけれど、あなたは自分が
思って居るよりずっと素晴らしい人なんですよ。」
 
という言葉でした。
先生の言葉の特徴は、上からのアドバイスではなく、
ポジティブ思考を押し付けるのでもなく、ただただ
温かい言葉を毎日クラスのみんなにかけてくれる先生
でした。
 
先生自身、高校受験に失敗して、大変な挫折感を
味わいながら、不本意な高校に進学しましたが、
それでも自分を励まして立ち直り、大学に進学して、
念願の教師になった、という苦労人でした。
 
私の地元は当時、滑り止めの高校の生徒の質と
進学率が超悲惨だったので、そんな環境に負けずに
自分を励まして大学進学して教師になったのは、
大変なことでした。
 
そんな先生の体験談と、上記の忘れられない言葉が
勉強を頑張る力になりました。
 
・もっと良い高校を目指すぞ!
・満点を取るぞ!
・苦手科目を克服するぞ!
 
などとはみじんも思わず、夏休みの40日間、
ただただ夢中で勉強に取り組みました。
 
そして夏休みが終わってすぐ、実力テストが
行われました。
 
当時はこのテストの結果で、ほぼ受験校を
決める流れでした。
 
テスト明けすぐに成績が出て、何も考えずに
自分の結果を見たとき、思わず目を見開くほど
驚きました。
 
何と、それまで平均点以上をとったことがなかった
苦手な数学が、いきなり一番になっていました。
 
同じく苦手だった理科の成績も一番になっていて、
理科の先生にニコニコ顔で「頑張ったね!」と
褒めていただきました。
 
私の担任は数学教師だったのでとても喜んでくださり、
ニコニコ顔で職員室に呼ばれ、志望校・志望学科を
変えないか、と言われました。
 
先生がすすめた高校の学科は、高校が少子化を
見据えて生き残っていくために設置された学科で、
県内から優秀な生徒を集めて有名大学に進学させる
ために設けられた、一学年2クラスのみの学科でした。
 
担任にいきなり想定外の提案をされ、恐る恐る
偏差値を聞いて動揺し(偏差値70超!)とりあえず
親に相談します、とその場をあとにし、動揺しながら
親に話したところ、
 
行く覚悟がないなら地元の学校にしときなさいと即答
され、ホッとして担任に、地元の学校を受けると
言いにいったのでした。
 
 
次は社会人になってからの体験談です。
29歳になったとき、どうしても自力で稼いでみたくなり、
安定収入を手放し、個人事業をスタートさせました。
 
このときは無我夢中で頑張った結果、気付けば開始
半年で月収100万円を突破していました。
 
しかし頑張り過ぎて、ホッとした途端倒れ、
2週間ほど寝込み、数カ月間体力が戻らなかったので、
あの頑張り方は封じています。
 
このときは上記の中学時代とは違い、ゾーンに
力みが入っていたのかなと思います。
(親に心配かけたくないという思いで頑張った
せいかなと思います。)
 
これらの体験を振り返って、ゾーンに入る方法について、
後日改めて書こうと思います。