少し前のことですが
大好きだったおばあちゃんが
旅立ちました。
93歳でした
演奏をいくつか控えていて
平常心を保たなければ
本来はご報告しなければ
ならなかったのかもしれませんが
話してしまうとその都度
涙涙になりそうだったので
外ではいつも通り過ごしたく
極々一部の方にだけお知らせしていました。
葬儀は家族葬にて執り行い
親戚が集まり見送りました。
音楽が大好きだったおばあちゃん。
子供の頃は遊びに行くたびに
「恵子ちゃんのピアノが聴きたい」と
いつも言ってくれて
ピアノを弾いたり歌を歌ったりと
いつも喜んでくれていました
ずっとピアノが好きだった私に
「恵子ちゃんならきっと気にいると思って」と
おばあちゃんが習っていた
お箏のことを教えてくれ
その思惑通り私はお箏の道に進み
おばあちゃんには本当に感謝しかありません。
おばあちゃんは大阪に住んでいたのですが
私も小学生のとき2年ほど西宮に住んでおり
その頃は週末などに1人で電車を乗り継いで
おばあちゃんのおうちに遊びにいくほど
大好きなおばあちゃんでした
中学生のときから札幌に住んでいますが
札幌に来てからも1人で飛行機で
おばあちゃんに会いに行ったり
大人になってからは
大阪に行ったらレンタカーを借りて
京都や奈良に遊びに行ったり
明日京都行こうね
と言うと
「え〜〜よう行かへんわ」と
言って寝たのに
翌朝起きるとばっちり
用意をしていて、それなのに
「ほんまに行くん」と(笑)
いやいや、おばあちゃんもう
準備万端でしょうと言って
でかけるのが毎回の流れでした
母や叔母、いとこたちとも
いろいろなところへ旅行しました
長くは歩けなくなったおばあちゃんを
車椅子に乗せて移動していましたが
当時はぽっちゃりおばあちゃんだったので
「痩せないと重くて押せない」と
みんなに言われ(笑)
みんな汗だくで交代で押して
たどりついたら
おばあちゃんが真っ先に
「あー疲れた」と(笑)
なにもしてないでしょと
即座に突っ込まれるのですが
いつも笑いを提供してくれる
楽しいおばあちゃんでした
おばあちゃんが怒っているのは
一度も見たことがありません
お酒大好き、たばこ大好きな
豪快なおばあちゃんだったのですが
年齢とともに1人で生活するのが
難しくなり
たばこやお酒もやめさせようと
2015年からは札幌に来てもらい
私の実家で暮らしていました。
(いつしか私が大阪に行ったとき
焼酎のビール割りがやめられへん
と、話していたほどお酒好きでした)
札幌でも元気に暮らしていましたが
だんだんと認知症の兆候がでてきて
さらには
2年ほど前に母が病気をしたこともあり
おばあちゃんは施設に。
コロナ禍で出入りが難しく
あまり会えなくなってしまいました。
コロナがなければもっともっと
一緒に過ごせたんじゃないかと言う
思いは拭えませんが、
仕方ないことですね。。
本当にたくさんの思い出を
作ってくれたおばあちゃんに
感謝しています。
地元、東大阪の布施にある
モモヤのジャンボくりまんじゅうを
手にするおばあちゃん
そしておばあちゃんがいたから
私はいまお箏を弾いているので
そうして私もまた誰かに
繋いでいかなければなと
思います
最後までお読み下さりありがとうございます
レッスンや演奏依頼についてのお問合せなど
ぜひお気軽に
人生は選択の連続
お箏のある人生を
お三味線のある人生を
