第141話 滝廉太郎の遺曲 | 言世と一昌の夢幻問答_尋常小学唱歌と早春賦の秘密

言世と一昌の夢幻問答_尋常小学唱歌と早春賦の秘密

故郷・朧月夜・早春賦…名作唱歌をつくった最重要人物がついに証言
…もし吉丸一昌に会えたなら、こんな感じの会話かな、と考えてつづっていきます。
すべて事実に基づくフィクションです。
唱歌や童謡に関するWEBサイトにある俗説や間違いも正していきます。

崎山言世 …… 長野県立大町青雲高校出身。曽祖母が東京音楽学校出身。都内の大学に在学中。1998-。
吉丸一昌 …… 東京音楽学校教授。<早春賦>作詞。『尋常小学唱歌』編纂委員会歌詞主任。1873-1916。
 
言世「先生……先生、そこにいらっしゃるんでしょ。わかってるんですから。私です、私ですよ、言世です。奏楽堂にいらっしゃらないんで、ここ(龍光寺)しかないと思って。きょうは吉丸一昌先生の命日ですからね」
一昌「……」
言世「先生! また少しお話したいことが……。姿を見せてください、先生」
一昌「……」
言世「お墓の前で、だれが線香をあげにいらっしゃるのか見ていらっしゃるんでしょう、分かってるんですからね。私にはちゃんと姿を見せてください」
一昌「……」
言世「♪春は名のみの風の寒さよ……逃げないでくださいよ、先生!」
一昌「は、は、は、は、は、……君にはかなわん。根くらべになると私の負けだ」
 
言世「先生、おひさしぶりです。ありがとうございます」
一昌「ことよクン、元気にしていたか」
言世「はい。きょうは命日だから、声をどうしてもお聞きしたくなったんです」
一昌「言葉遣いが丁寧になったな、さすが大学1年生だ」
言世「ありがとうございます」

一昌「……」
言世「夢幻問答が終わって、きょねんの春、先生の故郷大分に先生の銅像が立ったんですよ。それをまず報告したかったんです」
一昌「銅像か。それは恐縮至極に存ずる」
言世「等身大ですよ、ほら、これ」
一昌「自分で自分の銅像を見るとは妙な気分だ。銅像と言えば、上野の西郷さんか外苑の楠木正成、あとは万世橋の広瀬中佐だからなあ……。私はそんなに立派なことをした覚えはない」
言世「いえ、尋常小学唱歌という100年以上も歌い継がれる歌をつくったじゃありませんか。これほど立派な仕事はありませんよ」
一昌「ことよクン、茶化しているのか
言世「いえ本心です、本当にそう思っています。吉丸先生はもっともっと顕彰されるべき人なんです」
一昌「自分はそんなに目立ちたいと思わん」
言世「銅像は2体ありまして、1体は臼杵の大手門公園に、1体は先生の母校、大分市の上野丘高校に建立されました」
一昌「そんなことに税金を使ってよいのか、また観光客を呼び込もうというんじゃないだろうな」
言世「先生、そんな悪いふうにばかり考えちゃいけないと思います。善意というものが、篤志というものが、この現代にもあるんです」
一昌「すまん、すまん。そんなつもりでは……」

言世「この銅像2体は寄贈されたものです。香港に住む日本人のご夫婦が、吉丸一昌の生き方に感動して
一昌「私の生き方か。私のような貧乏学者のどこが……」
言世「先生は貧しい学生を助けるために夜学の中学校をつくったり、自分の家を下宿にされたりしたんでしょう。そして『早春賦』という歌を書いて、人生の谷で頑張っている人たちを励ましたんでしょう。そういう生き方にご夫妻が感動されたんですよ。教育者としてこんな立派な人生を歩まれた人が、本当の意味で顕彰されていない。そう思うと、いてもたってもいられなくなって、銅像を作る資金を提供され、寄贈されたんですよ」
一昌「申し訳ない。そういう事情も知らずに失言してしまった。すまん」
言世「私に謝ってもしかたのないことです。吉野さんご夫妻にそれは伝えてください」
一昌「吉野さん、感謝である。ただ感謝である。ありがとう」
言世「よかった……よかった。喜んでもらえて」
一昌「君は銅像の話を伝えたくて来たのか」
言世「それもありますが、やはり1年に1度はお墓の前に立って、先生の魂を感じてみたかったんです。こういうことは大学の授業じゃ教えてくれません」

一昌「墓碑というものの役目、あらためて分かったような気がする。過去と現在の心をつなぐ……」
言世「歌と同じですよね
一昌「うーん、キミも成長したなあ。うれしいぞ。……墓碑の話で、面白いことを思い出した。明治43年6月だったか、学友会誌『音楽』に滝君の哀悼碑の写真を掲載した
言世「滝君って、滝廉太郎さんのこと?」
一昌「知ってるのか」
言世「ええ、『荒城の月』に、♪箱根の山は天下の険、でしょ。それに♪春のうららの墨田川……でしょ。若くして亡くなった天才作曲家」
一昌「その通り、以前にも話したが、北村季晴・島崎赤太郎・滝廉太郎の3人こそ次の世代の作曲家として期待されていた
 
言世「滝さんの哀悼碑というのは?」
一昌「大分の萬壽寺にある、あるはずだ。私の母校、大分中学校の近くだ」
言世「いつ建てられたんですか。」
一昌「忘れもしない、滝君が亡くなったのが明治36年6月29日、その1周忌に建立された。墓碑銘は
 
 嗚呼天才之音楽家
 瀧廉太郎君碑
 東京音楽学校同窓有志者
                 建立
 
 明治37年8月、たしか田村虎蔵クンが代表して除幕式に出た」
言世「よく覚えていらっしゃいますね」
一昌「あの時代、25歳で亡くなった人物をあそこまで顕彰するというのは極めて稀だ」
言世「なぜ田村虎蔵さんが」
一昌「本来なら滝クンの師である小山作之助さんが行くべきところだろうが、休職中だったからな」
言世「例の、文官分限令の第4号辞令でしたよね」
一昌「田村クンはたぶん夏期講習で全国行脚してたから、ちょうどよかったんだろう」
言世「それ事実なんですか」
一昌「すまん、推測だ」
言世「区別して話してくださいね」
 
一昌「私が言いたいのは、雑誌『音楽』に附録楽譜として滝クンの2曲を載せたことだ」
言世「えっ?」
一昌「7回忌にふさわしい顕彰はできないのか、みんなで話し合った。一つは哀悼碑の写真掲載、そして曲譜の掲載だ
言世「話し合ったって?」
一昌「ありゃ島崎赤太郎クンだったろう、赤太郎が滝クンの遺曲をどうしても世に出しておきたい、と言ったんじゃなかったかな
言世「それ事実なんですか」
一昌「すまん、推測だ、詳しいことは忘れてしまった」
言世「その遺曲って」
一昌「『憾』と『メヌエット』だ」
言世「うらみですか。たしか都市伝説で言ってた曲だわ」
一昌「美しいピアノ曲だ。
 
下圖は、瀧廉太郎君の哀悼碑なり。君は三十三年獨逸留學の官命を受け留學中、肺を病み三十六年六月二十九日沒せり。恰も本年本月は満七年の祥月に當る。君の作曲は、『中等唱歌』の『箱根山』『豐太閤』『荒城の月』の如き、今なほ世人に傳唱せられるゝ名曲に富たり。本誌の附録に掲げたる二曲も、実に君の遺曲にして、なほ世に出でざりしものなり、一弾また一弾すれば、追慕の涙惨として袂を濡すを覺ゆ、君は豐後國杵築の人、沒する年、僅に二十五。嗚呼悲いかな。
                                       (『音楽』1巻5号、明治43年6月5日発行)
 
言世「そうだったんですか、この文章は吉丸先生が書いたの、……一弾また一弾すれば、追慕の涙、袂を濡らすなんて、いかにも吉丸先生らしいです」
一昌「憾とは、恨みではない。心残りという意味だ」
言世「でも、竹田出身じゃなかったかなあ、滝廉太郎さん。荒城の月の竹田城でしょ。杵築は正しいんですか」
一昌「滝クンは、日出、ひじの出だ。杵築というのは広い意味での文化圏をいう
言世「……」
 
一昌「滝クンのことを思うと、どうしても<b>明治34年春の北村季晴の激励会</b>を思い出す」
言世「それって、<b>長野図書館のあの音韻学の本</b>でしょ」
一昌「キミもよく覚えているな。あの激励会にいたのは、島崎赤太郎と滝廉太郎、北村季晴。この3人こそ、小山作之助さんが将来の作曲家として期待をかけていた者たちだ。田村虎蔵、吉田信太もいたが、ちょっと違うんだなあ」
言世「どう違うんですか」
一昌「時代を拓く勢いだ、田村クンはたしかに音楽教育の現場に立っていたかもしれないが、彼には日本の言語に合わせた新しい作曲を切り開くだけの才はなかった。田村クンのファンには申し訳ないが、彼はしょせん先生なんだ、子どもの相手をするのが得意な。創造者ではない」
言世「んー、ちょっとわかりにくいですが」
 
一昌「季晴の激励会に一人だけ女性がいた。前に話したかな」
言世「いえ、初めてのような気がします、幸田延さん、それとも幸さんですか」
一昌「いや、橘糸重クンだ」
言世「えっ、だれです、その人」
一昌「季晴の一級上、洋琴と作歌を得意にした。季晴が停学の窮地に陥った時、赤太郎と一緒に助けてくれた女性だ
言世「そんな話、よくご存じですね」
一昌「季晴がいつか話してくれた。私が音楽学校にいる間、糸重クンは同僚の教授だからな」
言世「……」
一昌「滝クンはドイツから帰って、糸重クンの詩に曲をつけた」
言世「……」
一昌「水のゆくえ、だ。
 
〈水のゆくへ〉 橘糸重作詞
木末のうそぶき 静かになりて
草葉のさゝやき 消えゆく夕べ
 しげみをぬひて 流るゝ水に
 うつれる星かげ 三つ四つ二つ
  やどれる光は よどむと見れど
  流れて流れて たえせぬ水
 あはれいかにか 思ひせまりて
 いずこのはてに 急ぎゆくらむ
  あはれ いずこのはてに
言世「うそぶきっていきなり難しいですが、なんとなくわかります。水面に星が映っている、その星も水の流れとともに消えていく。水はこの世のすべてを流して時間までも流す、その果ては分からない、っていう感じでしょうか。もしかして滝廉太郎さんに捧げた歌ですか」
一昌「んー、それは糸重クンに聞いていくれ。私が解釈するのはおこがましい」
言世「ずるいですよ、先生。先生の見方を教えてください」
一昌「糸重クンは立派な歌人だ、彼女には彼女の世界がある
言世「橘糸重さんはピアニストじゃないの」
一昌「ただの演奏家じゃない。そこが季晴や赤太郎と気脈を通じるところだ」
言世「糸重さんの声も聞いてみたくなったわ。滝さんの声も」
一昌「墓めぐりでもしたらどうだ
言世「いますっごく豊後に行ってみたい気分。滝廉太郎君碑に向き合うと、何かが聞こえてきそう。それは滝さんの曲かもしれないし、糸重さんの声かもしれないし、季晴さんの声かもしれない。赤太郎さんが滝さんの楽譜について語ってくれるかもしれない

一昌「私の銅像を拝むのも忘れないでくれ」
言世「先生、また茶化すんですか」
一昌「すまんすまん、きょうはこのへんでよいか」
言世「先生、ありがとう。いつもと違う勉強ができて幸せです。また奏楽堂に逢いに行ってもいいですか」
一昌「……
 
これひとつただこれひとつ なし得べき道とはしれど心怯れぬ(糸重)
 
さもなくばあれ我歌屑に苔蒸さば みゝず一つの泣かずやあるべき(一昌)
 
さらばだ、また逢おう」
言世「先生、先生……」
一昌「……」
言世「第32回の吉丸一昌音楽祭が今度開かれるんです、……ああもっと話したいことがあるのに……」
※事実に基づくフィクションです。