第138話 最終章 謎は解けるか5 | 言世と一昌の夢幻問答_尋常小学唱歌と早春賦の秘密

言世と一昌の夢幻問答_尋常小学唱歌と早春賦の秘密

故郷・朧月夜・早春賦…名作唱歌をつくった最重要人物がついに証言
…もし吉丸一昌に会えたなら、こんな感じの会話かな、と考えてつづっていきます。
すべて事実に基づくフィクションです。
唱歌や童謡に関するWEBサイトにある俗説や間違いも正していきます。

崎山言世 …… 大町青雲高校3年生。文芸部所属。曽祖母が東京音楽学校出身。1998-
吉丸一昌 …… 東京音楽学校教授。<早春賦>作詞。『尋常小学唱歌』編纂委員会歌詞主任。1873-1916。

一昌「明治43年から45年あたりにかけて、唱歌編纂委員会の我々は本当にたくさんの批判を受けた」
言世「たいへんだったんですね」
一昌「数ある批判の中でも、田村虎蔵クンの物言いが私は許せなかった。田村クンは文部省の唱歌教科書は使わなくていいと呼びかけたからな、そういう言い方はないだろう」
言世「……」
一昌「島崎赤太郎クンが最も憤ったのは田辺尚雄クンの論文だ。『早稲田文学』に載った『現代唱歌の一大難点』。島崎クンは我慢ならず、双榎生というペンネームで反論を『音楽』に書いた」
言世「『富士』が『藤』に聞こえ、『宇治』が『蛆』に聞こえるっていう話ですよね」
一昌「よく覚えているな」
言世「ウジは嫌味ですからね」
一昌「田辺クンは、歌詞と旋律が合っていないのが山のようにある、と書いた」
言世「……」
一昌「島崎クンは、山のようにあるなら全部指摘してみてくれ、と反論した」
言世「売り言葉に買い言葉ですか」

一昌「島崎クンの主張はこうだ。語勢が逆にならないように私たちも注意している。けれども、それでも逆になるとき、言葉の意味を取り違えるほどでない、許容できる場合も多くある。例えば"花が咲く"を"鼻が裂く"と間違えることがあるか、と反問した
言世「なるほど。花が咲く、と、鼻が裂く、は間違えようがないのだから、許容範囲ではないかということですか」
一昌「そうだ。島崎クンに言わせると、日本語のアクセントはまだ全国不統一で、地方によって差異がある。まだ標準的なアクセントそのものが確定していないのだから、さほど細かく責めないでもいいではないか。それは正論だと思う」
言世「……」
一昌「田辺クンのように厳密にみていくと、唱歌というものがひどくつまらなくなる。そんなに厳密に語勢にこだわるのなら、韻文を朗読だけしていればいいじゃないか、ということになる
言世「ちょっと思いついたんですが、音楽とは音が曲がるってことでしょうか。曲がることを認めていかないと、音楽という芸術は理解できなくなる。そういうことなんでしょうか」
一昌「すまん、語源にさほど興味はない」
言世「……」

一昌「田辺クンとのやりとりはほかにもあった。ネームルの一件だ。田辺クンは『いなかの四季』の『眠る』を問題視した」

〈いなかの四季〉
一、道をはさんで畠一面に、
    麦はほが出る菜は花盛り。
  眠る蝶々、とび立つひばり、
    吹くや春風たもとも軽く、
  あちらこちらに桑つむ少女、
    日まし日ましにはるごも太る。
(以下略)
一昌「これはもともと『尋常小学読本』巻七の三、第4学年用に韻文として載ったものだ。唱歌教科書編纂委員会の作曲部会、つまり島崎クンらがその韻文に曲をつけた。田辺クンは『ねーむる』というのはイタリアのネープルを連想してしまう。眠るというのはねむるというアクセントとも合っていないと批判した」
言世「ネープルって?」
一昌「Naples、ナポリのことだろ。島崎クンは、驚くべき奇抜な連想だ、と反論した。そしてこう言った。われわれは、唱歌を編纂するとき、つまらない連想をさせないように節付けを考える。子供たちが下劣な替え歌を口ずさまないように心掛けた。なぜ、『ネームル』と延ばすのを聞き苦しいと思うのか。アクセントがない第一の綴りを延ばす例は、これまでの日本音楽の旋律でもしばしば見る。『ここはどこの細路じゃ、天神さまの細路じゃ』の一節にある、『ここ』は『こーこ』と延ばして歌う。これをたくあんのコーコを思ひ浮かべるか、と」
言世「漬物ですか。どこの細路に続くから、どう聞いても漬物とは間違えないですね」
一昌「語勢と旋律にこだわる人は、いったんそう聞こえたら、いつまでたっても違和感をぬぐえないものだ。実は勘違いのしようがない些細なことなのに
言世「歌詞は全体で感じなくてはいけないということですか。分析が過ぎると粗探しになる
一昌「田辺クンの主張は、声楽は言語のアクセントに服従すべきもの、これに服従せざるものは声楽にあらず、というわけだが、それでは音楽は育たない」

言世「先生、話を〈早春賦〉に戻していいでしょうか」
一昌「よかろう。100年後の今も歌われているとキミは言ったが……」
言世「〈早春賦〉はいま中学校の歌唱共通教材です。<荒城の月>とか<浜辺の歌>とかと同じ。れっきとした教科書の歌ですよ」
一昌「なるほど、そのあたりをまず押さえておかないといかんな。いつからだ、<早春賦>が教科書に採用されたのは?」
言世「<早春賦>が教科書に採用されたのは、昭和22年の『6年生の音楽』が最初のようです。歌詞は同じですが、題は〈早春賦〉じゃなくて<早春の歌>ですね」
一昌「小学6年生の授業で〈早春賦〉を教えたのか。ちょっと難しいだろう。どうして無理に教材にしたんだ」
言世「そりゃ分かりません。日本が戦争に負けて国家主義が民主主義になった直後のことですからね」
一昌「そうか日本は戦争に負けたのか」
言世「そうです。<早春の歌>を歌って元気を出そう、ということだったのかもしれません」
一昌「そりゃ言世クンの推測だろう、希望的な」
言世「……」
一昌「<早春賦>はもともと学校で教えるためにつくった歌じゃない。教材じゃない。校門を出ても、音楽が好きになってもらうための歌だ。『新作唱歌』第3集には、高等女学校程度と但し書きをしておいた。あれは小学生には歌うのが難しいだろう」
(つづく)
※事実に基づくフィクションです。