第84話 『日本語を作った男』1 | 言世と一昌の夢幻問答_尋常小学唱歌と早春賦の秘密

言世と一昌の夢幻問答_尋常小学唱歌と早春賦の秘密

故郷・朧月夜・早春賦…名作唱歌をつくった最重要人物がついに証言
…もし吉丸一昌に会えたなら、こんな感じの会話かな、と考えてつづっていきます。
すべて事実に基づくフィクションです。
唱歌や童謡に関するWEBサイトにある俗説や間違いも正していきます。

崎山言世 …… 大町青雲高校3年生。文芸部所属。曽祖母が東京音楽学校出身。1998-
吉丸一昌 …… 東京音楽学校教授。<早春賦>作詞。『尋常小学唱歌』編纂委員会歌詞主任。1873-1916。

言世「吉丸先生、お久しぶりです」
一昌「おー、元気にしていたか、休みたいと言っていたから心配していたんだ」
言世「んー、どうにも気になってしかたのない本が最近見つかったんで、吉丸先生にご覧いただけないかと……」
一昌「よかろう」
言世「これです、山口謠司著『日本語を作った男 上田万年とその時代』分厚い割には良心的な値段ですよ」
一昌「出版社がこれは売れると見込めば価格を下げる、ただそれだけのことだ。価格が良心的だからといって、中身がそうだとは限らない。だいたいな、書物は厚さや価格で計るものではない
言世「すみません、でもねこの本どうも野心的……というか……」
一昌「おいおい、もしかしてまた批判か。私をまた引きずり込むのか、私もそういう論争は嫌いではないが、少々疲れてきた」

言世「まあそう言わないで頭の体操ですよ。吉丸先生は上田万年さんのことをご存知なんですか?」
一昌「あっはっはっはっはっ……。んー、よく知らん」
言世「ウソでしょ、顔に書いてある。ちゃんと調べたんですからね。吉丸先生が東京帝大にいたころ芳賀矢一先生と同い年で、同じ国語学・国文学の担当教授でしょ」
一昌「芳賀先生は一学年下だ。んーしかし、万年さんのことを話すだけの記憶もないし、そんな勇気がない
言世「勇気って、どういう意味ですか」
一昌「えらい人なんだよ、万年さんは。私が帝大に入った明治31年、万年さんは31歳で文部省専門学務局長だからな。そもそも欧州留学から帰っていきなり教授になったのが27歳で、飛ぶ鳥を落とす勢いとは万年さんのことだ」
言世「……芳賀先生は?」
一昌「芳賀先生もすごい人だけれども同じ文学博士でも気質が違う。当時は、澤柳政太郎さんの普通学務局長と、上田さんの専門学務局長の2人の起用に注目が集まったものだ。ヤリ手なんだよ、専門学務局長といえば明治33年から東京音楽学校を監督する立場だぞ」

言世「上田万年さんって、学者それとも役人」
一昌「キミもずばり聞くヤツだなあ。やっぱり……学者だろうな」
言世「……」
一昌「上田、澤柳というと府立一中出身でな、上田さんが2歳下だ。澤柳さんの同級生に狩野亨吉という人もいてな、3人は比べられたもんだ」
言世「その、狩野亨吉って名前、どこかで聞きましたよ」
一昌「私の恩師だ、熊本五高時代の」
言世「そういえば、そうでしたね。たしか吉丸先生が第三中学校に奉職するとき世話になったとか……」
一昌「そうだ。熊本時代に、私は狩野先生の家に下宿させてもらった。まあ手前みそな話だが、澤柳・狩野・上田の3人の中では狩野先生だろう。圧倒的な学識、んー……やっぱり人望というべきか」
言世「……」

一昌「話が横道にそれてしまった。それで『日本語を作った男』を私に読めというのか。すまんが、万年さんの評伝には興味がない、こんな分厚い本の間違い探しにつき合うのはごめんだ。ことよクン、キミの魂胆は分かってるんだ」
言世「いえ、間違い探しのために読んでもらうわけじゃありません……とりあえず目次の一章から十七章まで題だけでも見てもらえませんか」
一昌「同世代人と教育制度、……落語と言文一致、……文人たちの大論争、……言文一致への道、教科書国定の困難……」
言世「……」
一昌「なにっ、第16章、唱歌の誕生だと。万年さんと唱歌を語れるのか、著者は山口謠司クンとか言ったな。山口クンはいかなる人だ、新聞記者じゃあるまいな」
言世「大学准教授で、中国と日本の文献学がご専門だそうです。とにかく日本語関係の本を次々に出していらっしゃいます」
一昌「第16章、唱歌の誕生、だけなら間違い探しに付き合ってやってもいいぞ」
言世「先生、間違い探しだなんて、決め付けるのは失礼じゃないですか」
一昌「すまん。しかしな、万年さんと唱歌を語るといった時点で、察しはつく」
言世「それじゃ494ページから515ページまで22ページです」

一昌「……」
言世「……」
一昌「おいおい、いきなり痛快な間違いをやってくれるなあ。田宮虎蔵じゃなくて田村虎蔵だろ
言世「痛快じゃなくて痛恨じゃないでしょうか。たみやとらぞう、って振り仮名まで振ってあります」
一昌「言文一致唱歌をホントに勉強したのか、山口クンは。……言文一致唱歌の親玉、いや失礼、唱歌教壇の神様とまでいわれた田村虎蔵クンの名前を間違えてしまってどうするんだ」
言世「たしかにそうなんですが、田村を田宮と間違えたのはこの503ページと504ページの計3か所で、506ページと511ページでは計3か所で田村虎蔵と正確に書かれているんです」
一昌「ということは誤植か。しかし、たみやとらぞうと振り仮名まで振ったんだろう」
言世「それで合点がいかないんです。校正段階で出版社の編集者が間違えたとか……。でもね、現代では原稿はたいてい手書きじゃないからそんなミスは考えにくいんですがね」
一昌「原因を分析するのは出版社の仕事だ、ことよクンが心配しなくてもよい。いずれにしても作物の最終責任は著者にある。言い逃れはできん。そもそも言文一致唱歌について書くときに田村虎蔵を軽視していたということだろう。田村福井論争を知らないから軽視してしまうんだ」

言世「なんで田宮なんだろう、と思ってインターネットで検索してみたんです。そしたら、田宮虎蔵って書いている人がいるんですよ。ほらね」
一昌「……」
言世「最初に出てくる、幼年唱歌、ってページ。この間紹介した『復刻明治の唱歌』を書かれた人のホームページよ。表題では田村虎蔵なんですけど、顔写真の説明が田宮虎蔵になってる。どうみても単純ミスですよね」
一昌「……」
言世「このホームページがつくられたのが2006年のことで、さらに遡ると2001年の"神楽坂文学地図"というページに田宮虎蔵という誤記がありました。それで現在では田宮虎蔵で検索すると64件もヒットしてしまうんです」
一昌「となると、山口クンがインターネットを鵜呑みにして間違えたということか」
言世「いや、校正した編集者がインターネットを参考にして間違えた可能性もあります」
一昌「んー、にわかに信じ難いな、インターネットやらの影響力というものが」
言世「先生、吉丸一昌も"吉村一昌"と間違えられてますよ」
一昌「ホントか」
言世「"吉村一昌"は227件のヒットですから、田村虎蔵よりも間違えられやすいですね」
一昌「そりゃ名誉なのか不名誉なのか」
言世「名誉でしょ。有名だから間違えられるんですよ、でも夏目漱石を間違える例はないわね」
一昌「慰めはいらん。それより山口クンに伝えておきなさい、間違いの原因はどうでもよい、それは出版社が検証するべきことだ。結果への対処が肝心だ。うっかり間違えたときの、それが研究者倫理というものだ」
言世「倫理? 倫理って、東京芸大の件で何度も聞きましたよ」
一昌「あの世の私が言うのもおこがましいが、田村虎蔵クンの故郷、鳥取県と鳥取県岩美町に一筆、詫び状でも書いたらどうか。鳥取じゃ歌碑が建ってるんだろう」
言世「訂正を広く知らしめるのが先じゃないですか」
一昌「ことよクン、キミ、いつまでたっても頭が固いな。それは言うまでもないことだ」
(つづく)
※事実に基づくフィクションです。