第64話 後輩たちに告ぐ4 | 言世と一昌の夢幻問答_尋常小学唱歌と早春賦の秘密

言世と一昌の夢幻問答_尋常小学唱歌と早春賦の秘密

故郷・朧月夜・早春賦…名作唱歌をつくった最重要人物がついに証言
…もし吉丸一昌に会えたなら、こんな感じの会話かな、と考えてつづっていきます。
すべて事実に基づくフィクションです。
唱歌や童謡に関するWEBサイトにある俗説や間違いも正していきます。

崎山言世 …… 大町青雲高校2年生。文芸部所属。曽祖母が東京音楽学校出身。1998-
吉丸一昌 …… 東京音楽学校教授。<早春賦>作詞。『尋常小学唱歌』編纂委員会歌詞主任。1873-1916。

言世「あれだけ厳しく言ったのに、東京芸大の先生方から反響がありません」
一昌「な、なにをバカな。忙しい大学の先生の方々が高校生の意見をいちいち読んで相手にするわけがなかろう。ことよクン、私から一本取ったからと言って、思い上がってはならんぞ」
言世「いや、夢幻問答の精神は常に謙虚、謙虚です」

一昌「それで…、持って来てくれたかな、漬物石を」
言世「はい、これ、『東京芸術大学百年史』東京音楽学校編第二巻、2003年の発行です」
一昌「おお、これはたしかに凄いな。片手では持てない本だな。大変だったろう、編集するのは」
言世「大正元年から昭和20年まで33年間の東京音楽学校史です。第一巻のほうが明治時代の概ね31年間、2巻合わせて約65年分の校史ですね。森節さん、大貫紀子さん、橋本久美子さんが執筆されています」
一昌「大貫クンといえば、高野辰之展で邦楽調査のことを書いていたじゃないか」
言世「よく覚えていますね」
一昌「橋本久美子クンは?」
言世「現在も芸大で音楽史の研究をなさっていらっしゃる現役の先生のようですね。この間、山田耕筰を取り上げたテレビ番組でおみかけしました」

一昌「漬物石というのはいささか失礼な言いようだが、これだけの仕事をわずか3人で書いたとしたら大変なことだぞ。第一巻も分厚いのか」
言世「図書館から借りてもってきましたよ。これです。ボリュームは半分ほどですね」
一昌「つまり大正・昭和の方が、いろいろ出来事が多かったということか」
言世「いえ、遡るほど資料が少なくて、書けないということでしょ」
一昌「私がいたのは明治41年から大正5年まで8年間だが、前半の35年間ぐらいのだいたいの流れは分かる」

言世「わたし何度もこの分厚い本を開きましたが、けっこう肝心なことが書いてないんですよ」
一昌「なに、どういう意味だ?」
言世「たとえば年表に、大正3年、尋常小学唱歌第六学年用発行、とは出ていないんです」
一昌「まさか……どれ。大正3年は11月に能楽図書展覧会開催。この1行だけか。ん……ん……んん、これは……。大正3年といえば7月にグルック200年祭記念音楽会、8月に同声会の復活が決まったんだったろう」

言世「76人の主だった教員の経歴を記録したページをみて、ほんとに残念でしたよ。だって、吉丸先生の記述がたったの12行。高野辰之さんは48行もあるのに。あの島崎赤太郎さんも14行……」
一昌「ことよクン、行数で人間を比較してはいかんだろう。ばかばかしい。私はまったく気にしておらん。歴史に名を刻みたいと思ったことはない」

言世「でもね、高野さんの明治42年には小学校唱歌教科書編纂委員嘱託って書いてあるのに、吉丸先生の明治42年は何も書いてない。島﨑さんにいたっては明治35年から後の経歴が書いてないんですよ
一昌「おいおい、本当か。見せてみなさい」
言世「……吉丸先生も島崎さんも編纂委員会の主任なんでしょ。うっかり忘れたなんて考えられないわ」
一昌「……ん………。なぜだ。なぜだ、橋本くん……、橋本久美子くん、答えてほしい。キミが執筆者の一人で今も現役の研究者であるのなら、この私に説明してほしい。……いかに自校の校史とはいえ、史学というものを甘くみてはいないか。史学のプロを自認していた高野クンが聞いたら何と嘆くか」
(つづく)
※事実に基づくフィクションです。