第29話 浜辺の歌3 | 言世と一昌の夢幻問答_尋常小学唱歌と早春賦の秘密

言世と一昌の夢幻問答_尋常小学唱歌と早春賦の秘密

故郷・朧月夜・早春賦…名作唱歌をつくった最重要人物がついに証言
…もし吉丸一昌に会えたなら、こんな感じの会話かな、と考えてつづっていきます。
すべて事実に基づくフィクションです。
唱歌や童謡に関するWEBサイトにある俗説や間違いも正していきます。

崎山言世 …… 大町青雲高校2年生。文芸部所属。曽祖母が東京音楽学校出身。1998-
吉丸一昌 …… 東京音楽学校教授。<早春賦>作詞。『尋常小学唱歌』編纂委員会歌詞主任。1873-1916。

言世「インターネットの世界では、唱歌童謡について詳しく解説したサイトがいくつかあります」
一昌「また、インターネットとやらの話か。それで」
言世「なかでも、二木紘三のうた物語、池田小百合なっとく童謡・唱歌というサイトはたくさんの読者がいて、その記述がよく引用されているの」
一昌「本のようなものと思えばよいのかな」
言世「『うた物語』のほうは、全部で約650曲も電子音楽化されていてしかも解説付きという驚異的なものよ。唱歌童謡だけで80曲以上もあるし、しかも、たくさんの人が感想や意見を書き込んでいて、ひとつの音楽討論会場になっているの。すばらしいことよ」
一昌「とにかくすごいということだな、私にはよく分からん」
言世「『なっとく』のほうは、唱歌童謡で220曲、これまで書かれた本や論文を徹底的に調査して、間違いを正すという考えで書かれいて、専門家も一目置いているわ。原典を画像で紹介していることで信頼を得ているのよ」
一昌「そりゃすごいことだな」

言世「でもね、<浜辺の歌>を調べてからね、ワタシ分かんなくなっちゃった。吉丸先生に指摘を受けて読み直してみると、『うた物語』『なっとく』もずいぶんなことが書いてあるの」
一昌「いやな予感がする。もういい、聞きたくない」
言世「いえ、ワタシとしては、やっぱり先生の耳に入れるべきだと思うわ、もう知らないフリはできないの」
一昌「いざこざは本意ではないから、あらかじめ言っておくぞ」

言世「まず『なっとく』のほう。読んでください」
一昌「……」
言世「……」
一昌「牛山充主宰の学友会誌『音楽』が創刊。いきなり困ったことだな。この著者は、『音楽』を本当は読んだことがないんだろう。いちおう私、吉丸が生徒監をつとめておる関係上、学友会の理事長であるからな、湯原元一校長の許しを得て『音楽』の主筆をさせていたただいたのだ。牛山主宰とはいかがなことか。主宰者と持ち上げておいて歌詞改変の汚名か。なんたることだ。編集主任の牛山クンの苦労は本当に報われん、かわいそうだ」
言世「濡れ衣ってこと?」
一昌「んーん……。古渓クンが三番を好まなかったというが、そりゃ単に自分の作物になっとくがいかなかっただけだろう。なぜ他人のせいにする? 古渓クン自身はそんな男ではなかった。『詩と音楽』という小論を読んでみなさい。間違いを正そうというのはいいが自分で間違えてしまってはな、残念だ」

言世「それじゃ『うた物語』のほうを……」
一昌「……」
言世「……」
一昌「1番・2番との修辞上の整合性がくずれています、か。歌はことわるものにあらずだ。理詰めで考えた歌はつまらん。くずれることだってある。創刊号の作曲懸賞課題、<水の皺>のことを話しただろう」
言世「ええ、第4話ヒュラ男でしたね。驚ろいて、というのを小松耕輔さんが褒めたって話でしたよね」
一昌「和歌も唱歌も、整いすぎてもまた面白みに欠けるのだよ。同音反覆を使う必然性がない、というが、それは知りすぎているゆえの言葉、卓見として拝聴するしかない」
言世「……」
一昌「当時の著作権意識の希薄さがうかがい知れます、か。いちおう明治憲法下でも著作権法はあったし、帝劇の『熊野』問題でもめるとか、著作権意識はあったつもりだがな。明治大正を生きた私たちを野蛮人であるようにみていらっしゃるのかな
言世「ワタシはそうは思いません。精神性は現代人より上よ。特に自然に対する美意識は現代人のほうが退化してる」

一昌「学友会誌というアマチュア雑誌だったこともあって、校閲作業もほとんど行われなかったと思われます。この一文だけは訂正削除をしていただきたい。私は『音楽』編集の総責任者としてこのような辱めを受けることを断じて許すわけにいかん
言世「あまり怒らないでくださいよ」
一昌「私は冷静だ。確かに誤字脱字があるだろう。しかし、アマチュア雑誌だったという決め付けはいかがなものか。この著者に聞きたい。それでは、アマチュア雑誌ではない、プロフェッショナルの音楽雑誌はあったのか」
言世「……」
一昌「『音楽』の創刊号に書いた創刊の辞を読んでくれ。2年目に書いた歳頭の辞を読んでくれ。これをアマチュア精神だというのなら、もう議論の余地はない。『音楽界』を編集していた小松耕輔クンと、専門雑誌はどうあるべきなのか議論したものだ、ああ、懐かしい。くだらん週刊誌とは違う。題字の音楽がなぜ嵯峨天皇の書であるのか、理解できておるのか。牛山クンには話しておいたんだがなあ。……」
言世「……」
一昌「言世クン、キミがその『うた物語』の著者に問うてくれんか」
言世「いや、私には荷が重すぎます」
一昌「そうか、それじゃ私がアマチュアに甘んずるか、……しかたがない」
言世「……」
一昌「『なっとく』にしても『うた物語』にしても、ずっとこの調子なのか? ……故郷も朧月夜も春の小川も紅葉も冬景色もぜーんぶ高野作詞岡野作曲なんだろうな。だれか近代日本音楽史をまともに研究しておるものはおらんのか。……私はとにかく哀しい
言世「……慰める言葉も見つからないわ。……吉丸先生……。話題を変えて、もうすこし林古渓さんの歌を教えてほしいな。<浜辺の歌>以外に、歌があるとおっしゃってたじゃないですか」
一昌「……んー、それじゃこれは知ってるおるか。<ああ、たいたにく>」
言世「ああ、たいたにく、ああ、たいたにく、……またひらがなばかりですね、言葉遊びですか? 焚いた肉? 対他似句? それとも田井谷来?」
(つづく)
※事実に基づくフィクションです。