第25話 唱歌100年 | 言世と一昌の夢幻問答_尋常小学唱歌と早春賦の秘密

言世と一昌の夢幻問答_尋常小学唱歌と早春賦の秘密

故郷・朧月夜・早春賦…名作唱歌をつくった最重要人物がついに証言
…もし吉丸一昌に会えたなら、こんな感じの会話かな、と考えてつづっていきます。
すべて事実に基づくフィクションです。
唱歌や童謡に関するWEBサイトにある俗説や間違いも正していきます。

崎山言世 …… 大町青雲高校1年生。文芸部所属。曽祖母が東京音楽学校出身。1998-
吉丸一昌 …… 東京音楽学校教授。<早春賦>作詞。『尋常小学唱歌』編纂委員会歌詞主任。1873-1916。

言世「今回も文部省唱歌100年の新聞記事についてコメントしてください」
一昌「よかろう、今度はどこの新聞だ」
言世「朝日新聞と読売新聞です」
一昌「ああ、2つの新聞は100年たっても健在であったか」
言世「まず、朝日新聞です。2014年5月の『故郷をたどって 戦後70年』という記事です。唱歌100年が本題ではなくて、戦後70年を考えるとっかかりとして、日本人に親しまれてきた唱歌<故郷>を取り上げたということですね」
一昌「ん、どれ、5回連載か」
言世「それほど難しくないんで…」
一昌「……」
言世「……」
一昌「……」

言世「どうですか」
一昌「高野と岡野、希代の名コンビには違いない、と来たか。笑ってしまうが、高野辰之作詞岡野貞一作曲の正誤についてはいまここでは言わん。しかしな、高野辰之クンから日本人論を語りだそうなどというのは、実に浅はかだな。そもそも高野クンは歌謡史の研究者にすぎん。彼が社会を論評した文章を私は読んだことがない
言世「この記者の方は、唱歌100年ということには重きがなくて、故郷というキーワードから日本人論を展開しようとしているわけですか」
一昌「そのようだな。まず言っておくが、唱歌<故郷>の歌詞は凡作であり、旋律は秀逸である。旋律に心が動かされるのだ。歌詞にはそんな力はない
言世「そうなんですか」
一昌「ことよクン、節回しをつけずに、朗読してみなさい」
言世「うさぎおいしかのやま、こぶなつりしかのかわ、ゆめはいまもめぐりて、わすれがたきふるさと」
一昌「どうだ」
言世「ふつうですね」
一昌「まあ詩情がないではないが、結局、訓育の歌詞だから、ほとばしるものがない。いかにいます父母、つつがなきや友がき…。理詰めなんだよ」
言世「歌はことわるものにあらず、でしたよね」

一昌「この朝日新聞の記者は、故郷という言葉からどうしても展開したかったんだろう。しかしな、明治中頃から大正にかけて、故郷に関する唱歌はヤマのように作られた。尋常小学唱歌の<故郷>はあまりにまとまりすぎて、教育用の唱歌になってしまった。だから、教育現場では批判が多かったんだよ。そういう歴史を知らないで、現代人の都合だけで読み解こうしたのだろう」
言世「でもね、高野先生のことを、実証的で緻密、しかも日本文化の流れを大パノラマで描き出す腕前は素晴らしい、と評価されている名誉教授のお話が出ていますよ」
一昌「私なら、日本人論を語った学者を一人挙げるなら、芳賀矢一先生を推す。この名誉教授と同じ姓というのが奇遇だが、芳賀矢一先生の『国民性十論』という名著は忘れられているのか……。同じ国文学領域の学者でも、高野クンからみて雲の上のような大学者だぞ。100年前の日本人から総括しようとするなら芳賀先生を追うべきだろう」
言世「あまり高野先生を悪くいわないでくださいね、長野県の偉人なんだから」
一昌「いやいや、誤解してもらったら困る。悪くいうつもりは全くない。高野クンは本当に歌謡史の熱心な研究者だったことは間違いない」
言世「よかった」

一昌「それにしても、原風景とか心の歌とか、記者の言葉遊びには飽きてしまうな。もう一つの読売新聞はどうだ」
言世「『名言巡礼』という連載のうちの一回で『こゝろざしをはたして…唱歌「故郷」』という記事です。2014年の7月ですね」
一昌「やっぱり<故郷>か。尋常小学唱歌は120編もあるのに……」
言世「そうですねえ、文部省唱歌100年に書かれた新聞記事を読んでいると、8割がたは<故郷>ですね」
一昌「おいおい、本当か、なんでそうなるんだ」
言世「現代では、名作唱歌といえば<故郷>なんです。前にもいったように、地震とかおっきな災害があるたびに、被災された方々を励ます歌として、とてもよく歌われていますから」
一昌「それにしても、<故郷>は尋常小学唱歌を特徴づける歌ではないぞ
言世「え、どういうことですか」
一昌「西洋音楽と日本の伝統的な歌謡俗謡の調和、すなわち和洋調和を目指したわけだから、<故郷>は和洋調和というよりは西洋楽に近い歌だ」
言世「文部省唱歌を代表する歌として、100年の節目に取り上げるのはマズイんでしょうか」
一昌「いや、それはいいが……」
言世「不満そうですね」
一昌「俗謡や和歌や俳句をうまく織り込んだ唱歌がたくさんあっただろう。120編のうちの半分ぐらいは、日本の詩歌の分厚い地層の上に成立した自信作なんだがなあ」
言世「たとえば、どの歌?」
一昌「何度か取り上げたが、<友だち><藤の花><霜><四季の雨><冬景色>……もちろん<朧月夜>もだ。まあよい、それで読売新聞の記事を読まさせてくれ」
言世「どうぞ」
一昌「……」
言世「……」

一昌「なるほど、『志を果たしていつの日にか帰らん』というのが名言だというのか。こんな教条的な言葉を評価するとは稚拙な思考だなあ。それで高野辰之クンが志を果たして地元へ帰ったことと重ね合わせるのか。作詞家が夢を実現したってことか。出来すぎだと思わんのか。子供向けの単なる教訓を名言だといって取り上げる記者の考えがまったく理解できん
言世「でも、『唱歌誕生』とかいう本でも同じような展開ですよ」
一昌「こういう出来すぎの話を、誰もおかしいとは思わんのか。単純すぎるというか、精神の貧困だろう。この間の産経新聞もだったが、こういう押し付けがましい記事はやめてくれんか。唱歌100年の節目というなら、なぜもっと忘れられているところに目を向けん?」
言世「いまさら言っても……」
一昌「新聞とは新しきを聞くであるぞ。何度も焼き直したような記事を書いて、記者は悔やしくないのか。あらすじを決めた上で書くからこうなる。この記者、ほんとうに取材をしたのか。唱歌100年の節目に恥じない取材をしたのか」
言世「そんなに厳しく言わなくても……」
一昌「志の意味がわからんやつが書くとこういう作文になる。誰かにインタビューしてそれを書き、それで取材したつもりになる。歌詠みも同じことだ。何かを見て、取材したつもりになる。しかしその感性、ほんとうに研ぎ澄まされておるのか
言世「……」
一昌「日本人の心の歌、と簡単にいうが、心の歌とは何たるか。記者たちは何も分かっておらん。この<故郷>という歌詞のどこに、心が込められているというのか。これは単なる教育の歌にすぎん」
言世「私、当事者じゃないけど、落ち込んじゃう。ここまで言われると、記者さんがかわいそう」
一昌「すまんすまん、言葉がすぎたかもしれん。でもな本気で考えてみてくれ」
言世「もう新聞記事は出さないわ」
一昌「私ももう読みたいとは思わん。もっとしっかりした論説を読んでみたい、唱歌100年とは何であるのか、誰か論じたものはおらんのか」
(つづく)
※事実に基づくフィクションです。