夢から覚めて泣く子ども、夢を忘れて泣く大人 | Gayoのブログ

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夏満開。連日猛暑。さすがの私もStudioのクーラーをつけたり消したり。

・最近の近況
・血のつながり





【最近の近況】
7月29日の十数年ぶりのソロコンサートが終わり、8月の1週目はのんびりしていた。失われた精神エネルギーの補充が足らず、かなりきつかったかな。ソロコンサートというのはそのくらい負担がくるのかしら。本人としては、とても楽しく、やりたいことやれて、気づいた方がいるかもしれないけれど、いつも横に置いてある万が一の調絃表や、進行表、譜面が一切なく、「楽器と自分」という裸状態のコンサートだった。

自分の5歳の頃から現在までのすべてではないけれど、スーパーダイジェストソロコンサート。テーマは「箏の曲の歴史・GAYO編」。楽しんでいただけたようでした。

最近、またソロの演奏依頼が増えてきたので、気がつくとソロの曲がたまってきた。これも・・・またソロ曲CD出せるくらいすぐにたまりそう、すでにたまってそう。数えてないけれど。

その1週目に、打ち上げという名をかりて、飲みにいったりしたのだが、それはそれで楽しかった。基本、夜24時(0時)までの飲み会(食事会)がいい。もともと外で人に会わない私としては、寝る時間は寝たいのだ。コンサートですでに体内時計を夜型にずらしてあったため、それを戻すための一週間・・・。



いまは8月2週目に入っている。1週目で1回、朝までコースしてしまった。韓国の音楽家さんたちと朝までお話していた。日本語で・・・。私は韓国語できないから。いろいろ参考と確認になりました。音楽家は素敵ね。人種国籍問わず。うん。Pureなのがいい。でも戻りかけていた体内時計が・・・いきなり壊れた。そして2週目の初日、日曜日、これまたいきなり知人から連絡があり夜おつきあいすることに。何か悩み事かと思い心配したのだが、そうではなかったので安心はした。安心はしたのだが、また朝までコースになり(なるしかないじゃない?0時過ぎは)、壊れた体内時計がさらに壊れる。まいった。いくら8月演奏依頼がないとはいっても、猛暑と壊れた生活リズムで自分を見失いかけている。


昨日水曜日。夜、メールがあり、韓国vs日本のサッカーやってるとか・・・知らなかった。知っていても、TVないから・・・・Studio。実家に帰るか。いや今から帰ったら終わっているし。そうだ近くのSportsBar・・・はないけれど、たしかイタリアンのお店で似たようなことができるらしいという噂はきいたから、いってみるか・・・。初めて入るお店にはなかなか1人でいけないもの。残念。結果は3-0。日本が点をいれたのか。すばらしい。守りも0というのがすばらしい。ワールドカップの予選のときは、韓国はきっとものすごく強く(今でも強いけど)なっているのだなと思うと、この勝利に喜んではいられない。がんばれ日本、がんばれ韓国。

音楽には、点数がない。そこが芸術たるよいところではあるけれど、そこに甘んじて、だれもかれも芸術家になれてしまう世の中である。お金をもっている芸術家が勝ち・・・というわけではないが、資本主義経済の国に住む以上、お金がないと何もできず。なかなか世知辛い・・・(お!出た)・・・世の中である。いま、自分のやりたい音楽がみえてるGAYOとしては、幸せだなと実感している。これをみつけるまでに40年かかったのかと思うと、なかなか人生味なものである。


さて、本日木曜日。8月初めての仕事の打ち合わせがあった。9月の演奏依頼である。いろいろな依頼がキャンセルされていった中、この依頼は確定した。うれしいね。担当者の動きがよいのは、演奏家にとっては大きな安心感となる。すべてのクライアントがこうだとよいのだが・・・昔からこれは思っている。でもしょうがないよね。「人はみな違う」のだから。うん。人生論です。いま作品40番まで書いているけれど、最後の40番って憶えている方いますか?(続きはP.S.1にて)

今回、9月に作品番号41「天の羽衣」(二十絃箏ソロ)を書くことにしました。緊急発表だね。みなさんにおきかせできるのはいつだろう・・・来年2月じゃなさそうだし・・・うーん。うーん。ま、それはおいておこう。発表する前に死んでしまったらショボンだね。その際は、私の可愛いMacから、譜面を抽出してくださいな。






【血のつながり】
ピアノのKOTAさんのこの4月のブログを読んで、涙した話は前に書いたけれど、ちょっとそんな感じの話をしたい。毎度のことだけど、このブログDiaryは、GAYOの主観なので、押しつけるわけでも、誰かを否定するわけでもない。ただ、GAYOはこう思っているというだけ。それをファンの方含め、クライアントにも、友人にも、知人にも、私に興味がある人に、私を知ってもらいたいから書いている。読んでいて不快に感じる人は、読まなければよいのである。そこらへんは、どうぞよろしく。

血のつながり。そう書くとズンと重く受け取る人もいるかもしれない。子供は親を選べないからね。私も両親がいたからこそ、自分がいるわけで、今回妹のYOKOが第二子を出産した。私とは三等親になるのだが、うれしいものである。無事に出産した妹に「おめでとう」。

さて、本題。私は子供が好きだ。男の子もよいけれど、女の子も好きだ。子供には夢がある。今の私にも夢がある。たとえ自分の子供ではなくても、育てるとなったらたっぷりの愛情を注ぐ自信はある。注ぎすぎて、厳しいお父さんになるかもしれないけれど、まぁ・・・厳しすぎることはないだろう。自分が厳しすぎたので、反面教師。でも、感謝している。親がしてくれた躾には。いろいろある。子供のころから殴られて育ったGAYOとしては、基本礼儀で困ったことはない。古い日本の因習、風習は勉強してないし、地方によって違うので、親はそれは教えてくれなかった。冠婚葬祭関連も子供だったからか、教えてもらえなかった。が、人様に対する礼儀は習ってきた。という自分の話じゃなくて・・・ついいつも話がそれる。

この先、自分の子供ができないとしても、子供に愛情は注げるよという話。血がつながっていなくても、我が子のように愛し、育てていけると思う。でもこの話は、自分のところに習いにきた子供たちの話ではなくて、今後もしかして、連れ子の方と結婚したり、子供がもうできない方と一緒になったとき、子供をひきとって育てていく場合の話。休みが長いと想像力の翼がぐんぐん伸びるのよ。あはは。

逆に、自分の子供がいたとして、一緒にいなかったらどうなるか、これはやはり「他人の子」になってしまう。この言葉にすごく怒る人がいる。(いてもいいけど)経験の有無じゃなくて、想像力の豊かさの問題。想像してごらんなさい・・・と。が、人はみな違うからしょうがない。押しつけることもできないし。血がつながっているのがどれほど大事なのか。大事じゃないといってるわけではない。けれど大事にできる環境というものがあると思うの。その環境なくして、「血のつながり」をたてにとられると、私は・・・GAYOにとっては・・・・という感じ。

私の価値観というものがある。それが人にどうおもわれようと、子供に対してそれを教えていくのが親というもののつとめだと思う。そこに血のつながった親である必要はないのだ。「血のつながり」だけをみて、おまえの遺伝子が・・・とかいってくる論理は、私には通じない。いくら声を張り上げて、机をたたこうが、私の心には響かない。「血のつながり」を大事にしたくても、そういう環境ではなくなったときに、この「血のつながり」というものの価値観が崩れていく。想像力よ。


子供のころ、生き別れたとかいう状況で、両者が親に、子にあいたくてという話もあるでしょう。美談ですよね。涙して聞いてしまう話。

本当の親だと思っていたら大きくなって、育ての親だったと。自分の本当の親は・・・誰?と探して出会ったとき・・・そんな話もあるでしょう。

だから、ケースバイケースなのね。それでも、私の経験したケース(知る人ぞ知る)では、やはり「血のつながり」より大事なものは「心のつながり」だと思うの。

「心のつながり」なくして、なにが人生だ・・・みたいな。おっと強気。
家族間、親族間で遺産相続などの争いがおきる話は身近にあるのではない?ほら、

「血のつながり」<「心のつながり」

今のGAYOはそう思う。上の1行を書きたいために、長い前フリとなった。失礼。











P.S.1
作品番号40は、「破・命あるもの」(二十絃箏ソロ)
先月29日のコンサートで発表したものである。また次もソロか・・・。
来年に向けて、ヴァイオリンとのDuo、チェロとのDuo、書きたかったのだけど、猛暑のおかげか・・・書きたいテーマがみつからなくてねぇ。といってあっという間に1年がたつのだけは阻止したい。今書かないと、命尽きてしまうから。



P.S.2
コンサートやライブ終わると、魂が抜けた・・・というか、体内精神エネルギーが大量に放出されて、抜け殻状態になる。それだけ私の演奏には、一音一音、エネルギーがこめられていると、自分でも思う。終わったあとの反動が大きすぎるから。MHFネタではないが、やはり反動軽減+2くらいのスキルがないと、大変。あと何回コンサートできるかわからないけれど、お時間ある方は、可能な限りつきあっていただけるとうれしいです。




P.S.3
タイトルの「夢から覚めて泣く子ども、夢を忘れて泣く大人」。某作品をみていたら、ふとその台詞が流れて、ものすごく鮮烈に響いてきたので、書き留めてみた。
「泣く」なのか「哭く」なのかはおいとくとして、少し考えさせられた。

子供と大人の境目はどこにあるのだろう。今日は1日こんなことを考えていた。どこだと思います?

現実をみた瞬間かな?
行きたい学校(職場)にいけなかったとき?
なりたい職業になれたかったとき?

なんだろう?どこに線引きがあるのだろう?

高校の話でいくと、私は神奈川県の海老名に住んでいたため、海老名高校に行きたかった。自転車でいける高校に憧れた。が、現実は、隣町の厚木高校にいかされた。なぜいかされたと書くのかというと、これが神奈川方式なのだ。内申点がなまじよいと、Aテストの成績がよいと、こういう現実になってしまう。が、これも、いってしまえば、それはそれで楽しかった。だって比較できないもの。海老名高校
の3年間を体験してないのだから。後悔もない。比較対象がないのだから(笑)

大学は、アメリカの大学にいきたかった。これも諸事情で親に反対され、海老名から座っていけるという通学に楽な大学を選んだ。この第一希望に行けなかったのも、現実を知ってしまった一端かな。ま、そっちいってたら箏はやめていたのだけどね。だからこそ、人生はいろいろな分岐点がある。思い通りにいったことって・・・なんだろう、ほとんどないんじゃないかな。自分のコンサートライブくらいか?あはは。



本題にもどる。
では、「夢を忘れて泣く大人」というのは?なんだろう?
箏で芸能活動というのは、厳しいという日本の現実。
箏でコンサート活動というのが厳しいという日本の現実(やってるけど)。
音楽で生きていくのが、何らかの付加価値と、大きなコネとバックアップがないと大変だという日本の現実。

が、その中にも私は夢を持てたので幸せなのかもしれない。この夢を実現するために、賛同者を増やし、よい音楽を作っていく、よい演奏をしていく人生となる。願わくば、私のすべてを知った上で、そばにいてくれる人が望ましい。演奏を応援してくれる人もよし。世界に強い人がいたら、ぜひワールドツアープロジェクトを立ち上げてほしい。また、心やすまる人が居てもいいと思う。きっと寝てばかりになりそうだけれど。



「夢から覚めて泣く子ども、夢を忘れて泣く大人」

この言葉の出典はどこだろう、この作品が元ネタだとは思いにくいのだけれど、そうだとしたら、いい脚本だと思う。たまにこういう私の心にズンと響くものに出会える。今日はそれがこの言葉だったという。未だによく理解してないけれど、それでも今日この言葉に出会えてよかった。ありがとう。