こんな言葉を友人からメールでいただいた。ドキッとした。
現状を考えて、悩んで、結局少しずつ少しずつ妥協してしまっていた自分に気づかされる。
過ぎてしまった日々は戻らない。後悔してもしょうがない(するけど)。 反省をして、これから先、同じ失敗を繰り返さないようにしようと思う。 そう思ったとき、いろいろなことを決断しなければならない。 なぜならば、小さなことをたくさん妥協してきた自分をみつけてしまったから。
演奏活動を続けるということは、お金がなくてもできる。生活を続けるということは、お金がないとできない。 お金を頂かないで演奏するアマチュアと、お金をいただいて演奏しているプロとの違いはどこにあるのだろう。
20代のころ、よく音楽の先輩たちからそういうことを問いかけられた。
「君はなんでプロになろうと思ってるの?(思ったの?)」
これは、当時、どこの現場にいってもいわれたな。どのジャンルの先輩方にもきかれたな。 またか!と思うくらい聞かれた問いかけの一つでもあり、自分でもかなり考えさせられた問いかけでもあった。
箏が好きなら、就職してお金をちゃんと稼いで、そのお金を持ってコンサートなりやりたいことをやればいいじゃないか。
音楽やってる人にまでそういわれた記憶がある。
どう答えていいかわからず、返答に窮した当時が懐かしい。
なんで、自分がアマチュアじゃなくて、プロになろうと思ったのか。あの当時出した答えと今の答えとは変わっていないことに気づいた。 ただ一つ変わったことは、その答えと夢に対しての妥協とあきらめが蔓延し始めていたことか。
気づいてしまったのだ。私はまだ何も成していない。成そうとしていないことに。
せめて、残りわずかな人生、成そうという道を進んでみようと。決めたのだ。
決断してしまうと、話は早い・・・とは、単純にはいかないもので、いろいろな障害が出てくる。 あちらを望めばこちらが引っ込み、こっちを望むとあちらが引っ込む。 そして、いつしか、「良」の道を選ぼうとしていた自分を恥じる。
プロである以上、たしかに収入も得なければ、いけないだろう。それは活動を続けていくための資金であり、自分の演奏に対する対価なのだから。 毎回の演奏が勝負であり、この生きるか死ぬかの覚悟でなおかつ音楽を楽しんでいかないと続かないものだと思う。 その演奏の対価をしっかりと払える環境になることを望みます。 活動を続けてきて、どうもいまの日本は、そういう文化軸が弱い。 国連の安保常任理事国に入りたいというのなら、世界でも有数の文化を応援できる国になってもらいたいものです。
Kotoの演奏家が一人ここで何をいおうとかわらないでしょう。だからこそ私は演奏でものをいいます。 いまできる中での「最良」の選択をしていこうと思います。 そのあがきの中から、何が生まれてどういう結果を残していけるのか。 それが、これから10年の私の演奏家、音楽家としての勝負どころでしょう。
本当、私のファンの方々は、優しい人ばかりだから救われてますよ
Gayo