流行の何柱ではなく | kotou-ramuのブログ

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狭い範囲で暮らす kotou-ramu が 思いついたことを ふわっと 書いています。

結婚生活で不満の無い人は居ないだろうと思う。

 

恋人の時には気がつかなかったコトが、一緒に暮らすと見えてくる。

 

見えたトコロが気になって気になって仕方なくなる。

 

で、何かのきっかけにソコが許せなくなる。

 

50年とちょっと生きてて、30年とちょっと一緒に居ると、本当にアホほど枚挙にいとまの無いイラッとポイントを発見する。

 

超客観的に「それって、いつか刺されるんじゃ無いの?」と思うことさえある。

 

旦那ってば、意地が悪くて悪口を言うタイプでは無く、頭や心に浮かんだら、何でも口からこぼれでるタイプなのだ。

 

どっちかって言ったら“おばかさん”寄りな人。

 

なので、「死ね」「ブス」「ババア」「離婚だ」は聞き飽きた。

 

悪口のレパートリーも単純明快で、少ない。

 

おそらく、巷の主婦の皆さんならば「なぜソレを許してるんだ。」とおもうんだろうなぁ。

 

だって、面倒じゃん。

 

喧嘩って、体力も根気も要るし。

 

結婚当初、旦那が私に喧嘩を売っていたが、翌朝、平常通りに淡々と日常をこなし、にっこり笑って送り出していた。

 

全く喧嘩を引きずらない私に「一人で怒ってるのが馬鹿みたいだ。」と、旦那は突っかからなくなった。

 

本気で離婚するつもりの喧嘩をふっかけてくるんだったら買ってやるが、たいてい、かまって欲しくて、すねてるだけなんだから、三歳児と同じじゃん。

 

そりゃ「はいはい?どうしたの?」ってのが正解。

 

私は子供時代に、甘えた覚えも、甘やかされた覚えもないので、喧嘩を仕掛けるとか、自分の我を通すとか、そういうスキルを持ってない。

 

キャンキャンと泣いてわめいたことも、ほとんど無いし、そんなことやらかしたら、明日生きてる保障が無かったのよね。

 

だから旦那を見てると「俺が!俺が!」って、自分を前面に出しているから、私よりも幸せな子供時代だったんだろうと思う。

 

「産んで、育てて貰っただけで、親には感謝だろう。」と旦那が言うのを聞いて、本当に幸せだったんだろうなと思った。

 

子供を育てているときに旦那が学校行事とか非協力的で「俺は親にして貰ってないのに、何で俺がやらなきゃいけない?」って言うのを見て、コイツはちゃんと大人になってないなと確信した。

 

私も結婚する相手には理想があったけど、そもそも、幼い頃の家庭が一般的では無かったので、正解が解らない。

 

思い描く家庭生活が、ことさら現実味の無いファンタジーなのかもしれないとさえ思っていた。

 

なので、ざっくり、夫には”違法行為をしないコト”と“公序良俗に反しないコト”と“不貞行為をしない”を望むことにした。

 

私は。、何かを決めるときに自分に問う。

 

結婚生活ならば「一緒にやって行く」のか「離婚する」のか。

 

やって行くことを心の“柱”にしたのならば、より幸せに、より思いやりを持って、相手が心地よく暮らせるようにする。

 

いずれ帳尻があうギブアンドテイク理論。

 

自分が与えないのに、相手から貰おうと思うのは筋違い。

 

子供たちがそれぞれに暮らし始めて、旦那とは日々タイマン。

 

ギブアンドテイクのテキク期がやって来たようで、手指が痛くて、シンクに放ったらかしの洗い物を旦那が洗う。

 

三歳児なので「俺が洗い物してやったぞ」と言ってくる。

 

なので「まぁ、ありがとう。助かるわ。」とちゃんと労う。

 

今までのギブに、これからのテイクが見合うかどうかと考えると、おそらく見合わないのだろうけどね。

 

今、困っていることに対処できる、テイク出来る夫に育ったことが大事なのよね。

 

食べるものに事欠かない

 

温かい布団で寝られる

 

大病をわずらっている家族が居ない

 

これが手には入っている私は幸せモノだと思う。