墨田区向島のゆるキャラ『向嶋言問姐さん』公式ブログ

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東京スカイツリーのお膝元・向島のご当地キャラ「向嶋言問姐さん」のイベント情報などの近況、ねこグッズの商品情報などおしらせいたしま~す。

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言ちゃん情報
イベント名称:ご当地キャラこども夢フェスタin白河 
~ふくしまから“元気”はじめよう。~
◆開催概要
会 期:2013年9月21日(土)~22日(日)
時 間:9:00~16:00(予定)...
会 場:白河市城山公園(小峰城前広場)及び駅前広場
主 催:ご当地キャラこども夢フェスタin白河実行委員会、福島県
目標来場者数:80,000人(2日間合計)
参加キャラクター数:120キャラクター(予定)

尚、以下のURLは言ちゃんの新しいフェイスブックページですので、
皆さんからの「いいね!」をお待ちしております!
https://www.facebook.com/kotochan.official
 

◆イベントの目的

「ふくしまから はじめよう。キビタン」をはじめとした県内外の

ご当地キャラクターが一堂に会したイベントを開催し、

ふくしまの子どもたちに笑顔を届けるとともに、

本県の元気を全国に発信することを目的とする。



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言問姐さんねこが好き 8月のゲストは墨田区観光協会理事長の

阿部貴明様をお迎えしました。楽しい会話で一時間があっという間でした!


言ちゃんから阿部様に言ちゃん3周年記念フィギュアをプレゼントさせて頂きました!

言ちゃんの活動報告を一緒に聞いてくださる阿部理事長!

江戸しぐさを推奨する言ちゃん!

江戸しぐさ歌巡りを歌と踊りで紹介する言ちゃんです!







最後は阿部理事長とツーショット!

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2014年 8月10日(日)午前11時から午後8時まで行われました!

  

墨田区 江東橋 竪川親水公園内特設会場

 首都高速道路7号線高架下(雨天時も心配ご無用) 

墨田区内30以上の飲食店、食品業者が屋台を出店

豊富なメニューと、豪華なライヴ・アトラクション

老若男女が一緒に楽しめる夏休みの特別プレゼント


とにかく楽しいイベントだったニャン!







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2014.8.8-9 郡山うねめまつり
今年で第50回を迎える「郡山うねめまつり」では、昨年同様「ゆるキャラ復興会議2014」を開催!言ちゃんも2年連続でお招き頂きました。
今年は特設会場「ゆるキャラタウン」で、グッズ販売とPRステージがあるよ~
また、郡山駅西口駅前広場では、「ゆかたdeうねめコンテスト」も行われました。
今年は、言ちゃんもエントリーしましたよ~!


ミスうねめの皆さんです。みなさんお美しい!



メインステージで藤蔭流の皆さんと一緒に踊る言ちゃんです!



言ちゃん浴衣コンテスト!



言ちゃんの投扇興に挑戦するやぶきじくん!


いしころたは上手かったニャン!

言ちゃんは投げ方が様になってます!流石に普段からの練習のたまものです!

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2014.8.8-9 郡山うねめまつり
今年で第50回を迎える「郡山うねめまつり」では、昨年同様「ゆるキャラ復興会議2014」を開催!言ちゃんも2年連続でお招き頂きました。
今年は特設会場「ゆるキャラタウン」で、グッズ販売とPRステージがあるよ~
また、郡山駅西口駅前広場では、「ゆかたdeうねめコンテスト」も行われます。
今年は、言ちゃんもエントリーしちゃおうかな~?!

約千三百年前、陸奥の国安積の里(現・郡山市)は冷害が続き朝廷への貢物ができないほどだった。このため奈良の都から巡察使葛城王が訪れた。
 里人たちは窮状を訴え貢物の免除をお願いした。しかし、その願いは聞いてくれなかったという。
 その夜、王をもてなす宴が開かれ、王は里長の娘、春姫を見そめた。春姫は心から王をもてなし、

安積山影さえ見ゆる
山の井の 浅き心を我が思わなくに

どうしてご機嫌が悪いのですか。安積山のふもとに山の井の清水があります。
安積山の影を水面に映し、浅い井戸のように思われますが、どうして、どうして、とても深い清水です。
それと同じで私たちが王をお慕いしている気持ちはとても深いものです。どうかご機嫌を直して下さい。
「安積釆女とその時代」より(今泉正顕氏著)

と詠み献上した。

 王は大変喜び、春姫を帝の采女として献上することを条件に、貢物を三年間免除することになった。春姫には、次郎という相思相愛の許嫁がおり、悲しみをこらえて別れた。
 都での春姫は、帝の御蘢愛を受けていたが、仲秋の名月の日、次郎恋しさに猿沢の池畔の柳に衣をかけ、入水したように見せ、愛する次郎の待つ安積へ向かった。
  里へたどりついた春姫は、次郎の死を知り、雪の降る夜、あとを追って次郎と同じ山の井の清水に身を投じた。やがてみちのく安積の里にも春が訪れ、山の井の清水のまわり一面に名も知れぬ薄紫の美しい可憐な花が咲き乱れていた。

だれ言うともなく、二人の永遠の愛が地下で結ばれ、この花になったのだと噂をした。「安積の花かつみ(学名ヒメシャガ)」とは、この花のことです。この采女物語は今、郡山の夏の夜を彩どるうねめまつりとして受けつがれております







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2014.8.1-3墨田区民納涼民踊大会

 
今年も、スカイツリーの4Fスカイアリーナの盆踊りに参加しました!

「言ちゃん音頭」もだんだん浸透してきて たくさんのお客様に一緒に踊って頂きました!

もし、振りを知りたい方は、言ちゃんのネットTVで放映された、振付の解説をご覧ください。

15分10秒付近からです。→ http://youtu.be/EahdEAHoioA






















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アリアナ グランデから言ちゃんにサイン色紙が届きましたニャン!
ありがとうアリアナ~!

デビューアルバムが全米1位を獲得!

アリアナがシンガーとして初舞台を飾ったのは、わずか8歳のときでした。北米のプロアイスホッケーリーグで国歌を独唱し、その様子がテレビで放映されたのです。
 幼い頃から優れた歌唱力とパフォーマンス力を備えていたアリアナは、15歳にしてミュージカル「13」で、ブロードウェーデビューを果たしました。その後、テレビドラマ「ビクトリアス」で、天然系でおちゃめな女の子、キャット・バレンタインを演じ、一躍ティーンのアイドルとしてブレイクしたのです。

 「ビクトリアス」は昨年終了しましたが、その後、同ドラマのスピンオフ(番外編)ドラマ「サム&キャット」の放送がスタート。アリアナは引き続きキャットを演じています。

 そんなアリアナがシンガーとして世界中から注目を集めることになったのは、自身が動画共有サイト「YouTube」で公開していた動画。マライア・キャリーのヒット曲などを、高音域を見事に再現してカバーし、大きな話題になりました。

 そして昨年、満を持して本格的な音楽活動を開始しました。昨年8月、全米でリリースされたデビューアルバム「ユアーズ・トゥルーリー」が、全米ビルボード200で初登場1位を獲得! 名実ともに新しい歌姫が誕生したのです。







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今日は七夕 おり姫様がうれし涙で今日は雨ですが 願い事は叶いますニャン!




















<七夕伝説>

 七夕の星祭りの、天界に繰り広げられる物語は、中国に古くから伝わっている伝説です。

 むかし、天の帝に織女(しょくじょ)という一人の美しい娘がおりました。技芸にすぐれ、毎日、機(はた)を織って暮らしていました。

 そのうち、農耕に一生懸命な牽牛(けんぎゅう)と結婚し、二人は夫婦になりました。ところが、それからというもの織女は、あれほど熱心だった機織りをやめてしまったのです。父の天帝は怒って牽牛を織女から引き離し、銀河のかなたに追放してしまいました。しかし、悲しみにくれる織女を見かねた帝は、年に一度、七月七日だけ逢うことをゆるしたのです。

 以来、牽牛は七月七日が来ると、銀河を渡って織女に逢いに来ました。その日が雨のため、水が増して銀河を渡れないと、鵲(かささぎ)が群れ集まって翼を広げ、橋となって渡してくれました。織女は琴座の「ベガ」、牽牛は鷲座の「アルタイル」という星で、この二つの星が、年に一度、七月七日の夜に近づくところから、この伝説が生まれました。




<七夕祭りの由来>

 織女星(しょくじょせい)と牽牛星(けんぎゅうせい)-この二つの星を祭って、乞う(願う)巧(技芸)奠(まつり)を意味する乞巧奠(きっこうてん)は、日本でも早くから取り入れられたようです。白鳳時代の持統(じとう)天皇五年(西暦691年)七月七日に、公卿たちと宴を開き、衣服を贈られたと日本書記にあり、また、公事根源(くじこんげん)には、孝謙(こうけん)天皇の天平勝宝七年(西暦755年)に、初めて乞巧奠を行ったとあります。

 七夕祭りはその後もながく行われてきましたが、宮廷と武家に限られたもので、これが民間に伝えられるようになったのは、近世に入ってからのことです。江戸時代の寺子屋教育の影響によって、織女星と牽牛星の星が一年でもっとも近づく七月七日にはこれを祭って、女の子は手芸の上達を願い、男の子は手習いの上達を願いました。また、幕府が七夕をふくむ五節句を制定したこともあり、七夕祭りは全国に広がっていったのです。七夕飾りの最初は、笹竹に五色の糸を垂らすだけでした。「和歌」で宮中に仕えた公家の冷泉家(京都)は、様々な文化と共に七夕の行事を昔ながらに今に伝えています。

 その後色々と移り変わり、五色の糸も吹き流しとなり現在の七夕となったのです。
 冷泉家では、旧暦七月七日に乞巧奠を行っていますが、二星へのお供え物をのせる祭壇を星の座と呼んでいます。

<七夕の語源>

 日本では古来、正月と七月の、月が満月になる十五日は、祖先の霊を迎える祀(まつり)の日で、正月の七草の日とともに七月七日(ナヌカビ)は、十五日の祀りの準備に入る斎日(いわいび)でした。

 七月七日頃はちょうど稲の開花期。水害や病害虫が心配される時期でもあったことから、稲の収穫の無事を祈ろうと七夕をもって田ノ神の祭りとし、水辺に設けられた棚の上の機家(はたや)の「棚機」(たなばた)で、選ばれた乙女たちが先祖に捧げる御衣(みころも)を織り上げました。この乙女たちを「棚機女」、「織女」と書き、″タナバタツメ″と読みました。

 この行事が、中国の星祭りと結びついて、「たなばた」を「七夕」と書くようになったと言われています。

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